第4話 世界との戦争宣言
その異変は、何の前触れもなく――突然、起きた。
朝。
失敗者の集落に、いつも通りの静けさが流れていた。
焚き火から立ち上る白い煙。
木槌を振るう、規則正しいリズム。
誰かの、小さな笑い声。
日常。ささやかで、でも確かな、生活の音。
「……平和だな」
俺がそう呟くと、セラがふよふよと漂いながら答える。人型のシルエットが、朝日を受けて揺れていた。
「ここは"修正優先度が低い"からね。世界にとっては、見ないふりをしても困らない場所」
「皮肉だな。困らないから、消されない」
ミラは、槍を手入れしながらこちらを見ていた。その目には、いつもの警戒心が宿っている。
「油断しないで。世界は"困らなくなった瞬間"に、容赦なく切り捨てる」
彼女の言葉が、現実になるまで――十秒もかからなかった。
空が――鳴った。
雷でもない。爆音でもない。
それは"システム音"のような、低く不気味な振動。空気そのものが震えるような、異質な音。
セラの動きが、ぴたりと止まる。
「……来る」
その一言で、全てを悟った。
ミラが、即座に立ち上がる。槍を握り、鋭い声を上げた。
「全員、防御配置! 急いで!」
集落全体に、緊張が走る。
人々が動き出す。武器を取る者、子供を抱える者、祈るように目を閉じる者。
その瞬間――俺の頭の中に、冷たいログが流れ込んできた。
【警告】
【観測エリア:失敗集積地】
【状態:逸脱要素の過剰蓄積】
【修正対象に指定されました】
「……は?」
心臓が、激しく跳ねる。
【修正方法:エリア初期化】
【範囲:集落全域】
【備考:全データの削除を実行します】
初期化。
その言葉の意味が、脳裏に浮かぶ。
「……それって」
セラが、人型のシルエットを震わせながら言った。声が、わずかに揺れている。
「まとめて"なかったことにする"処理。この世界から、全てを消去する」
空間が――歪み始めた。
建物の輪郭が、ノイズを帯びて揺らぐ。まるで古いテレビの砂嵐のように。
人の姿が、チラチラと点滅する。存在そのものが不安定になっていく。
まるで、世界がこの場所を――"読み込み失敗したデータ"のように扱っている。
「ふざけるな……!」
ミラが、歯を食いしばる。その声には、怒りと絶望が混ざっていた。
「ここには、生きてる人間がいるんだぞ! 心を持った、感情を持った、生きてる人間が!」
だが――世界は、答えない。
無機質に、ただ無機質に、処理を続ける。
【エリア修正開始】
【残り時間:60秒】
数字が、無慈悲にカウントダウンを始めた。
59秒。
58秒。
57秒。
「……世界、マジで容赦ないな」
俺は、拳を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込む。
守るって、こういうことか。
敵と戦うんじゃない。剣を振るうんでもない。
世界そのものと――この理不尽なシステムと、交渉すること。
セラが、真剣な眼差しで俺を見る。
「ユウト……」
「分かってる」
頭の奥が、嫌な予感で満ちていく。ズキズキと痛む。
ここでスキルを使えば、また俺自身が壊れる。エンフォーサーを書き換えたときのような、あの激痛が襲ってくる。いや、それ以上かもしれない。
でも――
焚き火の前で笑っていた人たちの顔が、脳裏に浮かぶ。
片腕の剣士。
呪い扱いされた少女。
人外の種族。
そして――ミラ。
皆、ここで生きている。諦めながらも、それでも生きている。
「……ここを消されて」
拳に、力を込める。
「俺だけが生き残るのは――違うだろ」
ミラが、目を見開く。その瞳に、驚きと恐れが浮かんでいた。
「無茶する気? あなた、前回だってギリギリだったのに!」
「最初から、無茶な役目だろ。失敗作なんだから」
【残り時間:40秒】
セラが、俺の前に滑り出る。人型のシルエットが、大きく揺れた。
「ユウト。今回の修正は"エリア単位"。エンフォーサー一体を書き換えるのとは、規模が違う」
「つまり?」
「下手に書き換えたら――君自身が"エリア扱い"で消される可能性がある」
……最高に嫌な賭けだ。
勝率は、限りなくゼロに近い。
でも――
「それでも、やる」
俺は、目を閉じた。深く、深く息を吸う。
【《失敗作》】
【対象:失敗集積地】
【提案:役割再定義(極高負荷)】
頭が――焼けた。
脳髄が沸騰するような、灼熱の痛み。
視界が、真っ白になる。
【警告】
【対象範囲が広すぎます】
【実行した場合、観測対象の安定性が失われます】
【中断を推奨します】
「うるさい……!」
歯を食いしばる。奥歯が軋む音がする。
「ここは、失敗の墓場なんかじゃない」
拳を握る。血が滲むほどに。
「ここは――」
【残り時間:20秒】
叫ぶように、言い切った。
「世界に不要って言われた奴らの、居場所だ!」
意識が、深く深く沈んでいく。暗闇の底へ。
【《失敗作》強制実行】
【対象:失敗集積地】
【新役割:観測保護領域】
世界が――悲鳴を上げた。
それは音ではなく、感覚。この世界という存在そのものが、苦しんでいる。拒絶している。
空間が、ひっくり返る。
上下左右の感覚が失われる。
【失敗集積地】
【旧役割:修正対象】
【新役割:観測必須エリア】
【備考:削除不可】
カウントダウンが――止まった。
10秒で、時が止まる。
静寂。
ノイズが消え、建物の輪郭が元に戻る。鮮明に、確かな形として。
人々の姿が、確定する。もう点滅しない。
「……生きてる?」
誰かが、震える声で言った。信じられないという風に。
「……消えて、ない? 本当に?」
ミラが、呆然とした表情で俺を見た。
「ユウト……!」
俺は――その場に、膝をついた。
力が、抜けていく。全身から。
「……はは……」
視界が、滲む。涙なのか、それとも意識が薄れているのか。
「世界を……上書きするって……」
笑うしかなかった。
「マジで、頭おかしいな……」
セラが、必死に俺の身体を支える。
「ユウト! 意識、保って! しっかりして!」
頭の奥で、新しいログが流れる。
【観測ログ更新】
【観測対象は"エリア保護"に成功】
【想定外進行レベル:危険域】
【備考:世界システムへの干渉が許容範囲を超えています】
そのログを見て、俺は――笑った。
「……ほらな」
かすれた声で。
「世界、俺を消せなかった」
ミラが、俺の前に座り込む。その目には、涙が浮かんでいた。
「どうして……ここまで……」
なぜ、そこまでして。
なぜ、自分を犠牲にしてまで。
俺は、かすれた声で答えた。
「……俺の転生の目的が」
息を吸う。肺が痛い。
「"失敗が世界を壊すかどうかの観測"なら」
彼女を見る。その目を、真っ直ぐに。
「この場所は――一番最初に守るべき実験結果だ」
ミラの目が、大きく揺れる。
「……バカ」
そう言いながら――彼女の声は、震えていた。
「そんな理由で、自分を削るな……」
俺は、微笑った。痛みに歪んだ顔で。
「でも、ここが消えなかった」
焚き火の向こうを見る。
失敗者たちは――泣いている者も、笑っている者も、ただ呆然としている者もいた。
「それだけで、俺がここに来た意味はあった」
その瞬間――新しいログが流れた。
【関係更新】
【ミラ】
【状態:主要人物 → 保護対象】
【備考:世界より優先される存在に指定】
そのログを見て、俺は一瞬だけ目を見開いた。
「……え?」
セラが、静かに――でも重々しく言う。
「ユウト。今の上書きで……」
人型のシルエットが揺れる。
「君は、この集落を"世界より優先する存在"として定義した」
それはつまり――
「……次に世界が来たら」
ミラが、小さく呟く。理解してしまったという風に。
「今度は、私たち全員じゃなくて――」
セラが、続きを言った。
「"ユウト個人"を消しに来る」
沈黙が落ちる。
重い、重い沈黙。
俺は――苦笑した。
「なるほどな」
空を見上げる。もう力も入らない。
「集落は守れたけど、俺は完全に"世界の敵"か」
ミラが、俺の手を掴む。その手は、震えていた。
「それでも……後悔してない?」
俺は、即答した。
「してない」
迷いなく。
空を見上げる。
もう、普通の青じゃない。どこか"監視されている"色。世界が、俺を見張っている。
「だって、世界が正しいなら――」
ミラの手を、握り返す。力を込めて。
「ここは、もう消えてた」
失敗作は――世界の修正から、居場所を奪い返した。
それは勝利じゃない。
ただの猶予だ。一時的な、脆い平和。
だが確実に――世界は今、初めて「ユウト」という存在を――"排除すべき個体"として、明確に認識した。
物語は、もう実験じゃない。
戦争に――変わった。
風が吹く。
焚き火の炎が、激しく揺れて――そして、また静かになる。
俺たちの戦いは、これからだ。
世界を相手に。
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