第3話 失敗者たちの居場所
世界の外れは、静かだった。
草原を抜け、うっそうとした森を越え、地図にすら名前の載らない谷を下った先――そこに、集落はあった。
「……ここが?」
俺の声は、自然と小さくなっていた。まるで、静寂を破ることが罪であるかのように。
木と石で作られた家屋が、十数軒。不揃いに、でも確かにそこに在る。城壁はなく、門もない。守るべきものがないのか、それとも守る価値がないと判断されているのか。
人の気配はある。でも、活気はない。
まるで、息を潜めて生きているかのような――そんな空気が、集落全体を覆っていた。
「失敗者の集落」
隣を漂うセラが、淡々と言った。その声に、感情の色は薄い。
「正規ルートから弾かれた人間。想定と違う進化をした種族。世界に"不要"と判断された存在が集まる場所」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
まるで、自分の未来を見せられているような気がして。
「……そんな場所が、本当にあるんだな」
「世界は、成功例だけを表に出す。華やかな物語だけを語る。でも、失敗は消せない。消すことができないから――端に押し込むんだ」
セラの言葉が、胸に重く響く。
なるほど。
俺にぴったりの場所だ。まるで、最初からここに来ることが決まっていたかのように。
集落の入口に、一歩踏み入れた。
その瞬間――何本もの視線が、一斉に突き刺さった。
警戒。
恐れ。
そして、諦め。
その中に――期待だけが、どこにも存在しなかった。希望の色が、この場所からは完全に失われている。
「あんた、外から来たね」
低い声が、背後から響いた。
振り向くと、槍を構えた少女が立っていた。いつの間に近づいたのか、気配すら感じなかった。
年は、俺と同じくらいだろうか。銀色に近い白髪を後ろで一つに束ね、右目には古い傷痕が走っている。戦いの記憶を刻んだ、消えない証。
服装は軽装。だが、その立ち方――重心の置き方、筋肉の緊張の仕方――全てが"戦う者"のそれだった。
「名前を名乗って。理由によっては、追い返す」
一切の迷いがない声音。そこに、交渉の余地はない。
「……ユウトだ」
「職業は?」
一瞬、言葉に詰まる。答えたくない質問だった。
「……なし」
少女の眉が、ぴくりと動いた。表情は変わらないが、何かを感じ取ったようだった。
「スキルは?」
ここで嘘をついても意味がない。この集落に来た時点で、俺の正体は透けて見えているのだろう。
「《失敗作》」
沈黙が落ちた。
周囲の空気が、さらに張り詰める。まるで糸が、ぴんと張られたように。
「……なるほど」
少女は、槍を――ほんの少しだけ、下ろした。それが、彼女なりの受け入れの合図だったのかもしれない。
「じゃあ、ここに来る資格はある」
「資格?」
思わず問い返す。
「ここは、世界に期待されなかった者の集落だから」
そう言って、彼女は背を向けた。白髪が、風に揺れる。
「ついてきて。私はミラ。この集落の、警戒役をやってる」
その背中を追いながら、俺は気づいた。
これが――俺の最初の、本当の意味での仲間との出会いだった。
*
集落の中央には、小さな焚き火があった。
そこに集まる人々は――どこか、歪だった。
片腕のない剣士。鎧は着けているが、左の袖だけが虚しく揺れている。
魔法属性が世界のルールと合わず、呪い扱いされた少女。その瞳は、見たこともない色をしていた。
人型ではあるが、人としてカウントされなかった種族。角があり、肌の色が人間とは違う。
「みんな……」
言葉が、出なかった。
「失敗例」
ミラは、淡々と続ける。でも、その声には微かな痛みが滲んでいた。
「勇者の影に埋もれた者。イベントから排除された者。"物語に必要ない"と判断された者。それが、ここにいる全員」
胸が、ざわつく。
でも、同時に――温かいものも感じた。
「……それでも、生きてる」
「生きるしかないから」
ミラは、焚き火を見つめた。その横顔に、何を思っているのか読み取れない。
「ここは安全。少なくとも、世界の修正は入りにくい」
「どうして?」
重要な質問だった。エンフォーサーのような存在が現れたら、この集落は一瞬で消えてしまうだろう。
ミラは、少しだけ言いづらそうに視線を逸らした。
「……ここは、一度"失敗"として確定した場所だから」
確定。
その言葉が、重く響く。
【観測ログ】
【エリア:失敗集積地】
【修正優先度:低】
【備考:物語進行に影響を与えない領域】
頭の奥で、システムログが重なる。
この場所は、世界にとって"もう手を加える価値のない場所"なのだ。
「だから、俺を受け入れたのか」
ミラが、ちらりと俺を見る。その瞳に、何かが揺れた。
「半分はね」
「もう半分は?」
「……興味」
正直な答えだった。そのストレートさが、逆に心地よかった。
「《失敗作》なんてスキル、聞いたことない。データベースにも載ってない」
俺は、思わず苦笑した。
「俺もだよ。女神に聞いても、削除予定だったってだけで」
そのとき――
「――ねえ」
ミラが、急に声のトーンを落とす。真剣な声。
「あなた、怖くないの?」
「何が?」
「世界を敵に回すこと」
直球だった。
周囲の失敗者たちが、一斉に会話を止めてこちらを見る。皆が、この答えを待っているかのように。
俺は、少し考えてから――正直に答えた。
「怖いよ」
嘘をつく必要はない。
「エンフォーサーに襲われたときも、死ぬかと思った。正直、今も怖い」
ミラの表情が、わずかに変わる。
「でも――」
焚き火の向こうに座る、彼らを見る。片腕の剣士も、魔法の少女も、人外の種族も。皆、こちらを見ていた。
「ここに来て、分かったんだ」
拳を、ぎゅっと握る。
「世界が正しいなら、ここにいる人たちは存在しないはずだ」
ミラの目が、揺れた。驚きと、それから――何か別の感情。
「世界が完璧なら、失敗なんて生まれない。でも、現実にはこうして存在している」
焚き火の炎が、ゆらゆらと揺れる。
「だから俺は――」
はっきりと、宣言した。
「この世界が本当に正しいのかどうか、確かめに来た」
静寂が落ちた。
そして――誰かが、笑った。
「はは……いいね、それ」
片腕の剣士だった。
「勇者より、よっぽど信用できるわ」
「そうだそうだ」
小さな拍手が起こる。温かい、でもどこか控えめな拍手。長い間、認められることのなかった人々の、小さな希望の音。
ミラは、しばらく黙っていた。
焚き火を見つめ、それから空を見上げ――やがて、槍を地面に突き立てた。決意の証のように。
「決まり」
彼女は、真っ直ぐに俺を見た。
「ユウト。あなたは、ここに住める」
「本当にいいのか?」
「責任は、私が持つ」
少しだけ、照れたように視線を逸らして。
「……失敗者同士、でしょ」
その言葉に――胸が、熱くなった。
温かいものが込み上げてくる。生前、誰かにこんな風に受け入れられたことがあっただろうか。
【関係更新】
【ミラ】
【状態:主要人物候補】
【備考:物語の分岐点となる存在】
セラが、俺の耳元でそっと囁く。
「ねえ、ユウト」
「ん?」
「君、もう気づいてる?」
「何を?」
「ここが――君の転生の"答え"の一つだってこと」
俺は、焚き火を見つめた。
失敗者たちの集落。
世界に不要とされた場所。
でも、確かに存在している場所。
「……ああ」
静かに、頷く。
「ここが壊れないなら、世界も、壊れないはずだ」
逆説的だが、それが真実だった。失敗が存在し続けられるなら、世界は本当は完璧じゃない。だとしたら――
ミラが、焚き火の向こうから言った。
「ユウト」
「何だ?」
「あなたが世界を試すなら――」
彼女は、槍を握り直す。その手に、迷いはない。
「私は、あなたの側で失敗する」
その言葉は――どんな祝福の言葉よりも、どんな称賛よりも、重かった。
共に失敗する。
共に、世界の想定を裏切る。
それは、仲間の証だった。
こうして――
失敗作は、失敗者たちの居場所を得た。
それは拠点であり、試験場であり――そして、世界への反証だった。
焚き火の炎が、静かに揺れる。
その光に照らされた顔には、久しぶりの希望の色が浮かんでいた。
物語は、もう戻れない。
王都では、勇者が華やかな冒険を始めているだろう。神々が用意した、完璧な物語を。
でも、ここでは――世界の片隅で。
"失敗が失敗でないこと"を証明する戦いが、静かに始まっていた。
風が吹く。
焚き火の炎が、大きく揺れて――そして、また小さくなる。
俺たちの戦いは、これからだ。




