絡め取る者(後)
罠が、起動した。
音はない。
光もない。
空気の張り方だけが、変わる。
イトは、それを“いつものこと”として受け取った。
自分が張った糸が、予定通りに締まっていく――そう信じて疑わない。
見えない糸が、層になる。
上下、左右、斜め。
完全な包囲。
シノは、その中心にいる。
動けない。
逃げ場もない。
そう、イトは確信していた。
違和感は、確かにあった。
だが――無視できた。
興奮が、それを上回っていたから。
「……いい」
声が、熱を帯びる。
イトは、ゆっくりと近づく。
糸が、シノの衣服に触れ、裂く。
布が切れ、
上半身が露になる。
イトの視線が、体をなぞる。
露骨に。
味を見る前の、品定め。
手を伸ばす。
撫でる。
肌の感触を確かめるように。
そして――
舌を出そうとした、その瞬間。
彼女の膝が、わずかに落ちた。
「……?」
糸の張りが、落ちる。
一本。
また一本。
絡め取られていたはずの自由が、
静かに戻ってくる。
そのとき。
シノは、すでに動いていた。
一歩も踏み出さず、
ただ、そっと。
イトの頭に、手を置く。
撫でる。
それだけ。
膝をついたイトは、
目を見開いて、見上げる。
「……なぜ?」
困惑。
理解が追いつかない顔。
「……変ね」
その言葉を最後に、
イトは膝をついたまま、動かなくなった。
倒れない。
声もない。
糸の制御が、完全に止まる。
見えない糸が、
力を失い、
夜の中へとほどけていく。
毒は、静かに役目を終えた。
痛みはない。
苦しみもない。
自分が侵されていたことにも、
自分がこと切れたことにも、
彼女は気づかない。
終わりは、あまりにも静かだった。
私は地面に手をつく。
――土遁。
土が、音もなく動く。
イトの身体を包み込み、
そのまま、地の中へ。
覆う。
埋める。
派手な意味はない。
儀式でもない。
敵の心に、永久に忍び続ける。
それだけだ。
地面が戻ると、
そこには何も残らなかった。
レイザーは、しばらく動けずにいた。
「……埋めるんだな」
「うん」
短く答える。
レイザーは、視線を落としたまま、呟いた。
「……初めて見た」
「なにを」
「人を、ちゃんと……」
言葉が続かない。
この世界では、
死は“結果”であって、
“扱われるもの”じゃない。
だから、埋める理由も、
感情も、用意されていない。
それでも。
レイザーの胸に、遅れて何かが芽生えた。
――寂しい。
理由は分からない。
好きでもなかった。
むしろ、避けてきた相手だ。
それでも。
「……なんでだろうな」
自分に言い聞かせるように、呟く。
「いなくなったってだけで……
こんなに、空く」
私は、何も言わない。
忍びは、感情を否定しない。
処理もしない。
ただ、そこにいる。
夜の街は、静かだった。
豆腐みたいな建物の影が、
変わらず重なっている。
「戻ろっか」
私が言う。
レイザーは、顔を上げて、少しだけ間を置いた。
「……そう、だな」
私は歩き出す。
ダスト狩りは、続く。
霧は、まだ深い。




