塔
湖のことは、誰も振り返らなかった。
レイザーは一度だけ、
「……あそこ、戻るか?」
と言ったが、
私が首を振ると、それ以上は言わなかった。
シンは、何も言わない。
ただ、西へ歩く。
湖は背後に消え、
湿った匂いも消え、
再び乾いた大地だけが続く。
そして――
それは唐突に現れた。
一歩、進んだ瞬間だった。
視界の端に、影が差す。
さっきまで何もなかったはずの地平線に、
黒い線が立っている。
「……?」
レイザーが足を止める。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
塔。
天を貫くほどの、高さ。
途中から輪郭が霞む。
「……見えてたか、あれ」
シンが低く言う。
「いや」
レイザーが即答する。
「さっきまで、なかった」
私も頷く。
湖を越えてから、視界は開けていた。
遮蔽物もない。
なのに。
この高さの構造物を、今まで認識できなかった。
(制御されている)
誰かが、
“見せない”設定にしていた。
一定距離を越えた瞬間、
可視化された。
塔は、近づくほど異様だった。
階層。
螺旋ではない。
積層。
禍々しい段差が、無数に積み重なっている。
各層に、黒い窓。
窓というより、穴。
そこから、何かがこちらを見ているような錯覚。
「……入るか?」
レイザーが訊く。
シンは塔を見上げたまま言う。
「急ぐ理由はない」
私は、塔の根元を観察する。
足元は、均された大地。
異様に整っている。
戦場にも、祭壇にもなりそうな広さ。
(罠)
あるいは、
舞台。
だが、私は袖を直した。
「お腹減った」
レイザーが笑う。
「塔の前で飯かよ」
「何か問題が?」
「いや、別に」
シンが、淡々と豆腐建築を出す。
いつもの、簡素な箱。
内部は空。
椅子も、机もない。
レイザーが追加で椅子を出す。
「強者に相応しい椅子は必要だろう」
いつものやり取りだ。
私は小さく息を吐く。
塔は、すぐそこだ。
見上げれば、首が痛くなる。
だが。
三人は、その足元で食事を始める。
湖で覚えた魚料理を応用する。
レイザーが塩をアセット化する。
シンが火を制御する。
私は串を回す。
塔は、沈黙している。
何も起きない。
風もない。
不気味なほど、静か。
「……襲ってこねぇよな」
レイザーが言う。
「襲う必要がないのかもしれない」
私は答える。
塔は逃げない。
私たちも、今は登らない。
西へ向かう旅の途中。
これはただの“風景”。
異常な風景。
だが。
忍びは、
意味の分からないものに、すぐ飛びつかない。
塔の黒い窓のどれかが、
わずかに光った気がした。
気のせいかもしれない。
私は魚を一口かじる。
「……明日、どうする」
レイザーが訊く。
私は塔を見上げる。
「決めてない」
本当は、決めている。
だが、今は言わない。
塔は、そこにある。
見える範囲だけでも、禍々しい階層。
あれは――
登るものだ。
だが、今は違う。
今日は、食べる。
そして、眠る。
そして、西の果てを目指すだけだ。




