女の子(前編)
三人がクリームを堪能する中、
しゃりしゃりしゃり、と。
ボウルをかき混ぜる音は、変わらない。
少年は、手を止めないまま言った。
「……今日は、客が多い日だ」
独り言のようで、
それでいて、予言のようでもあった。
レイザーが眉をひそめる。
「そういう日が、分かるのか?」
少年は少し考えてから、首を横に振った。
「分からないよ」
しゃりしゃりしゃり。
「ただ、そういう日なんだ」
理由はない。
根拠もない。
けれど、この場所に長く居続けた者だけが持つ、
肌感覚のようなもの。
その直後だった。
――ぎい。
建物の扉が、再び開く。
甘い匂いが、外へと流れ、
代わりに、新しい気配が中へ入り込んできた。
軽い足音。
躊躇いのない一歩。
「……食の香り」
少女の声。
年の頃は、シノとそう変わらない。
放出されたばかりの雰囲気を残した、少しだけ張りつめた声音。
彼女は、部屋の中を見回し、
積み上げられた箱と、作業台、
そして――ボウルを混ぜ続ける少年を見つける。
「……甘い匂い」
少年は、ようやく顔を上げた。
穏やかな表情で、
何度も繰り返してきた言葉を、変わらない調子で告げる。
「いらっしゃい」
少女は、少し戸惑いながらも、
その一言に背中を押されたように、中へ足を踏み入れた。
その様子を見て、
少年は、ほんのわずかに目を細める。
「……やっぱり」
しゃりしゃりしゃり。
「今日は、客が多い日だ」
その言葉は、
これから起こる“賑やかさ”を歓迎しているようにも、
避けられない流れを受け入れているようにも聞こえた。
私は、その空気の変化を感じ取る。
この場所は、
静かなままでは、終わらない。
甘さは、人を呼ぶ。
そして――
食に人生を捧げた者もまた、
この匂いを、見逃すはずがなかった。
少女は、積み上げられた箱を見上げてから、
もう一度、少年を見た。
ためらいは、ない。
「……それ、全部食べていい?」
建物の中が、一瞬だけ静かになる。
しゃり、しゃり。
少年は、ボウルをかき混ぜる手を止めずに答えた。
「できるものなら」
そう言って、彼は作業台の横に積まれていた箱の中から、
三つを選び出す。
規則正しく、
丁寧に。
少女の前へ、並べた。
「これを全部、食べられたら」
少年は、淡々と言う。
「残りも、全部あげるよ」
少女の目が、わずかに輝いた。
「ほんと?」
「うん」
条件は、それだけ。
魔力も、
アセットも、
駆け引きもない。
ただ――食べる。
次の瞬間。
淡い光が、空間に走った。
《魔法大戦:Lv1》
《形式:娯楽》
《複数申請を確認》
私は、思わず目を瞬く。
対象欄に表示された名前。
少女。
少年。
そして――
「……俺たちも、か?」
レイザーが、呆然と呟く。
「なんでだ」
シンも、表示を見て眉をひそめる。
《対象:ハウ/シノ/レイザー/シン》
どうやら、
“場に居合わせた者全員”が、
条件に組み込まれたらしい。
「……巻き込み型か」
シンが、苦笑する。
この世界では珍しくない。
だが、用途が用途だ。
「食べるだけの勝負か」
レイザーが、箱を見下ろす。
中には、白く艶やかなクリーム。
甘い匂いが、はっきりと主張している。
「こういう楽しみ方も何だか良いな」
シンが、肩をすくめた。
「こういうのも……あり、か」
少女は、もう待ちきれない様子で、
一つ目の箱を開けている。
「じゃ、いくね」
スプーンを掴いで、
迷いなく、すくう。
一口。
二口。
三口。
……止まらない。
「……おいしい」
その声は、素直だった。
少年は、何も言わずに見ている。
評価も、期待もない。
ただ、結果だけを待つ目。
レイザーは、しばらく迷ってから、
小さく息を吐いた。
「……まあ、やるからには負けん」
スプーンを手に取る。
「負けても、失うもんはねぇ」
「Lv1だしな」
シンも、箱を引き寄せた。
私は。
久しぶりの甘味を、
ゆっくりと口に運ぶ。
(……甘い)
記憶の奥で、
日本で食べた菓子の感触が、かすかに蘇る。
忍びの食事は、
効率と必要最低限。
だが、これは違う。
「……食べ放題、か」
誰に聞かせるでもなく、
そう呟いていた。
少女は、もう二箱目に手を伸ばしている。
スプーンの動きは速い。
だが、雑じゃない。
本気だ。
(……勝負、か)
魔法でも、
忍術でもない。
ただ、食べるという行為で競う。
この世界らしくて、
そして、どこかおかしい。
私は、もう一口、クリームをすくった。
甘さが、口いっぱいに広がる。
――今日は、
確かに、客が多い日だ。
そしてこの小さな建物は、
一時的に平和な戦場になった。




