男の子(前編)
西へ向かうにつれて、景色はゆっくりと変わっていった。
施設を中心に広がっていた豆腐建築の群れは、
距離を置くごとに数を減らし、
やがて「跡」と呼ぶほうが正しい残骸に変わっていく。
四角い壁の名残。
途中で放棄された床。
屋根だけがぽつんと残り、
中身のない空洞を晒している建物。
「……人の気配、薄くなってきたな」
レイザーが言う。
「果ては、こんなもんだ」
シンは淡々と答えた。
私は、足元の地面を見る。
整えられたタイルは、
いつの間にか姿を消していた。
踏みしめるのは、
柔らかい土。
だが、掘っても何も出ないことは、
もう知っている。
資源も、痕跡も、
意味のある“発見”はない。
(……それでも)
歩みを止める理由は、なかった。
世界の果てを確かめたい。
それだけで、足は前に出る。
どれくらい歩いたのか。
時間の感覚は、もう曖昧だった。
そのとき。
「……なんだか甘い匂い、しねぇか?」
レイザーが、立ち止まる。
私も、気づいていた。
空気に、
甘い匂いが混じっている。
砂糖。
乳。
それらが溶け合った、
懐かしく、強い香り。
「……甘味か」
シンが、わずかに眉を動かす。
この世界では珍しい。
食事は、
「必要な栄養」を満たすためのものがほとんどだ。
味を追究する者は少ない。
甘さに、時間と手間をかける者は、なおさら。
匂いの元を辿ると、
一軒の建物が現れた。
豆腐建築。
だが、他とは違う。
壁は古く、
補修された跡が何重にも重なっている。
放棄された建物ではない。
使われ続けている建物だ。
窓はなく、
扉だけが、静かに閉じている。
その隙間から、
甘い匂いが、途切れることなく漏れていた。
「……入るか?」
レイザーが、私を見る。
私は、少し考える。
罠の気配はない。
魔法対戦の位相も感じない。
危険は、少ない。
「覗くだけ」
そう言って、
私は扉に近づいた。
触れる前から、
匂いが強くなる。
(……これは)
懐かしい。
地球で、
菓子屋の前を通ったときの匂いに、よく似ている。
私は、そっと扉を押した。
きい、と小さな音。
中は、薄暗かった。
だが、
中央に置かれた大きな作業台が目に入る。
その上には、
無数のボウル。
そして。
床には、
同じ形をした箱が、
几帳面に積み上げられている。
「……冷却箱か?」
シンが、低く言う。
確かに、
箱の周囲には、ひんやりとした空気が滞っていた。
だが、
それ以上に目を引くものがあった。
作業台の向こう。
背中を向けて、
誰かが、ひたすら手を動かしている。
一定のリズム。
休むことのない回転。
金属が、ボウルの内側を擦る音。
しゃりしゃりしゃり、と。
その動きは、
魔法でも、アセットでもない。
ただ、
人の手だった。
私は、息を殺す。
レイザーも、
シンも、
黙ったまま、様子を見ている。
その背中から、
敵意は感じられない。
ただ、
異様な集中だけが、あった。
甘い匂いは、
その手の動きから、生まれている。
声をかけるべきか。
それとも、去るべきか。
迷いが、胸に浮かぶ。
だが。
ボウルをかき混ぜる音が、
一瞬だけ、止まった。
そして。
「……あ」
小さな声。
少年が、
ゆっくりと、こちらを振り返った。




