シノ(前)
視界が、まだ揺れている。
腹部に叩き込まれた衝撃は、致命ではない。
(……強い)
単純な評価だった。
魔法でも、技巧でもない。
人間の身体を、限界まで正確に引き上げた結果。
身体強化。
それだけで、ここまで到達する。
私は、すぐには動かない。
忍びは、まず“状況”を見る。
相手は、まだ余裕がある。
走馬は、使われていない。
(ここからが本番)
私は、袖の中で丸薬を生成する。
噛み砕く。
一粒目。
膂力の丸薬。
筋肉が、瞬間的に収縮する。
限界を超えた動きが、可能になる。
――代償は、崩壊。
長くは、もたない。
二粒目。
俊足の丸薬。
脚が、異様に軽い。
関節の警告を、脳が無視する。
(そのうち、外れる)
問題ない。
三粒目。
忍耐の丸薬。
痛みが、鈍る。
いや、違う。
痛みが、判断材料に変わる。
意識は、落ちない。
逃げ場も、なくなる。
四粒目。
生命の丸薬。
内部で、再生が始まる。
この世界では、
これはほぼ完全回復薬だ。
元の世界では、
考えられない贅沢。
だが、今は使う。
私は、踏み込む。
俊足。
床が、追いつかない。
拳が来る。
――避けない。
体術。
急所。
関節。
重心。
骨法術。
だが、通らない。
筋肉の密度が、違う。
衝撃が、吸われる。
(想定内)
私は、口を開く。
含み針。
至近距離。
視線の死角。
走馬が、反応する。
だが、致死ではない。
判断が、ほんの一瞬、遅れる。
その隙に――
強化手甲鉤。
刃が、皮膚を裂く。
浅い。
だが、確かに通った。
シンの視線が、私の手を追う。
(確認された)
刃は、すぐに鈍る。
だから、捨てる。
私は、深追いしない。
水遁の術。
水が、球状に展開し、
シンを包む。
――走馬。
即座に、抜ける。
水滴が、床に散る。
(回避ルート、固定)
次。
雷遁の術(弱)。
雷を、撃たない。
大気に、仕込む。
静電気。
微弱。
だが、持続。
完全異常耐性。
だが、
これは異常じゃない。
環境だ。
空間全体が、
わずかに、反応を鈍らせる。
シンの動きが、
ほんの僅かに、重くなる。
気づかれない程度。
だが、積み重なる。
時間が、流れる。
呼吸が、増える。
床の傷が、増える。
私は、分身の術を使う。
二人に、分かれる。
――両方、本物。
リスクは、ない。
忍びは、
自分を疑わない。
シンが、笑った。
「どっちが本物だ?」
「さぁ」
分身が、同時に動く。
前。
横。
選択を迫る。
走馬が、まだ使われない。
シンは、楽しんでいる。
拳を振るい、
踏み込み、
私たちを追う。
強化手甲鉤を、付け替える。
裂く。
鈍る。
捨てる。
また、裂く。
筋肉が、悲鳴を上げる。
脚が、外れかける。
忍耐が、意識を縛る。
(……まだ、動ける)
時間が、積み重なる。
粉末が、尽きる。
紐が、切れる。
それでも、私は動く。
シンは、楽しそうだった。
挑まれることを、
心から、楽しんでいる。
私は、抗い続ける。
忍びは、
試し続ける。
世界が、少しずつ削れていく。
戦いは、まだ終わらない。




