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夏の夜の夢

作者: 真壁真
掲載日:2026/01/03

学生の頃に書いたものに、少し手を加えました。

夏の夜、灯籠流しをテーマにした短編です。

静かな物語が好きな方に届けば嬉しいです。


「また、寂しい季節がやってきた……。」


誰かの溜息が聞こえた。

そのどこか投げやりな声を、私は知っている気がする。

どこで聞いたものなのか、記憶を掘り起こす。

頭に浮かぶ姿には靄がかかっていて、その曖昧さを払おうとする度に激しい頭痛がする。

もう少しで声の主が鮮明になるところで、私の世界は黒く染まった。



目が覚めた時、私は浴衣を身にまとって暗い一本道にいた。

ここはどこだろうか。

暗闇に呑まれてしまいそうで心細い。


深呼吸をして耳を澄ます。

微かに人の声がした方に視線を向けると光があった。縋るような気持ちで、私は駆けていった。



光が密集するそこはまるで夢の国だ。

ソースのいい匂い、友人とはしゃぐ高校生、水風船の浮かぶ箱の前にしゃがむ恋人同士。

各々でお祭りを楽しむその姿は、甘い香りに誘われ綺麗な花に集まる蝶のよう。

蝶たちが花畑をひらひら舞う中、私はひたすら足を進めていた。

お祭りを楽しみたいが、私は他に行くべきところがある気がする。いや、行かねばならないのだ。よくわからない何かに導かれるように私は早足に歩いた。


お祭りが行われていたところから、少し離れたところで足を止めた。

ここが、私が来るべき場所。


目の前には大きな川が広がっていた。

水面をゆらゆら流れるぼんやりとしたオレンジ色を見るとなんだか寂しくて、それでいて懐かしい気持ちになる。


この腑に落ちない感覚はなんだろうか。さっきからもう訳が分からない。

ため息をこぼした時、少年の声が聞こえた。


「この日にいつもしていることがあるんだ。」


十七、十八くらいの少年が、隣にいる少女に言った。

少女は首を傾げて、しゃがみ込む少年を見ていた。

少年は水の上に灯籠を浮かべた。音も立てずに静かに流れていく灯籠は、他の灯籠と集い、下流へ流れていく。オレンジ色の光の集まりが闇をぼんやりと照らす。


「わぁ……綺麗だね。」


少女はその光景を見て呟いた。

少年は少女に「また来年一緒に来ようね」と約束を交わしていた。



――――――ちりん。

鈴の音がした方を向くと、今度は二十代の女性が川を見つめていた。


「ねぇ、灯籠流しって寂しいね」


女性は遠ざかるオレンジの光をみながら、隣に立つ男性に言う。女性と同い年、もしくは年上に見える男性は苦笑した。


「死者の魂を弔って、お盆のお供え物を流す行事だからね。でも、僕はこうやって母に届くのなら嬉しいなって思っているよ。」


彼の言葉に彼女は応えなかった。ただずっと流れる灯籠を見つめていた。






――――――ちりん、ちりん。


「おかあさん、あれ、なあに?」


五歳くらいの男の子は、母親の手を引きながら川に浮かぶオレンジを指差した。母親は子どもの手を包むように握った。指でさしたらダメだと優しく諭しているようだ。


「あれは灯籠って言ってね、死んだ人を想い流すものなの。」

「とうろう?」


母親の言葉を復唱する子ども。母親は小さく笑った。


「ほら、お父さんが持っているのが灯籠だぞ。」


灯籠を持った父親が、子どもと同じ高さになるように屈む。

「一緒に流そうか。」という父親に寄り添い、三人は灯籠を川に放った。






――――――ちりん、ちりん、ちりん。

また振り返ると、そこには七十くらいのお婆さんが一人立っていた。

ゆっくりとした動作で腰を下ろし、他の人と同様に灯籠を浮かべた。

お婆さんは消えていく灯籠を眺めながら優しく微笑んでいた。

死者を弔う行事には似合わないような嬉しそうな笑顔だった。






――――――ちりん。

鈴が鳴ると同時に、世界はまた暗闇に包まれた。

はじめと同じような何もない真っ暗な世界。さっきまでいた人たちは消えていた。


私はあの人たちを知っていた。あの少女、女性、母親、お婆さん―――あれは全部、私。そしてその隣にいた少年、男性、父親こそが私の想い人だ。

高校生の時から付き合い始めた幼馴染と、生涯を共に過ごしたいと願った。そしてその願いは叶ったのだ。私たちは子を授かった。幸せだった。大好きな人と共に過ごせ、愛する子を授かり、一人の女として幸せだった。そして産んだ子は成長し、私はお婆さんになった。


幸せだったのだ。

生涯好きな人といられて。いつも隣には彼がいて。私がお婆さんになっても隣に―――あれ?お婆さんになった時に彼は隣にいなかった。

いつから私は独りだった?

いつから隣にいた彼はいなくなった?



ふと思い出した彼は、四十歳後半の姿。病院で横たわってやせ細っている姿が鮮明になる。真っ白なシーツが赤く染まったことを思い出した。


ああ、あの時彼は死んでいたのか。


最初は彼の死を受け入れることができなかった。でも、灯籠流しをする度に、彼に会えた気になれた。

寂しくなんてなかった。

あぁ、私がお婆さんになった今、彼が死んだ現実を理解しただなんて。なんと滑稽なことか……。


ついでにもう一つ思い出した。私は死んだ。

何十年も彼を想い続け、独りで灯籠を流し続けた人生が終わったのだ。

もう疲れていたのだ。独りで生きることも、隣にいない彼を想うことも。

最後はボケてしまってよく覚えてないが、私の生涯には悔いはないはずだ。

一人の人間としての夢や希望を追う人生ではなかったし、野望を持つこともなかった。

人は私の人生をつまらないと言うだろう。だが、私は一人の女として生きることができたこの生涯を嬉しく思う。輪廻転生があるというのなら、また次も人間の女に生まれたい。そして彼ともう一度出会って、また恋をしたい。



ああ、もうそろそろ終わりだね。ぼーっとして何も考えられない。

――――――さようなら。





ピ――――――――――――ッ




心音が途絶える音は無機質だ。

無数の機械の管に繋がれた彼女は逝ってしまった。体の弱い人だった。

僕と彼女は幼馴染だった。家が隣で、幼稚園も小学校も僕たちはいつも一緒にいた。

彼女が僕の隣を歩かなくなったのは、小学校四年生が終わるころだ。

母親に、彼女が入院したと聞かされた時には驚いた。寂しがりやの彼女が、独りで病院にいる姿を想像して、家から飛び出した。僕はその日から毎日欠かさず、彼女のいる病院に通った。


今日は先生に怒られた。道草に生えている花が綺麗だった。花の名は知らない。――――――くだらない事を毎日話しに行った。

彼女は病院から出ることはなかったが、毎日笑顔で僕の話を聞いてくれた。

そんな彼女に、僕は年を重ねるたびに惹かれていった。


僕たちが恋人同士になるのには長い時間を要した。高校生になってやっと僕と彼女は付き合いだした。付き合っても、僕と彼女の関係はあまり変わらなかった。僕は彼女にいろんな話をした。学校での出来事や、道端の木々や花の様子。町の風景。

その中で彼女が興味を示したのは、夏のお祭りと灯籠流しだ。


彼女には、小学生の時に事故で亡くなったお母さんがいた。彼女はお母さんの事を想って灯籠を流したいと願った。僕は、彼女の代わりに毎年灯籠を流しにいくと約束した。

そして未来の話をたくさんした。

退院したら一緒に灯籠流しにいくこと。三十になったら子どもを授かって、幸せな家庭を築くこと。遺伝の病気があるから、四十後半で僕が君より先に逝くこと。その時は、僕のことを想って灯籠を流してほしいということ。「絶対に私の方が先に逝くよ……。」と弱音を吐く彼女に、「先に逝って待っていてやる。」と言った。実際には彼女が先に逝ってしまった。


彼女は幸せだったのだろうか。


病室に十数年と閉じ込められて、二十前半で生涯を終えて、幸せだったのだろうか。

ふと、横たわっている彼女に目をやると穏やかに微笑んでいた。最後にいい夢でも見られたのだろうか。僕にはなにも分からない。

ただ一つ分かることは、もうこの世に彼女がいないということだ。


病院の窓から見える夜空に一輪の白い花が咲いた。


今日は花火大会だったか。彼女のために、灯籠を流しに行かなくては。


「夏は寂しくなんてないよ。皆楽しそうに笑っているもの。思い出話とかも多いし、楽しい季節だよ。」


いつしか彼女が僕に言った言葉を思い出す。

僕は夏が来る度に「寂しい季節が来た」と言うと彼女は反対した。だけど、僕の考えは変わらない。


やはり夏は寂しい。儚すぎるのだ。蝉の鳴き声も、花火も灯籠もすぐに消えてしまう。そして僕は独り、取り残される。「生きる」という希望を死者に託されたまま、僕は灯籠を手に暗闇へ消えていく。


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