第九十四話:引退式
「引退式なんて、そんな大げさなのは嫌だよ」というミオの希望を汲んで、それは折原家の庭で行われる、ごく身内だけの小さな「お疲れ様会」になった。
庭には、九条院がどこからか手配してきた最高級の肉と、ルナが持参した特製のスイーツ、そして一ノ瀬が「修行先で手に入れた」という珍しい山菜が並んでいる。
「ミオさん、本当にお疲れ様でしたわ!」 ルナがノンアルコールのシャンパンを開け、宴が始まった。
忙しい公務の間を縫って駆けつけた九条院は、高級スーツの裾をまくり上げ、慣れない手つきで肉を焼いている。 「いいか、折原。これは僕からの『退職金』代わりだ。焦がさないように焼くのは至難の業だが、完璧に仕上げて見せよう」
「あはは、九条院くん、火が強すぎだよ! 炭になっちゃう!」
一ノ瀬は、かつての生真面目な顔を少し緩め、ミオの隣で静かにグラスを傾けていた。 「……結局、最後まで俺はあなたに勝てませんでした。でも、これからはあなたの背中を追うのではなく、あなたが歩く道を俺たちが守っていきます」
「一ノ瀬くん……。うん、頼りにしてるね」
宴もたけなわ、結衣がカメラを取り出して「はい、チーズ!」とシャッターを切る。そこには、世界を救った英雄たちとは思えない、等身大の若者たちの笑顔が収められていた。
ふと、ミオは騒がしい輪から少し離れ、庭の隅にある古井戸を見つめた。 暗闇の中、三つの小さな光が、まるでお祭りに参加したがっているかのように、楽しげに弾んでいる気がした。
(……ねえ、師匠たち。見てる? 私、こんなに素敵な仲間に囲まれてるよ)
かつて孤独に幽霊を怖がっていた少女は、もうどこにもいない。 みんなの笑い声が夜空に溶けていく。 それは、激動の時代を駆け抜けた彼女たちへの、世界からの優しい報酬のようだった。




