第八十二話:師匠たちの「宿題」
ダンジョンでの無残な敗北から数日。ミオは、世田谷の自宅の自室に引きこもっていた。
カーテンを閉め切り、薄暗い部屋で膝を抱える。鏡を見る必要すらない。今の自分が、師匠たちが守り抜いた「誇り」を失った、ただの空っぽな少女に見えて仕方がなかった。
――トントン。
静かな部屋に、ドアをノックする音が響いた。
「ミオ先生、開けてください」
一ノ瀬の声だ。いつもより少しだけ低く、けれど確かな意志を感じさせる響き。
「……帰って。今は、誰とも会いたくないの」
ミオが声を絞り出す。だが、その願いは聞き届けられなかった。ガチャリと鍵が開く音がして、扉がゆっくりと押し開けられる。
「ごめんなさい、勝手に開けましたわ」
ルナが、手にしたスペアキー(以前、掃除中に預かっていたものだ)を揺らしながら入ってきた。その後ろに、一ノ瀬が神妙な面持ちで立っている。
「……」
ミオは顔を上げないまま、布団を被り直した。
「ミオ先生。俺たち、心配してるんです。ダンジョンで怪我をしたと聞きました」
「心配しないで。私は、大丈夫だから……」
「大丈夫じゃないですわ! ミオさん、また痩せましたわね? 頬がこけていますわ」
ルナがベッドの脇に座り込み、布団越しにミオの肩を掴む。その手の温かさが、かえってミオの胸を痛ませた。
「ミオ先生……。師匠たちを失って、辛いのは分かります。自分の力が信じられなくなるのも……」
「分からないよ……! 一ノ瀬くんには、分からないよ……」
ミオが布団から顔を出し、叫ぶように遮った。
「私の頭の中には、ずっとあの人たちがいたの! 叱ってくれて、助けてくれて、笑ってくれて……。それが急にいなくなって、私は一人でどうやって歩けばいいのか、戦えばいいのか、もう何も分からないんだよ!」
涙が溢れ出し、止まらなくなる。その激しい感情を受け止めるように、一ノ瀬は静かに、けれど強く言葉を紡いだ。
「……確かに、完全には分からないかもしれません。でも、俺も大切な人を失ったことがあります。かつての戦いで仲間を失い、自分の剣が何のためにあるのか見失った」
「……」
「その時、俺は何もできなくなりました。ただの抜け殻だった。でも……ミオ先生が、あの時俺に手を差し伸べてくれた。あなたのその『芋ジャージ』の背中が、俺に前を向かせてくれたんだ」
一ノ瀬が、震えるミオの前でそっと右手を差し出した。
「だから今度は、俺がミオ先生の手を取る番です。あなたが一人で歩けないなら、俺たちが杖になります」
「私もですわ。ミオさんが私を闇から救ってくれたように、今度は私たちが、ミオさんを支えます。一人で背負おうとしないでください」
ルナも反対側の手を添える。二人の真っ直ぐな瞳。そこには、英雄としてではない、一人の友人としての深い情愛があった。
「……二人とも……っ。ごめん、私……弱いね。最強の継承者なのに、こんなに弱くて、情けないね……」
「弱くないです。ミオ先生は、誰よりも強い。……自分の弱さを認められる人は、そこからさらに強くなれる。俺はそれを、あなたから教わったんです」
「そうですわ。だから、たまには弱いところも見せてください。私たちは、そのためにここにいるんですから」
「……うん……っ」
ミオは二人の手を取った。 三人の魂が去った後、ぽっかりと空いていた心の穴。そこに、新しい温もりが少しずつ流れ込んでくる。
師匠たちはもういない。けれど、師匠たちが繋いでくれた「仲間」という宝物が、今の自分を支えてくれている。
ミオは、久しぶりに声を上げて、子供のように泣いた。それは、過去への決別ではなく、新しい一歩を踏み出すための、魂の雪解けだった。




