第七十二話:最終決戦の準備
石造りの大扉を潜った先は、折原家の地下とは思えない、果てしなく広がる「霊素の深淵」だった。青白い炎が揺らめくような幻想的な空間。そこには、世界中のダンジョンゲートを繋ぎ止めている巨大な「核」が、心臓のように脈動していた。
ミオはその核の前に立ち、ゆっくりと深呼吸をした。 背後に漂う三人の師匠たちの霊体は、いまや風に舞う煙のように儚い。彼らの意識は、もうほとんど残っていないはずだった。
「……ねえ、師匠。聞こえる?」
ミオは虚空に向かって、静かに語りかけた。
「周防さんが教えてくれたこと、考えてた。……このゲートを完全に閉じるには、外から壊すだけじゃ足りないんだよね。……内側から、誰かがこの膨大な霊素を全部受け止めて、『無』に還さないといけない。……そうでしょ?」
静寂。しかし、ミオの脳内に、かすかな震えが伝わった。 それは言葉ですらない、師匠たちの「遺志」の残滓。 彼らが最後に遺した「宿題」の答えが、ミオの意識に流れ込んでくる。
――禁忌の奥義:完全同化。
三人の師匠の魂と、ミオの魂を完全に一つに溶け合わせる。獅子王の剛力、周防の知略、影縫の技術、そしてミオという器。四つの個性を消失させ、一つの「概念」へと昇華する。 発動できれば、時間も空間も超越した、神に等しい力を得ることができるだろう。だが、その代償はあまりに重い。
『……ミオ。……それをやれば、……俺たちは……お前から……分離できなくなる。……意識そのものが、……消えて……お前の中に……溶ける……』
途切れ途切れに聞こえたのは、獅子王の声だった。 それは「消滅」を意味していた。二度とミオに声をかけることも、姿を見せることもできなくなる。師匠たちの「幽霊」としての人生すらも、そこで終わる。
「……わかってる。わかってるよ……っ」
ミオは、また涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。 ここで拒めば、師匠たちの霊体はあと数分で自然に消滅し、世界はアルカディアの手によって滅ぶ。受け入れれば、世界は救えるが、彼らとの「対話」は永遠に失われる。
「……私、やっぱり食いしん坊なんだね。……師匠たちの力、……一滴も残さず、全部私の血肉にしたいと思っちゃうんだもん」
ミオは芋ジャージの袖で、乱暴に涙を拭った。 悲しい。死ぬほど寂しい。けれど、不思議と心は温かかった。
「……いいよ。……消えるんじゃないもんね。……私の一部になって、……ずっと一緒に、美味しいもの食べるんだもんね。……そうでしょ、周防さん? 影縫じいじ?」
ミオは、脈動する「核」に向かって一歩を踏み出した。 彼女の全身から、これまでにないほど澄み切った黄金の霊圧が立ち昇る。
「……作戦開始。……制限時間は十分。……十分で、全部お片付けして、……最高の『ごちそうさま』を言おう」
ミオは自分の胸に、三人の師匠の手が重なっているのを感じた。 幻ではない、確かな熱。 少女は静かに目を閉じ、魂の全領域を解放した。 「――完全同化、……開始」
深淵の闇が、眩い白光に飲み込まれていく。 折原ミオという一人の少女が、世界の命運を背負う「唯一の存在」へと変貌を遂げようとしていた。




