第六十八話:東京防衛戦
東京の街は、もはやミオが知っている「帰り道」ではなかった。
空にぽっかりと開いた赤黒い穴から、絶え間なく魔獣が降り注ぎ、聞き慣れた街の喧騒は、人々の悲鳴と獣の咆哮に塗り潰されている。
「あ、ああっ……!」
ミオは世田谷の自宅跡地、瓦礫の山に膝をついた。目の前では、かつてパパとママが大切に育てていた花壇が、巨大な魔獣の足に踏み荒らされている。
「……嫌だ。……こんなの、嫌だよ……っ」
ミオの体はガタガタと震えていた。まだ十六歳の、どこにでもいる芋ジャージの女子高生だ。昨日まで一緒にご飯を食べていた日常が、自分のせいで奪われた。その恐怖と罪悪感が、冷たい泥のように彼女の心に溜まっていく。
だが、その震える肩を、透き通った大きな手がそっと包み込んだ。
『……ミオ。……そんな顔すんな。お前はよくやってる』
獅子王の声だった。見上げれば、そこに立つ師匠の姿は、向こう側の景色がはっきりと見えるほどに薄くなっている。
「……師匠! なんで……なんでそんなに透けてるの!? 私の霊素(魔力)をあげる、だから、お願い……!」
ミオは必死に手を伸ばし、自分の体力を削ってでも霊素を分け与えようとする。
しかし、彼女の手は空しく獅子王の体をすり抜けた。
師匠たちは、壊れた封印から漏れ出す「世界の濁り」を浄化するために、自らを犠牲にしてミオの肉体を、そしてこの東京の結界を支えていた。
『……お嬢さん、無駄です。……私たちは、もうすぐ消えます』
周防が、いつもの冷静な、けれどどこか悲しげな微笑みを浮かべて告げた。
『ですが、それはあなたが失敗したからではありません。……私たちが、あなたに未来を渡すと決めたからです』
「……そんなの、いらない!!」
ミオは子供のように叫び、涙をボロボロと零した。
「私、師匠たちがいない世界なんて知らないもん! 誰が私の修行を見てくれるの!? 誰が『美味しい』っておかわりしてくれるの!? ……寂しいよ。……一人にしないでよぉっ!!」
一ノ瀬も、ルナも、その慟哭を前に言葉を失った。
師匠たちはミオにとって、単なる技術の伝達者ではなかった。血の繋がらない、けれどそれ以上に深い絆で結ばれた「もう一人の親」だったのだ。
その時、頭上の空が裂け、超大型魔獣が地上に迫る。
ミオは泣きじゃくりながら、拳を固めた。
『……往け、ミオ。……俺たちが、……背中を押している。……一人に、……させない……』 影縫の低い囁きが、ミオの耳元で響く。
「……う、……ぅあ、あぁぁぁぁぁ!!!」
ミオは涙を拭うこともしないまま、叫び声を上げながら天へ跳んだ。
視界は涙で滲んでいる。けれど、背中に感じる三人の温もりが、彼女の肉体に火を灯す。
黄金の光が、東京の曇天を切り裂いた。
獅子王の剛腕で敵を粉砕し、影縫の速さで闇を駆け、周防の瞳で死角を射抜く。
戦うたびに、ミオの心は「ありがとう」と「行かないで」の間で引き裂かれていた。
魔獣を一体倒すごとに、師匠たちの輪郭がまた一段と薄くなっていく。
それは、勝利へのカウントダウンであると同時に、愛する人たちとの永遠の別れへのカウントダウンでもあった。
「……パパもママも、師匠たちも……。なんで、私を置いていく人ばっかりなの……」
ミオは空中で魔獣を殴り飛ばしながら、顔中を涙でぐちゃぐちゃにして叫び続けた。
それでも、その拳は止まらない。止まってしまえば、師匠たちが命を懸けて繋いだこの「今」が、本当に無駄になってしまうから。
夕日に染まる東京。
芋ジャージの少女は、泣きながら、叫びながら、たった一人で世界を背負い、天の穴へと突き進んでいく。




