第六十六話:崩壊の始まり
新宿の地下から這い出したミオの目に飛び込んできたのは、燃える東京の空だった。
世田谷の古井戸から噴き上がった霊素の柱は、もはや一軒の家の庭に収まる規模ではない。
空に穿たれた巨大な穴から、神話にしか登場しないような異形の魔獣が雨のように降り注ぐ。
東京だけでなく、大阪、名古屋、福岡……日本全土の主要都市でダンジョンゲートが暴走し、街が物理的にダンジョン空間へと塗り替えられていく。
「……うそ、だ……」
ミオは崩れ落ちた。自分の振るった力が、アルカディアに利用され、封印を内側から爆破してしまった。自分が守りたかった日常を、自分の手が壊したのだという残酷な事実が、彼女の心を粉々に打ち砕く。
「……私のせい。……私が、戦わなければ。……みんな、ごめんなさい……」
自責の念に押し潰され、動けなくなるミオ。その背後に、魔獣の鋭い爪が迫る。 だが、その爪が届く前に、銀光が走った。
「――『一閃』。……ミオ先生、顔を上げてください」
一ノ瀬だった。返り血を浴びた彼は、静かに、しかし力強くミオの前に立つ。
「先生一人のせいにするほど、僕たちは柔じゃありません」 「そうです! ミオさん、一緒に戦いましょう。まだ、何も終わってません!」
ルナが盾を構え、押し寄せる魔獣の波を食い止める。九条院もまた、満身創痍の体で重力魔法を展開した。
「折原、お前は少し休め。ここは……エリュシオンの思い通りにさせたくない連中だけで、何とかしてやる」
さらには結衣までもが、震える足でミオに駆け寄り、その小さな手を握りしめた。 「ミオ……あなたのせいじゃない。あなたが戦ったから、私たちは今ここにいられるんだよ。だから、そんな顔しないで……」
仲間たちの声に、ミオの意識が辛うじて現実へと繋ぎ止められる。だが、一番の衝撃は彼女の「内側」からやってきた。
『……お嬢、さん……。……聞こえ、ますか……?』
周防の声が、今にも消え入りそうなほど微かになっていた。脳内を見れば、黄金の獅子も、怜悧な軍師も、静かなる暗殺者も、その輪郭が透き通り、今にも霧散しそうに揺らめいている。
「……師匠? ……どうして、そんなに薄くなってるの……?」
『……封印が、壊れたからな……。俺たちの魂を繋ぎ止めていた、この家の「核」が剥き出しになっちまった。……霊素が逆流して、俺たちの意識まで吸い出されてやがる』 獅子王が、弱々しく、だが不敵に笑う。
『……守らねば……。お前を……最後まで……』 影縫の執念だけが、辛うじて彼らをこの世に繋ぎ止めていた。
その時、東京中の大型街頭ビジョンが、ノイズの後に一人の男を映し出した。アルカディアだ。彼は崩壊する街を背景に、慈愛に満ちた、狂気の色を湛えて微笑む。
『人類よ、これが進化の試練だ。適応できない旧人類は淘汰され、世界は真の姿へと還る。……祝おう、新世界の到来を』
ミオは震える手で地面を突き、ゆっくりと立ち上がった。 目には涙が溜まっている。だが、その奥には、絶望を焼き切るような意志の灯火が宿っていた。
「……師匠たち。……行かないで。……消えないで」
ミオは空を見上げ、空腹すら忘れるほどの激しい決意を、燃え盛る空に向かって叩きつける。
「……私、まだ何もお返しできてない。……美味しいもの、いっぱい食べさせてあげてない。……だから、勝手にデザートの時間にしないで。……待ってて、師匠。……今度こそ、私がみんなを守るから!!」
芋ジャージの少女が、再び拳を握る。 日本全土を巻き込んだ、史上最大の「お片付け」が、ここから始まる。




