第五十七話:仮初めの帰還
首都圏での喧騒が嘘のように、ミオの実家周辺は静まり返っていた。
郊外にひっそりと佇むその古民家は、ミオが幼い頃から見慣れた「ただの家」のはずだった。
だが、門をくぐった瞬間に肌を刺した違和感に、ミオの足が止まる。
「……おかしい。……お家の匂いが、……変わってる」
『……お嬢さん、警戒を。……侵入者がいましたね。少なくとも三人。……しかも、隠密のプロです』 脳内で影縫の声が鋭く響く。
「……本当だ。……庭の土、踏みしめられてる。……ルナ、一ノ瀬くん。……気をつけて」
三人が慎重に家の中へ踏み込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
居間は荒らされ、父の自慢だった書斎の蔵書は床にぶちまけられている。
まるで何か特定の「記録」を探し回ったかのような、執拗なまでの荒らされ方だった。
「……誰かいるの!?」
返事はない。ミオは震える手で両親が亡くなってから放置している父の書斎へも向かったが、そこも空だった。
『……ミオ、お嬢さん。……地下室へ。……いや、中庭の古井戸です。……そこから、ひどく澱んだ霊素が漏れ出しています』
周防の指示に従い、三人は中庭へ飛び出した。
そこには、普段は重い石蓋で閉じられ、物置として使われていた古井戸がある。
だが、その蓋は微かにずらされ、周囲には見たこともない複雑な術式の痕跡が刻まれていた。
「……それを覗くのは、お勧めせんよ」
背後から響いた、枯れ木が擦れるような声。
三人が一斉に振り返ると、そこにはいつの間にか一人の老人が立っていた。
着古した着物を纏い、腰には古びた長剣。白髪混じりの長い髭を蓄えたその老人は、どこか浮世離れした雰囲気を纏っている。
「……だれ。……泥棒の、お仲間?」 ミオの瞳に、黄金の霊圧が宿る。
「……カッカッカ。泥棒とは心外な。……私は久我。……お前の両親の、古い同僚だ」
『……くせえ。……お嬢さん、気をつけろ。この爺、ただ者じゃねえぞ。……内側に「獣」を飼っていやがる』
獅子王がかつてないほど激しく警戒し、霊体としてミオの肩越しに姿を現す。
『……元探索者……いや、それ以上の存在です。……国家機密レベルの人物ですね』
周防の分析も重なる。
久我と呼ばれた老人は、ミオの背後に漂う三人の師匠たちの気配を「見えている」かのように、細い目をさらに細めた。
「……折原ミオ。お前の家は、ただの『龍脈の終点』ではない。……この井戸の下にはな、世界を滅ぼしかねない『何か』が封印されているのだ。……この家は、それを抑え込むための巨大な装置そのものなのだよ」
「……封印? ……お家が、装置?」
「そうだ。お前の両親……折原夫婦は、しがない会社員などではない。……国家最高機密組織『封印監視官』の精鋭だった。……そして、エリュシオンという狂信者どもが、その封印の『鍵』であるお前を狙っている」
久我の告白は、ミオの信じていた日常を根本から叩き壊した。
パパの不器用な笑顔も、ママが作ってくれたお弁当の味も、すべてはこの凄惨な真実を守るための「仮初め」だったというのか。
「……近いうちに、奴らが本格的に動く。……逃げるか、戦うか。……選ぶのはお前だ」
久我はそれだけを告げると、陽炎のようにその場から姿を消した。
その夜、ミオは眠れなかった。
庭の古井戸から、時折「ゴリ……ゴリ……」と、何かが這い上がろうとするような音が聞こえてくる。
「……おにぎり。……味が、しない」
暗闇の中、ミオは自分の拳を強く握りしめた。 守られるだけの子供でいる時間は、もう終わったのだ。




