第五十三話:嵐の前夜
『嘆きの森』の入り口に設置された臨時キャンプ。
いくつもの魔導篝火が夜の帳を焼き、重苦しい鉄の匂いと緊張感が漂っていた。中央の大型天幕には、招集されたBランクパーティーの精鋭たちが集結している。
その中心で、探索者協会の現地責任者・クロガネ統括官が、投影された立体地図を指し示した。
「状況は最悪だ。森の奥深くで霊素反応が指数関数的に増殖している。四十八時間以内にスタンピードが発生する確率は九〇%……いや、もはや時間の問題だろう。目標はただ一つ。森の最深部にある『巣穴』を破壊し、魔獣の発生源を断つことだ」
クロガネの鋭い視線が、円卓を囲む者たちを射抜く。
「作戦編成を発表する。第一部隊、アイアン・シェフ。お前たちが前衛として陽動と突破を担え。第二部隊、エレメンタル・オーケストラ。中衛にて広域制圧魔法による露払いを。第三部隊、鴉の巣。後衛から偵察と奇襲を行い、不測の事態に対処せよ」
そこまで言い終えて、黒鉄は卓の端で芋ジャージの襟を弄っているミオたちへ目を向けた。
「……そして第四部隊。新人の折原、一ノ瀬、ルナ。貴様らは予備戦力だ。基本は後方待機、指示があるまで動くことは許さん」
その言葉に、待ってましたとばかりにボルグが鼻で笑った。
「妥当な判断だな、統括官。戦場はガキの食育会場じゃねえ。邪魔だけはすんなよ、芋ジャージ」
「美しくない戦いに巻き込みたくないわ。私たちの旋律の後ろで、耳でも塞いでいてもちょうだい」
ヴィオラも優雅に扇子を揺らし、新人を「戦力外」として切り捨てる。
クロウだけは何も言わず、ただ値踏みするような視線をミオの細い首筋に送っていた。
屈辱に拳を握る一ノ瀬。だが、ミオは相変わらずのトーンで、独り言のように呟いた。
「……見てろよ、プロども。……美味しいところ、全部持っていくから」
作戦開始を翌朝に控え、キャンプ地では束の間の休息が訪れた。夜営の火を囲む中、意外な交流が始まる。
「……おい。……さっきは悪かったな。これ、一つもらっていいか」
不機嫌そうにやってきたのは、ボルグだった。
ミオが差し出した山盛りの塩おにぎりを見て、彼は毒見でもするかのように一つを口に放り込む。
次の瞬間、ボルグの岩のような筋肉がビクンと跳ねた。
「……っ!? なんだこの弾力は! それに、喉を通るたびに魔力が胃袋から逆流してきやがる……。おい、お前……いい米使ってんな」
「……お米じゃない。……霊素の『握り方』」
ミオの淡々とした返答に、ボルグの態度は目に見えて軟化していった。
その傍らでは、一ノ瀬がクロウと向き合っていた。
「鴉の巣のクロウさん。……あなたの影移動、踏み込みの瞬間に霊素を散らしていますね。重心の消失……影縫さんの教えに近い」
「……ほう。……ガキのくせに、よく見ている。……お前の剣、迷いがない。……悪くない刃だ」
無口なクロウが、初めて一ノ瀬を「対等な剣士」として認めるような言葉を漏らす。
さらに、ルナはアイアン・シェフの盾持ちたちと「盾談義」に花を咲かせていた。
「ルナちゃん、その小ぶりな盾でどうやって衝撃を逃がしてるんだ?」
「えっと、ミオさんに『卵を割るように受けろ』って言われて……。衝撃を吸収するんじゃなくて、自分の体を透過させて地面に捨てるんです!」
「透過……? そんな理論、聞いたこともねえぞ!」
プロのBランクパーティーと新人の間に、奇妙な連帯感が生まれつつあった。
しかし、その平穏を切り裂いたのは、ミオの脳内に響く影縫の冷徹な警告だった。
『……おかしいですね、お嬢さん。この森の霊素の流れ……自然な暴走ではありません。……まるで、誰かが奥で糸を引いているような「作為」を感じます』
(……作為? ……誰かの仕業ってこと?)
『ええ。不純物が混ざっています。……来ます』
突如、森の奥から鼓膜を震わせるような不気味な咆哮が響き渡った。
作戦開始まであと六時間あるはずだった。だが、魔獣たちは待ってはくれなかった。
「総員、戦闘配置! 第一波が来るぞ!!」
黒鉄の怒号が響くのと同時に、暗闇の中から数千の紅い瞳がキャンプを包囲するように浮かび上がった。
ミオはゆっくりと立ち上がり、呟く
「……開始時間、……早まったみたい。……一ノ瀬くん、ルナ。……準備運動、終わり」
「「はい、師匠!!」」
嵐の夜が、最悪の形で幕を開けた。




