第三話:『地獄の門限』と『眠れる教室の死体』
その一週間、ミオの日常からは「睡眠」という概念が消滅した。
深夜二時。月明かりだけが照らす庭で、ミオは膝を震わせながら木刀を構えていた。
冬に近い夜気が肌を刺すが、体の内側からは、血管が焼き切れるような熱が噴き出している。
「呼吸が止まっているぞ、ミオ! 霊素を『吸う』んじゃない、全身の毛穴から『流し込め』!」
獅子王の怒号が飛ぶ。
彼が考案した『獅子王流・魔息法』。
大気中の霊素を強制的に体内に循環させ、筋肉の細胞一つ一つを霊的に強化する荒業だ。
「……あ、が……ッ!」
ミオの視界が赤く染まる。肺が焼けつくようだ。
だが、少しでも気を抜けば、背後に潜む影縫の『木製ナイフ』が容赦なくミオの首筋やこめかみを叩く。
「……遅い。殺気への反応が鈍すぎる。死にたくなければ、毛を逆立てて周囲の『揺らぎ』を食え」
影のように音もなく動く影縫の声。
物理的な痛みと、極限の緊張感。
ミオの精神はとっくに限界を超えていたが、彼女の「空っぽの心」は、皮肉にもその地獄のような苦痛を淡々と受け入れてしまっていた。
そして。
「……お、はよ……」 翌朝、私立高校の教室。
登校したミオは、自分の席に着くなり、糸が切れた人形のように机に突っ伏した。
「おい、折原……生きてるか?」
クラスメイトが気味悪そうに声をかけるが、返事はない。
今のミオにとって、学校は学びの場ではなく、修行の合間に許された唯一の「シェルター」だった。
「お嬢さん、授業は寝るための時間ではありませんよ。私の講義を反芻しなさい」
脳内で周防の小言が響く。ミオは目をつぶったまま、心の中で中指を立てた。 (……うるさい、おっさん。黙ってて……一分でも寝かせて……)
周防の『魔物・法学座学』は、ミオの夢の中にまで干渉してくる。
黒板に書かれる数学の公式の代わりに、脳内には「ゴブリンの頚椎の構造」や「探索者法第十三条:正当防衛の定義」が強制的に書き込まれていく。
教師が呆れてミオを無視し、休み時間にクラスの陽キャたちが騒ごうとも、彼女はピクリとも動かない。
その姿は、まるで教室に安置された「綺麗な死体」のようだと噂された。
だが、放課後。 チャイムが鳴った瞬間に、ミオの瞳には獲物を狙う獣のような光が戻る。
「……よし。帰る」
重い足取りで家に戻れば、またあの三人が待っている。
修行五日目。
庭の古井戸から這い出してきた、Dランク相当の魔物『影餓狼』に対し、ミオは獅子王をシンクロさせずに立ち向かった。
影縫に教わった『予備動作の消失』で間を詰め。
周防の『鑑定』で、影の底にある魔石の位置を特定。
獅子王の『剛の連撃』を、まだ頼りない細い腕で模倣する。
ドシュッ、と。
重い手応えと共に、木刀が狼の核を粉砕した。
霧散する魔物の塵を浴びながら、ミオは初めて、自分の意志で「生きるための力」を掴んだ感覚に、薄く笑みを浮かべた。
「……ふん。少しはマシな面構えになったな」
影縫が影の中から呟く。
「ああ。これなら試験会場で、周囲の鼻持ちならねえ連中の鼻柱をへし折ってやれるぜ!」
獅子王が満足げに笑う。
一週間の地獄が終わり、探索者ライセンス試験当日。
受付に現れたのは、目の下に隈を作り、制服を気だるげに着崩した、一人の「眠そうな少女」だった。




