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第九十八話:古井戸の前で


 仲間たちが帰り、賑やかだった庭に再び静寂が訪れる。  夕闇がゆっくりと降りてくる中、ミオは吸い寄せられるように庭の隅へと歩いた。そこには、すべての始まりの場所である、あの古井戸がひっそりと佇んでいる。


 かつては三人の幽霊が噴き出し、ミオの人生をひっくり返した場所。  今はただ、苔むした石造りの縁が夕日に照らされているだけだ。


「……ふぅ。今日もみんな、元気だったよ」


 ミオは井戸の縁に腰を下ろし、誰もいない空間に向かって語りかけ始めた。それが彼女の、夜の前の大切な日課だった。


「一ノ瀬くんね、相変わらず真面目すぎて、門下生に『先生、たまには笑ってください』って言われてるんだって。ルナちゃんは、教え子たちに自分の技を『ミオさん流』って教えてるみたい。……それ、私の技じゃないんだけどね」


 ミオはクスクスと笑った。  返事はない。けれど、風が吹くたびに、獅子王が「笑わせるな!」と豪快に笑い、周防が「やれやれ」と肩をすくめ、影縫が黙って頷いている光景が、脳裏に鮮やかに浮かび上がる。


「九条院くんも、テレビじゃ怖い顔してるけど、ここに来ると一番お肉食べてるよ。……みんな、頑張ってる。師匠たちが守ってくれた世界を、必死に、でも楽しそうに守ってる」


 ミオは井戸の中を覗き込んだ。  底は真っ暗で、昔のような禍々しさは微塵もない。


「私、ちゃんと生きてるよ。……お掃除は引退しちゃったけど、毎日お腹いっぱい食べて、たまに学校のテストで赤点取りそうになって、結衣とパンケーキ食べて。……そういう、師匠たちが『自由になれ』って言ってくれた毎日を、精一杯生きてる」


 ミオの瞳に、薄い膜が張る。  それは悲しみではない。  あまりに満たされた日常が、三人の存在なしにはあり得なかったことを再確認する、感謝の露だった。


「……師匠たち。見てる? 私は、世界一幸せな、ただの女の子だよ」


 空には一番星が輝き始めていた。  ミオは立ち上がり、井戸の縁を優しく一度撫でた。  その温もりは、石の冷たさを越えて、彼女の心の奥深くまで届いていた。

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