第一話.『独立』と『三人の師匠』
世界に「ダンジョン」が出現してから二十年。
溢れ出した未知のエネルギー『霊素』は、人々に異能を授けたが、同時に都市の澱みに「事故物件」という名の魔窟を生み出した。
折原ミオには、幼い頃から人には見えないものが見えていた。
空に渦巻く霊素の川、路地裏に潜む異形の影。
そして、龍脈が集まる場所と呼ばれるこの自宅に住み着く、三人の先住霊。
だが、ミオはそれらをすべて「無視」して生きてきた。
関われば狂う。そう自分に言い聞かせ、心を殺して過ごしてきたのだ。
しかし、つい先日交通事故で両親が他界し、独りきりになった彼女を、現実の悪意が放っておいてはくれなかった。
「……叔父様。その借用書の筆跡鑑定の話は、もう結構です。時間の無駄ですから」
リビングに響くのは、ミオの冷めた声。
目の前には、遺産を奪いに来た叔父の剛志と、その弁護士、そして用心棒のCランク探索者が二人。
そしてミオのすぐ後ろには、かつて世界を揺るがした三人の霊が、ようやく自分たちに「話しかけてきた」少女を面白そうに見つめていた。
「左様。まずは外交です。そのまま口になさい、お嬢さん」
茶髪の紳士、元外交官・周防がミオの耳元で囁く。
「叔父様。三年前の十一月、あなたが務めていた会社を解雇された本当の理由は……二千万ドルの使途不明金、および帳簿の改竄。そうですよね?」
剛志の顔が土気色に変わった。
「な、なぜそれを……!」
「先生も。その時計、パテック・フィリップの限定品ですね。土地を狙う開発会社からの『裏報酬』リストに、先生の名前があったのと無関係ではないのでしょう?」
「貴様……っ!」
弁護士が絶句し、剛志が逆上して叫んだ。
「おい! 黙らせろ! 腕の一本も折れば、その生意気な口も利けなくなるだろ!」
用心棒の探索者がナイフを抜き、ミオに飛びかかる。
ミオの心が恐怖で跳ねた瞬間、背後から巨大な熱量が覆いかぶさった。
大剣を背負った豪放な巨漢、伝説のSランク剣士・獅子王が、ミオの肉体に重なる。
「シンクロ率三%。……ミオ、右だ。三センチ引いて、手首を返せ!」
刹那、ミオの視界が加速した。
凄まじい「武」のイメージが脳内を埋め尽くす。
ミオの体は、吸い込まれるように探索者の関節を捉えた。
ドゴォッ!
一瞬だった。
大男の体が壁に叩きつけられ、めり込む。
ミオは激痛に顔を歪めながらも、もう一人の探索者を、影のように佇む無名の暗殺者・影縫の冷徹な視線で射抜いた。
「……次、来るなら首を落とす。一秒で終わる」
その殺気に耐えきれず、大人たちは悲鳴を上げて逃げ出した。
静寂が戻ったリビング。ミオは膝をつき、激しい呼吸を繰り返す。
「ふむ。シンクロ三%で三十秒が限界ですか。酷い運動不足ですね」
周防が呆れたようにため息をつく。
「ハハハ! まあいいじゃねえか。これでようやく『契約成立』だ!」
獅子王が笑い、庭の隅にある、重い石蓋の**「古井戸」**を指差した。
そこからは、ドロリとした濃密な黒い霊素が漏れ出している。
「ミオ、休んでいる暇はない。あの井戸の底から来る連中は、今のままのお前を食い殺す」
影縫が冷たく告げた。
「……分かってる。やればいいんでしょ、修行」
ミオは震える手で、古い木刀を掴んだ。
幽霊が見えるだけの少女が、最強の師匠たちに鍛えられ、現代のダンジョン社会を蹂躙していく。
地獄のようで、少しだけ騒がしい、彼女の新しい日常が始まった。




