風鈴は時の記憶を鳴らす
八月になると、美弥の身体には赤い痣が浮かび始める。
じわり、と滲むそれは痛みではなく、時間の底から染み出す何か、に近い。医者に見せても原因は不明。ただ、美弥は知っていた。これは毎年繰り返し甦る、世界のどこかの記憶、なのだと。
家の軒先で金属製の風鈴が鳴る。
━━リィーン。
高く長い、透明なはずの音の後ろに、ごく薄い『同じ音』が遅れて続く。二重音のようで、影のようでもあって、反響にしては遠すぎる。
その瞬間、美弥の痣はかすかに脈を打つ。
視界がゆらぎ、空気の層が一枚だけ古くなる。
焼けた鉄の匂いも、熱風も、叫びもない。
ただ、世界が静かに破れ、記憶だけが薄く漂う。
━━八月六日、八時十五分。
その時刻だけが、何度も反復される。
風鈴の金属片が揺れるたび、同じ光景が薄く重ねられる。
影の街。
白い閃光の、音の抜け落ちた残像。
倒れこむ気配。
すべてが、世界のどこかに刻まれ、誰にも読まれないままの『時空の傷痕』だった。
そして美弥の痣は、その『読み残された記録』が肌に触れた時にだけ現れる。
彼女は記憶の受け皿であり、受け止めるための理由はない。
ただ、そういう体質であるだけだ。
夜、美弥は風鈴を手に取って裏側を覗いた。
内部には、金属の厚みを超えて続くような微細な孔があった。
その奥から、極微弱な振動が伝わる。
まるで、誰かが遠い時の向こうで鳴らした音が、遅れてここへ届いているかのように。
「……忘れられない時が、こぼれてる、だけ」
美弥は風鈴をそっと吊り直した。
胸に浮かんだ感情は、哀しみとも違い、恐怖とも違う。
名前のない、ただの『受信』に近い静けさ。
風が吹く。
風鈴が鳴る。
━━リィーン。
その後ろに、同じ音が薄く遅れて重なる。
痣が増える。
時空の記憶は今年も静かに反復される。
美弥はそれを止めもしないし、解き明かそうともしない。
受け皿には、受け皿の役割しかないことを、いつの間にか理解していた。
風鈴は揺れ、遠いあの日の余韻が美弥の皮膚を染め、終戦の日を境に忽然と消える。




