間話6:綺麗な夜空のその下で
人類は、空をいつまでも綺麗なものだと思っていた。それは、思い込みに過ぎない、儚いものであったことは否定できない。
人類が核を使ってからというもの、世界的に空の色が灰色掛かった乱気流に乗せられ、死の灰が誰かを殺すために漂い続ける。それでも、人類は生きていた。
偏西風によって飛んで来る核の灰以外の脅威が無かった比較的被害の軽微だったスペイン、モロッコ付近の大西洋沿岸、アフリカの大部分、カナダ、オセアニア、東南アジア、南米。彼らが主導して周辺諸国の人々を救った、そんな思いやりのある歴史の一部分がそこにはあった。
しかし、その恩恵を受けることができたのは中立国であった国々に過ぎない。中には中立国であったにも拘わらず、核の爆心地になってしまった国家群も少なからず存在する。
そして、核を撃った「戦争犯罪国家」、特に積極的に多方面に向けて撃った「ARC」、と呼ばれアメリカ、ロシア、中国は多方面から非難されこそすれ、称賛されることはその後一世紀にわたってなかった。
だが、それでもARCと呼ばれる国家群に住んでいた人間も、戦争がしたかったわけでもない。戦争を起こしたいと思うのは世論やプロパガンダの影響は大きい。が、それでもやはり平和を望む人間がいることを忘れてはいけない。
そしてプロパガンダを行う側の人間もまた、自ら戦場に出ろ、と言われても出たい者はそういないだろう。少なくとも、国家に忠誠を誓っている軍人以外は。
そして、戦争はやりたくない、と大衆は言うのである。回りくどいが、ARCの中にも平和を望んでいた人間はいたのだ。当時でそれを言ったら最後だが。「戦争を止めろ」とは言うものの、結局のところそれを止めることができるのは一握りの存在に過ぎない。
だが、その事実を認識していたとしても、多くの非・核被害国からの支援を受けることがままならない状況であったことは否定できない。
そして彼らは、結局地面から這い上がれずモグラの様に生きていくのであった。地下シェルターの制作技術は上がっていても、空気中の放射線塵灰除去の装置の故障一つでその部分のシェルターに居た住人の全員が死んでしまう惨劇はどう足掻いても起きてしまう。そんな世紀末だった。
これが、当時覇権を争っていた国家が、汚泥を啜っていた時代だった。
そして、とある転機が訪れる。元々、ARC参加国による莫大な資本が投下され、火星間開拓が行われていたが、そこで「光星間ゲートウェイ」ができる。二二七〇年のことであった。それは、人類が夢見た大宇宙への片道切符だった。
なぜ、片道切符か。それは、スタートとゴールのワープ航路のエネルギーを装填して、装置を起動していない状況では、「狭間」に入り、その状態になったら行方不明ではなく「航路外死亡」と認定されるのである。
正確には生きてはいるものの、脱出ができない。水と食料と酸素とエネルギーを消費しつくして、最終的に廃船の中にカルシウムが佇むだけである。
唯一生き残る方法があるとするならば、向こうの方から航路を開通させて「狭間」から脱出するだけである。もっとも、一光年あたり一秒の誤差で通信可能なワープ・ファイバー・システムの構築によってその事故は戦場以外ではほとんどなくなったという。
だが、デブリの数が、地球から半径二〇光年圏内の内宇宙よりも圧倒的に多いために、外宇宙の探索は中々行われなくなっていった。
そして、地球から宇宙に資源を持って脱出する、通称「フライター」の出没により、地球環境は一層荒廃が進み、尚且つその影響によって地球に残ったARCもまた、宇宙へと向かって行く計画が進んだ。
西暦二三〇六年、最後の九人の男女が地球から出て、完全に地球から人類はいなくなった。
当時はそれこそ大騒ぎでニュースにまくし立てた。「地球から克服した」、と人類をヨイショする物言いのメディアが多数出現したからである。
克服、を彷彿とさせるのは、人類が自力で克服した天然痘以来の「快挙」と言う人もいるだろう。だが、「後始末」、酷い言い方をすれば「宿主を殺したヤドリギ」ともいう歴史評論家もいたのだという。
だが、それでも「戦争」という名の人類の蜜と毒薬を「克服」するほどの人間の知能は備わっていなかったのだろう。
カールは、目を覚ました。相変わらずの自習室である。・・・毎晩夢に出てくるせいで、歴史の本の内容も覚えてしまった。ああ嫌だ。ノクタリスの攻撃さえなければ、歴史のテストで満点でも取れるのだろうに。それでも今回は、ドロシーが眠る所まで来なくて良かった。そう、カールは思った。皮肉交じりでなければ心がより一層物寂しくなるだけだ。
だが現実とは非常なもので、カールとアデレイドは、ドロシーが脳死で、どんなにこの時代の医療が発達しているとはいえども絶対に助かることのないにも拘らず、「眠っている」、つまりいつか起き上がって来る、ただそれだけを考え続けていることに悲しみを禁じ得ない。
だが、カールはずっと夢に見ていたのだ。アーモンド入りスパゲッティの所から、ノクタリスのグリフォン部隊に復讐心を抱くまでの経緯を、ずっと、四年間かなりの頻度で夢に見ていたのである。安心して眠れるのは、大抵酒を飲んだ時。
アルコールに毒されているが、それは精神面であって、身体的にはそこまで悪いわけではない。だが、それはこの際関係ない。
「酒を飲まねば悪夢を見るぞ」、そう、カールの脳が判断していたのである。最初の飲み始めがいけなかったのではない。むしろ、トラウマの逃げどころとして、一番マシな選択だったのかもしれない。
だが、今回、酒を飲まなくても途中まで眠れたのが意外な発見だった。大したことでは無いかもしれないが、大きな進歩だ。それ故に、意外さ故に、今まで行ってきた飲酒が水泡に帰すのではないか、そう考えると恐ろしくもあった。もっとも、飲まずにいられるならそれで十分だが。
カールが起きて、姿勢を直す際に毛布と軍服の下から着けていたタンクトップに近い肌着が擦れ合う音が、隣の部屋にいたレベッカを起こしてしまう結果になった。
「・・・・・・カール・・・?」
「なんだよ、起きてたのか。ほんの数時間しか寝てないだろ、さっさとねんねしな、子ども。」
「同い年のくせして身長が同じくらい・・・いや、私の方が高い・・・?」寝起きであるのに、火力は高い。導火線の点火した火で、着火させた本人を少なからずやけどさせることが出来たのは、上出来と言うべきか。
「やめろ、やめろ、事実じゃないことを言いふらすんじゃない。それに僕はそこまで小さいわけではない。強いて言うなら・・・そうだな、『中の上』、てところだな。」
「『下の上』、じゃなくて?」そして、その火力は衰えを見せることもない。だが、カールとてやられる訳でもない。
「お前が酒に酔って、寝た後に、朝に呼び起こした時があったっけな。ああ、そうだ。ロメロさんを迎えた翌日の、あの姿と言ったら・・・あの時のお前の色は・・・」
「カール?第二ラウンドやりたいの?」
「冗談じゃない。」怒りの微粒子を含んだ声のレベッカの一言に、たじろいだカールだった。流石に、それだけはライン越えだろう。
そのとき、水平線から見えてくる光ったものがガラスと鉄格子を通って部屋に射した。
「恒星光?」レベッカが言った。
「いや、『太陽』、だろ?」
「それ、地球時代の言葉じゃない。そんな大昔の言葉なんて、中々通じないわよ。」
「いや、意外と通じるかもな。少なくとも、宗教こそあまり聞き出せなかったが、昔のギリシャ神話や、エジプト文明の王朝の様に、太陽を神としたものがあったろう?」
「あった?そんなの。」全く、レベッカめ。いや、自分がずっと夢で歴史の本を見ているせいで覚えているに過ぎない。いわば、「チート」だろう。あっても別にうれしくない、ただの「インチキ」だ。
「おーい、起きな、出所だぜぇー。」外から声が聞こえてくる。リューベリックか?そう、カールは思った。
彼は人当たりが良く、階級が下の者でも「敬語はいらない」、と言った。戦場では信頼が命、という考え方がモットーらしい。逆に同い年であったらタメでものを言うが。カールもまた、そのうちの一人。
「そうか。そうなのか。もう、そんな時間だったのか。」
本当はもっと寝ていられるのだが、今回ばかりは、カールとレベッカは清々しい朝だったようにも思えた。カールは、ずっとあの夢の続きが見ないようにできれば、もうなんだっていい様にも感じていた。ただ、それだけだった。




