間話5:スズキ少将の顛末
別に性的描写は書くつもりもない。だから、そこまで身構える必要性もない。
それでは、どうぞ。
「もし私の責任にするというのなら、これをリークします。ですが、貴方の司令官としての役職を外れ、軍から除籍してもらうなら、責任はミッチ・ハーグレイブただ一人のピエロによる犯行と報告し、貴方は彼に弱みを握られた、とでも弁護して差し上げましょう。」
司令官室にて、副司令官のスズキ・ソウマ准将は、落ち着き払ってチェルカトーレ支部・司令官のセオドア少将に言うのだった。
「お・・・俺にそんなことができるかあ!」
声を贅肉と共に勢いよく荒げたが、スズキ准将はいつもの陽気で人当たりの良い性格は陰に隠れ、代わりに不気味な怒りと恍惚で気色悪い歪み笑いが絵の具のように混ざった顔を浮かべた。少なくとも、真っ当な人間とは捉えられない表情だったということは自他共に認めざるを得ない事実だったが。
「ミッチの野郎、有能な副官のナターシャを『犯してやりたかった』なんて言っていたそうですね。ビデオの続きに。酒に勢いを任せていたとしても、限度がある。私を辞めさせ、私の地位をあの野郎に譲渡しようと。他はどうでもいい。ナターシャの件だけは私は貴官が憎い。」
そう、言っていたのだ。あのビデオの続きで。それを流すまでもなかったのは、その部分をメディアにさらしてしまったら一発でマクシミリアン少将及びハーグレイブ一家にパパラッチが付きまとうことが安易に予想できる程の代物であったからである。要は露骨な表現が多い、という訳だが。
「ふざけた事を言うな!貴様は『芸術のため』と言い張ってシンデリアにスケッチブックを持って行って、散々裸婦画を描いていたではないか!それと同じように貴様の副官をその目的のために利用していただけじゃないか?!この同類め!貴様がまくし立てられる話ではないだろう!」
精一杯の抵抗とでもいうのだろうか。実にみじめだ。
「あれは全部同意の元です。そして、ナターシャには断られたからやっていない。制服を着けた姿も。美人だが・・・ああ、残念で。」誰に対して残念、と言ったのだろうか、その真意は六〇近くなくせしてプレイボーイなスズキ准将にしか分からない。少なくとも、自分に対して言っていない事だけは確かだ。
「さあ、無駄話はここまでにして、さっさとその椅子を軍本部に明け渡すのですな。でないと、憲兵の『キツネ』が匂いを嗅ぎつけてネズミを食らってしまう。貴方の祖父は元『デブリ防衛隊司令官長』で、その七光りを貴方は受け継いでいるに過ぎない。もし貴方がこれを拒否すれば、息子さんの後方勤務が水の泡となるでしょう。こればかりは譲歩するわけにもいきませんので。決してミッチのように甘い言葉で買収できないということをお忘れなく。」もう既にアデレイドは匂いを嗅ぎつけているどころかネズミ捕りトラップに多少の餌を加える位の余裕はあったが。
そのデブネズミは大汗をかきながら、元々座っていた椅子から床へと土下座をした。
「息子だけは勘弁してくれ!あいつは関係がないはずだ!それに『あなた様』は息子がいるじゃないですか!」畜生め。自分の息子を引き合いに出すとは。こんな腐った人間でも親としての自覚はあったらしい。・・・妥協はしない。
「黙れ!あいつは前線に出て戦っている!今は別任務だが本部でのさばっているあんたの息子とは話が違う!」
それにしてもさっきまで「貴様」呼ばわりが一転して「あなた様」とは。実に醜い。こいつの汗と肉塊と、この「ネズミ」の腐った精神の臭いがする。たとえ涙でもそれを拭うことは不可能だろう、とスズキ准将は思った。
その数時間後、マクシミリアン少将は退職届を本部にワープ・ファイバーで通した。そして十数日が経ち、丁度カールたちが惑星に辿り着く頃、就任したという。戦時中であるために、その交代はす僅か三日とすぐに行われたという。
「まさかこんな俺が司令官になるとはね・・・。」スズキ・ソウマ少将は、椅子にもたれながら言った。独り言だ。
「・・・はい?」副官のナターシャ・レアニール中佐は、司令官室の一角でデスクワークをしている。新惑星開拓プロジェクトの仕事で忙しいにもかかわらず、少ししか手を動かさない司令官に無言の圧を加えながら。
「いや、何でもない。」そうスズキ少将は言うと、手元に置いてあった紙コップからコーヒーをすすった。・・・別に副官に全てを押し付けるわけではない。ただ、今日だけは平常心を保っておかねばならないことがあるだけだった。
しばらくして、六時の鐘が鳴った。本来なら定時で帰れる・・・筈だが、生憎司令官で、それも仕事がわんさかある。だが、
「ナターシャ。今日だけは、これだけは外せないんだ。・・・頼む。」そう、司令官は言ったのだった。
「司令官!まだ仕事が・・・ああ・・・、そうでした。すみません。」いつもは冷淡で、ヨシユキ中佐と同じように仕事にうるさいナターシャらしくない言い方だった。声も次第にトーンダウンしていた。
「構わないさ、お前さんが言いたいことも理解できる。」
「・・・送っていきましょうか?」
「いや、大丈夫だ。ただの野暮用だ。」野暮用、その一言を発した本人の顔が曇っていたことをすぐに察知したナターシャだった。だが、それを知ったところで、彼女には司令官を励ませられるだけの言葉をかけることをためらった。今のこの人には、何を言っても辛いだけだ、そう彼女は思ったからだ。
「ここでよろしいので?」
「構わない。支払いはカードだ。」
「どうも、ありがとうございました。」タクシードライバーとの無機質な会話を終え、スズキ司令官はコロニーの共同墓地へと向かった。この白髪の初老の男は、黒いコートを身に着け、そして花束を持っていた。
そして、ある文字が書かれた一つの墓石へと花を手向ける。「鈴木 智香」と漢字で書かれた墓石へ。
彼女は、スズキ少将の妻で、そして民間の核融合制御技師だった。スズキ中佐が軍に入るころに仕事で事故が起き、急性放射線障害で死亡。享年四八。一〇年近く前の話だった。その時、彼は仕事に追われていた。
ノクタリスの開戦のタイミングと重なっていたからだ。最後の様子を知って号泣したのは、彼が最前線の要塞基地〈デルタ・3〉付近の艦隊運用の指揮に当たっていた時のこと。そして、今日はその命日だった。
彼は、妻のことを愛していた。忙しくて会えなくても、それでもなお。彼のことを浮気性・・・というよりは、むしろ「美学的価値観」に忠実な人物であったと言える。現に、「シンデリア」の店に入ってもスケッチだけしかしない。
一度この事実がレシートのせいで発覚したことがあった。だが、
「昔、美大志望だったのは分かっているから。それに、ソウマ、あなたがそうなってしまった責任は私にはあるから・・・。」と言われ、お咎めなしだった。実は、それには裏がある。一家でしか知らない秘密が。
息子のヨシユキが生まれる前に、彼ら夫婦は、何と言うか、「頑張りすぎていた」、というのだろうか。彼らはヨシユキが生まれる五年前に結婚した。そして、不妊に悩まされていた。だが、ヨシユキが生まれてからは、ある種の「強迫観念」から抜け出せた。代わりにスズキ少将には、どんなことがあっても性的欲求が生まれてこなくなった。三〇代半ばにして、であった。
これは、メディアが絶対に知りうることのない(と言うよりはむしろ「発覚しないように努力していた」と言うべきだろうが)事実ではあったものの、代わりに「シンデリア」に出入りしている、その事実は軍の中で広まり、周りはネガティブなイメージを抱くことになる。だが、彼はそれを逆手にとって自らを「プレイボーイ」と名乗っていた。自虐の極み。自分がそれとは正反対な立場にいるにもかかわらず、だ。
彼女はスズキ少将にとって、数少ない理解者だった。そして、その喪失感を埋めることができるのは何もなかった。
雨が、降っていた。コロニー内を覆う、塩素消毒した後、塩素を抜いた水の集まりを。小雨程度だったが、次第に強く降るのだった。スズキ少将は、墓石の前で折り畳み傘を差しながら立ち尽くしていた。妻がプレゼントした傘を。傘に伝わる音はまるで涙のような音で、それは、長い、長い時間の様に感じられるほどであった。
「今戻ってきたのですか。」夜八時。司令官室で、敬礼しながらナターシャは一度言ったが、どう考えてもずぶ濡れの状態の司令官を見て、一喝した。
「な・・・何考えてこんなずぶ濡れの状態で戻って来るなんて!」
「大丈夫だ、問題ない。」
「大ありですよ!司令官が自分自身の体に気を使わないでどうするんですか!」そう言われ、男性用シャワールームの階層へとスズキ少将は副官に連れて行かれながら、替えの軍服と共に放り出された。
体を拭いていた一同はびっくりした。いきなり脱衣室にスズキ少将が入れられたのだから。
「とんでもない副官をお持ちですな、司令官殿。」それを言った本人は、タオル一丁で敬礼せざるを得なかった。
「ああ、自慢の副官さ。」笑いながら言うスズキ少将だった。
その後、司令官室に戻って来たスズキ少将は、ナターシャから紙コップで渡されたコーヒーを飲んだ。・・・熱い。風呂上がりに飲むようなものではない。だが、体が冷えた後に飲むんだったら悪くはないが・・・。
彼は気づいていなかったが、このコーヒーはいつもスズキ少将が好んで飲んでいる温度よりも五度高かった。それは、彼女の気づかいなのか、それともただ単に機械のエラーなのか。だが、その事実さえ知らない彼には関係なかったかもしれないが。
その後、貯めに貯めたデスクワークを夜中の一二時まで行わざるを得なかったのは別の話だった。
10/29日、第六章公開。




