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こっちもそっちもあっちもどっちもにっちもさっちもいかないけれどもわっちは元気です!  作者: スマイロハ
どっち編

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19話「独学の果て」

 勉強が好きだった。勉強すると頭が()くなる。自分の成長を実感できる。どんどん色んな事を覚えて、色んな問題を解いて。そうすると沢山褒められて。私はそれが嬉しくてたまらなかった。自分の成長を自分だけでなく周りも喜んでくれる。それが(なに)よりも大切で、人生の全てだった。



 小学校はわざわざ受験して()い学校に入った。私からすればテストも面接も覚えた事を反復するだけの、できて当たり前の作業で。(なん)の苦労もなく入学し、(なん)の苦労もなく成績を伸ばして、(なん)の苦労もなく卒業した。



 中学校も小学校と同じ。既に勉強した事をもう一度勉強させられる無駄しかない施設。高い器具を用いて実験できたり、高い楽器を弾かせてもらえたり、そういう“経験”こそが学校に(かよ)う理由足り得るのだと分かってはいたが、当時の私はそんなものに興味がなく、経験しなくとも知識として得ていれば変わらないと思って、毎日新しい本を読んで勉強し続けていた。


 親からも先生からも、周りの大人たちからはもっと友人との関りを持つよう遠回しに言われていた。親に関しては色恋も何度か。でも私にとって重要なのは自分が成長することであって、人との関りで時間を消費するなんて全くもって考えられない。私の(ほう)から(なに)かをすることはなかった。

 だが、向こうからはあった。人は突出したものに惹かれるのだろう。親の遺伝で顔が()かったのもあり、勉強ができるだけの愛想のない女が、学校内で話題になるほどの高嶺の花へとなったのだ。そしてそれは、関係性の薄い者たちにとって、理想を押し付けるに丁度()い“夢”となる。現実の私と対面して絶望するまで続く“哀れな憧れ”に。


「――先輩これ…!受け取ってください…!返事待ってます…!」


 聞こえていなかった訳ではない。女同士に嫌悪感を感じた訳でもない。ただその時の私には一切の興味がなかった。その子が誰なのかも知らず、知ろうとせず、突き付けられた恋心(てがみ)を私は受け取らなかった。

 下駄箱の手紙(それ)も、バレンタインのチョコ(それ)も、捨てることすらしないまま誰かが回収するまで放置して。断りの一言も拒絶する一言も与えてやらずに、よく、こんな自分などを好意に思ってくれた人たちを傷付けていた。人と関らず生きてきて、これから先の未来でも永遠に変えるつもりも変わるつもりもない私には、そうして自分だけを見続けている事が幸福な生き方だったから。


 しかし、その幸福はやがて、閉幕の時を迎えることとなる。



 元々人よりは人に好意を向けられていた私が、極度に恋愛感情を向けられるようになったのは3年生になってからだった。その頃の私は一際美人だったらしく、クラスメイトだけでなく、同級生や下級生にまで想いを告げられる“憧れ”だった。同級生たちの高校受験に向けた殺気が、私の不気味さを隠していたのだと思う。まるで歴史の授業に出てくる吸血鬼の様に“人の心を惹き込む魔物”。それが私だった。

 私がそんな風になった理由ははっきりしている。その頃、私は原因不明の頭痛に悩まされていて、めまいや吐き気までもを引き起こす酷い痛みに耐えながら勉強を続けていたのだ。一向に頭に入ってこない内容。理解しようとすればするほど頭が回らず、その分だけ頭痛は酷くなる。文字は読めず、音は聞こえず、考えられない頭は自分が(なに)をやっているのかさえ分かっていない。私はただ学びたいだけなのに、学びをこの体は拒絶する。


 理解できない。私にはそれしかないのに、なぜこの体は嫌悪している?


 そんな異変は少しずつ私の中で渦を巻いて行き、受験戦争が始まる頃には取り返しの付かない大きさにまでなってしまっていた。人生の全てを、知恵を蓄えることだけに費やし続けていた私は、己に(なに)が起きているのかも分からないまま、自分自身を破滅させる混沌の渦を育てていたのである。そう言い切れるのは、高校受験のあの日に、くだらない過ちを犯してしまったからだ。



 受験をした高校は1つだけ。いわゆる滑り止めや第二志望などはなかった。今まで通り、受験などと言うものは知っていることを提出するだけの無意味な作業で、合格は目に見えていたからだ。一問、また一問、質問に答える作業が続いて行く。本当にそれだけの単純作業だ。(なに)も問題は無いはずなのだ。


 質問に答えてマークを塗り潰す。頭痛は酷いが単純作業に思考は要らない。それにこれは精神的なストレスが原因で、病ではない。周りの人間にうつす事は無いのだから問題は無い。(なに)も気にする必要など無いのだ。こんなものは早く終わらせて読みかけた本の続きを読もう。

 早く。

 早く。

 早く。


 しかし、何故か私は一問たりとも答えられなかった。


 無理もない。読めない問題にどう答えろと言うのか。

 突き付けられた問題文も、絵も、私の体は拒絶して。理解できずに分からずに、先の尖った鉛筆を握りしめる事しかできなかった。

 それでも時間は刻一刻と過ぎて行く。分からなくとも答えるしかない。文字を文字と認識できなくとも、大まかな形や文章の長さ、問題の構成、絵の大きさ、リスニングの声の傾向などの把握できる情報からある程度の推測は立てられる。その上回答はマークシート式だ。確率論的に考えれば合格点に届かせる事は可能なはず。ある程度の運は必要にはなるが、私なら“運が()ければ合格する”ところまで無理矢理連れて行けるだろう。


 ()い学校には()い教材が置いてある。()かった。これでもっと勉強できる。


 試験は終わり、私は歪む視界に道を探しながら帰路についた。体調は今までで一番酷く、受験会場から出る途中、誰かにぶつかった気もする。見えない目、聞こえない耳、回らない頭におぼつかない足で外へ出て、横断歩道を渡ろうとして。


 次の意識で私はベッドに寝かされていた。



 白色の部屋に独特な家具。独特な匂い。そこが病院の一室だと気付くのに時間はかからなかったが、一方で、やけに頭の中がすっきりしている事に気付くまでは時間がかかった。そしてもうひとつ、足下の辺りで頭を寄りかかって眠りについている妹の姿にも。


 点滴に包帯に、重い身体にと、やれる事もやる事もやりたい事も思い浮かばず、私はぼーっと妹を眺めていた。窓の外には向かいの建物群と空が見えるだけで、雲の流れから次の天候を予測する遊びには興味が無い。どうせまじまじと見つめるだけなら、妹が起きた時に備えて、今まで一度もした事の無い()()の一言目でも考えていようかと思ったのだ。こんな事を考えようとする事自体、今までの私は考えもしなかっただろうに、不思議なもので、この時私は“(なに)が気の利く言葉なのか”が気になって気になって仕方が無かった。思えば、こんな好奇心こそが、私が勉強に人生を費やす事になったきっかけだったのかもしれない。


 しばらくして、妹の目が覚めた。私は“おはよう”の一言をかけるつもりで身構えていたのだが、声に出しかけたところで()めた。起きた妹が私を見るなり泣き出したからだ。声を上げて、大粒の涙に頬を伝わせて、服の袖を何度も濡らしながら拭って。


 こういう時、私はどうすれば()い?立ち位置が逆なら、妹は私にどうしただろうか?(なん)と言葉をかけただろうか?どう涙を()めただろうか?


 分からない。知らない。受験の時とは違って、今は思考を塗り潰そうとする痛みは無いのだ。痛みをかき混ぜる渦は無いのだ。なのに何故私は未だ(なに)もできずにいる?妹は大切な家族のはずだ。目の前で大切な人が泣いているのに、何故私は(なに)もしないでいられる?何故私はこんな事もできないのに人生を無駄にすごしてこられた?


(なん)で泣いてるの…?」


 巡る思考の渦の中で私が選んだ言葉はそれだった。“泣くほど(つら)い理由は(なに)か?”と、慰めるでもなく、寄り添うでもなく、出た言葉がそれだった。


 『心配していたから。』


 妹が答えた途切れ途切れの文章の内容は大方そういったもので、(つら)くて泣いているのではなく嬉しくて泣いているのだと言っていた。“嬉し涙”の存在は知っているから、実際に目にするのは初めてでもその点で驚きはない。私が驚いたのは“私を嫌っていなかった事”だ。姉らしい事は(なに)ひとつしてやらなかったし、“姉”と呼ばれた事はない。今までずっと、妹は私を嫌っているものだと思っていた。


 告白してきた人たちは皆、不愛想な人形に幻滅するか不気味に思って去って行く。想像と違うのだから無理も無い。私を産んだ両親でさえ私を怖がって避けているのだ。『人間味が無くて怖い』と、最初は愛情を向けてくれるのに皆その内、悪魔でも居たかの様に私を忌み嫌い、怖がり、関わろうとせず生きて行く様になる。私が人と関ろうとせずに生きているのだから、人が私と関ろうとしない事は至極真っ当な行動であり、私が嫌われるのは当たり前の事だ。怖いと感じるのが普通なのだ。


「怖くないの…?」


 私は聞いた。


「怖い…けど。嫌いじゃない。大切な姉だよ。尊敬してる。私はちゃんと好きに思ってる。…早く元気になってくれると、嬉しい。」


 妹はそう答えた。


 人に(なに)かを求められて、私がそれに応えられる。私はそれが(たま)らなく心地()いのだろう。この時感じた心地()さを手放したくなくて、私は妹に怖がられない様な“お姉ちゃん”になったんだ。当たり前に友達が居て、当たり前に遊んで、当たり前に“おはよう”と言ってくれる。そんな“私”に。


 そんな、氷細工のドレスを纏った人形に。



 運()く受験にまぐれ合格し、高校に入学した私は友達を作ろうと意気込んで、失敗した。知っているだけでやったことの無い氷細工などで取り繕う様に着飾ったところで、周りの人間と私の間には私が作って勝手に閉じ込められた氷のケースがある。そのケースは人形の自分では外せないのだから誰かに外してもらうしかないのに、私はケースを外さないまま行動を起こそうとして、失敗し、勝手に落ちぶれて行った。

 やはり、人間関係を避けて生きてきた者に協力してくれる者など居ない。人の手を借りなければ外す事のできない氷のケースは、外される最後の機会をたった今永遠に失ったのだ。そうして私は、ひとり席に座って妹の心が離れる時を待つだけとなった。


()()ちゃん…!私とお友達になってくれませんか…!」


 彼女はそう話しかけてきた。


「…『和津池(わつち)()()()』です…けど…。」


 “友達になって欲しい”は、何度も聞いた言葉だ。だが下の名前で呼ばれた事は無い。ましてや、“憧れ”の私が名前を間違えられた事など…。


「ごめんなさい…!()()()ちゃん…!」


 彼女は顔を真っ赤にして、慌てて訂正した。


 『(なん)なんだこの人は。』


 それが彼女への第一印象だった。


 彼女にはどこか、今まで告白してきた人たちとは違う(なに)かを感じていたのかもしれない。“ケースに入った綺麗なお人形さん”ではなく、ケースの中の“(つたな)い手付きで精一杯着飾った継ぎ接ぎだらけの私”を、拾い上げてくれるのではないかと、期待してみたいと思わせる(なに)かを。


「…いや…。私、あだ名で呼ばれてみたかったんだよ。だから“()()ちゃん”って呼んでくれない?」


 私の返しに、彼女は表情を明るくさせる。


「いいの?よろしくね。ヅキちゃん!」


 彼女が私の外れる事の無くなった氷のケースを、氷硝子(こおりガラス)の壁を溶かしてくれたのだ。


「で~…えっと、(なん)て呼べば…。」

「あ、『朱鷺野(ときの)コトハ』です…!」

「“コトハさん”ね。よろしく!」



 彼女は、コトハさんは私にとって救いの女神様なのだ。この学校の人気を考えれば自分と同じ中学校から来ている人がそれなりに居る事ぐらい理解しているし、既に知られている人の事は()かった。関わり合いにならなければ()い事だし、なれないと思っていたから。


 それがよりにもよって、その女神様自身に知られていたなんて。


 私は考えたくなくて、受け入れたくなくて、向き合う事を恐れて逃げたのだ。自分の罪を告白する事がどれだけ勇気の要る事か。崇拝する女神様に隠し事をするなどどうかしている。でも、それでも。コトハさんには今の私だけを見せて居たかった。こんな私に初めてできた友達で、破滅の泥池から拾い上げてくれた恩人だから。


 だから――。



「――コトハさんだけには知られたくなかったのに…。」


 電気を消した真っ暗な部屋。遮光カーテンの隙間からも夜の闇が射し込むだけのベッドの上で、私は毛布の中で丸まって、酷くなる一方の頭痛に死にたくなるのを必死で(こら)え続けていた。

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