特別扱いされる部活動(中学高校編)
子どもの学校から、明日の卒業式当日の登校時間の連絡が来た。吹奏楽部の生徒は一般の生徒より30分早い、とあり、「私も中高で吹奏楽やっていた時は早出で準備していたっけなあ」と懐かしくなった。でも子どもの中学校の吹奏楽の部員1〜2年生って10人くらいだから(うちの子二人とも吹奏楽やらなかった)、寂しいし入退場曲の生演奏なんてしなくてもいいんじゃないのかなあ、とも感じている。
中学高校の部活動って、競技種目・部活によって学校側の扱いが違う。私が現役高校生の時、部員60人の我が吹奏楽局と部員15人そこそこの野球部への学校からの予算(交付金)が同額だと知って、「野球部ばっかり優遇されている」と憤ったことを思い出した。
甲子園大会があるからか、私が高校生の時はほぼ全ての高校に野球部があった。野球部だけは地区大会の当番校になると運営のために一般生徒も動員されるし、全国(甲子園)でなくても県大会クラスに出場すれば応援に動員される。私の母校の野球部は「出ると負け」だったので在学時は南北海道大会に出場したことがなかったが、もし出場していたら札幌円山球場まで吹奏楽局も動員されて応援演奏することになっただろう。また野球部出身であると、地元建設業などで就職が優遇されていた。建設業以外でも、近隣の市立病院の事務部門は野球部出身者ばかりだったことがある(その当時の病院長が野球好きで、野球部出身者を揃えて自治体病院野球大会に出場、好成績を収めていた、とのことである)。
運動部では(軒並み地区止まりなのだが)野球部だけが優遇されていた。これで女子バレーが春高で優勝でもした日には力関係がガラッと変わったのだろうけど(公立高校でも全国制覇した例がある)、地区止まりだった。もっとも運動部が強いのは有力な中学生を特待生などで抱え込むことができる私立高校ばかりで、当時は野球なら北海と東海第四と函大有斗と駒大岩見沢、女子バレーは旭川実業を倒さないと全国は無い。
文化系の部活では、音楽部(合唱部)は全道常連たまに全国、囲碁将棋部も個人で全国大会で好成績を上げたように記憶しているが、これらは壮行会が開かれたことはなかった。我が吹奏楽局は吹連の地区大会は2年連続でダメ金(金賞だけれど上の大会の出場権は逃す)、3年目は全道に出たけど銀賞で札幌厚生年金会館を去ることになった。Nコンは入賞していたんだけどね。
生徒募集のため、知名度向上のため、野球部の力を入れている高校は今でも多い。伝統校は有力な中学生を囲い込み、これに漏れた大阪あたりの出身の選手が北海道や青森の高校に入り、駒大苫小牧初優勝の時のマーくんみたいに中核選手となる(この時の北海道出身選手は少数派だったんだよなあ/でもその少数派が今の監督だったりするのが巡り合わせの不思議さ)。広域通信制の高校で知名度向上のために野球部を作り、甲子園にも出たが、本校に通学しているのは野球部の生徒だけというクラーク高校とか。公立でも工業科とか商業科とか水産科で強い高校は、「野球をやるためだけに入学し監督の家に寄宿する生徒」なんてのが昭和の頃から珍しくない。スポーツは高校にとって「知名度を上げ、生徒を集める手段」なんだね。
ただし文科系の部活でも、リクルーティング以外の理由で学校側に優遇されることがある。
私の母校は吹奏楽部ではなく吹奏楽局だった。一般の部活ではなく、図書局、放送局、新聞局とともに生徒会の外局という位置付けだった。これは母校だけでなく、他校でも時々見かける制度である。言ってみれば学校の(先生方の)業務の一端を生徒会を通して分掌させる代わりに予算その他を優遇します、って制度である。局でなく部でも実態は変わらないのだが、特別扱いする理由として「外局」と扱っているんだね。中学校だったら生徒会の〇〇委員会として運営することが多かったのかな。儀礼式典とか応援のために吹奏楽局を置いていた、ってのは一応は現役高校生の時にそれくらいの仕組みは理解していたけど、あれぽっちの予算じゃ楽器一つ買い換えることはできず、部員から集めた部費で楽譜を買い、リードなどの消耗品は個人持ちだったんだよなあ。
いやいや色々な不満はあったけど、ン十年経ってもまた演奏したいな、とは思うくらいの懐かしさはある。商工会の夏祭りに呼ばれて演奏したのとかは、楽しかった。入学式卒業式はテープでいいけど。