09 来訪
初夏の風が吹き抜け、次第に梅雨空に変わっていく。
須佐城に、大将軍菊丸家からの使者が訪れ、須佐守に手紙を渡した。梅雨明け後の満月の日、須佐を宗勝が訪れるという。
「まさか本当に来られるとは。」
実清と光春は驚いていた。宗勝が須佐へ行ってみたい、と梅蔵での別れ際に言っていたものの、お世辞とばかり思っていた。それも、こんなに早く来ようとは。
しかし、光春はなんだか嫌な予感がした。
「梅蔵でのことは聞いていたが、宗勝様がまこと須佐へ足を運ばれるとは。粗相のないよう、国をあげてお出迎えせねばなるまい。」
光春の父であり須佐守である桜田久光が嬉しそうに言う。隣では、家老の葉山実信が頭を抱えていた。予算が、と呻きが聞こえる。
「こうしてはおれん。御台所番頭と、庭師を呼べ。御用人を集めよ。」
ははぁ、と声があがり、何人かがばたばたと駆けて行った。
「光春。」
須佐守が光春を呼んだ。それから、実清も呼ぶ。
「宗勝様は、おぬしらに会いに来られるようだ。表向きは視察のための御成だとあるが、必ずおぬしらを同席させるようにと、重ねて書いてあった。」
光春と実清は顔を見合わせた。
「おぬしらで、各御用頭と話を進め、宗勝様をもてなすのだ。」
それからは、あっという間に時が経った。庭園を整備し、食材を調達した。城は隅々まで磨かれた。
宗勝は、三日ほど滞在する予定だ。お忍びで来るつもりらしいが、それでも人数が多い。特に御台所番はてんやわんやの大騒ぎだ。
満月の日の昼、光春は実清と他の藩士を引き連れ、須佐国の街道入り口で宗勝を出迎えた。少し動けば汗ばむ陽気だ。
宗勝は二百人の行列で来た。大将軍家の者にしては、これでもかなり少ないのだ。
街道沿いにいた者たちは、皆平伏していた。
「出迎えご苦労。」
宗勝は馬上から挨拶をした。
「駕籠は狭くてな。嫌いなのだ。こやつは、私の馬でも一等丈夫なやつでな。出かける時は、たいがいこれだ。」
そう言うと宗勝は馬を降り、馬の鼻面を撫でた。馬は宗勝に顔を擦り寄せた。額から鼻先にかけて、白墨を垂らしたような模様がある。
宗勝もこの馬を気に入っているのだろう。鼻先に優しく触れ、一番柔らかい鼻下のあたりを、もにもにと揉んでいる。
出来るだけ早く移動しなければ、宗勝の共の者も、街道の者も暑さでやられてしまう。光春は、宗勝を須佐城へと案内した。
行列を引き連れては、着くのは日暮れ時だ。
「須佐は穏やかで良い所だな。潮風の香りが甘い気がする。」
宗勝があたりを見回しながら言う。
実際、潮の香りは所で違う気がする。光春も、上洛の際に通った国の潮風を嗅いで、そう思った。土地が変われば、海の水も変わるのだろう。
須佐は、国の南側に海がある。須佐近辺の潮風は、べたっとまとわりつくような重さと湿気があるが、甘い磯の香りがする。
須佐の真北には、稲氷国がある。そこは、北側に海がある。その潮風は、肌に冷たく、すっと胸のすくような、透明な香りだった。
「この海が、須佐国に良き塩を恵んでくれるのです。」
光春が答える。海は穏やかで、波も高くない。低い波が、陽の光を反射してきらめいている。時折、ぼらが水面から高く跳ねた。
一行は馬の蹄を小気味よく響かせ、須佐城への道を進んだ。