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07 垣間見 3

 朝方、実清は昨夜のことを光春に話した。大将軍菊丸家の嫡男宗勝に、女だと知られたことだ。光春は、宗勝と面会しようとしたが、多忙を理由に使用人が断りを伝えた。見送りもできぬから気にせぬように、との伝言付きだ。

 朝餉もいただき、日が昇る頃、二人は菊丸家別邸を後にした。

 すでに喧騒に包まれている梅蔵うめくらの都を歩いていると、実清が光春を呼んだ。実清は朝からずっと落ち込んでいるようだった。

 どうした、と光春が尋ねると、実清は言いにくそうに口を開いた。


「やはり、私は若様のお側に相応しくないのでしょうか。」


 今回のことで、実清なりに色々と考えたのだ。

 どうあがいても女の身。それは変えられない。体格でも体力でも、どれだけ鍛錬しようと、決して越えられない壁がある。

 ましてや、そのために主人にも咎が及ぶとすれば、実清が光春の隣にいて良いことなどない。

 私は、若様の重荷になっているのではなかろうか?共にいるだけで、もしバレたら、若様まで責任を負わされるのではなかろうか?

 そんな考えを見抜かれたのか、光春は微笑んでみせた。


「今さら何を言ってるんだ。私の隣にいるのは、お前しかいないだろう。幼い頃から共に鍛錬し、学んだお前だからこそ、一緒にいてほしいんだ。それともなんだ。……私は、やはり頼りないか?」


 今度は光春がしゅんとする。まさか、と実清は首を横に振る。


「若様のお側にいられることが、私の何よりの幸せです。」


 そうか、と光春は笑う。


「なら、何も気にするな。頼りない主人かもしれないが、お前のことは、その、一等大切なんだ。抱え込まずに、思ったことは今のように言ってくれればいい。私のことを、もっと信じて、頼ってくれないか。」


 一人で抱え込まずとも良い。もっと人を信じ、頼れ。昨夜、宗勝に言われた言葉が蘇る。

 昨夜とは違う、嬉しさや幸福が入り混じったものが実清の胸の奥底から膨らんで、あふれそうになる。

 そうだ、きっと私は、この言葉を若様に言ってほしかったんだ。

 一等大切だって。若様は、私のことを誰よりも大切と言ってくれた。

 実清は頬が緩むのを感じ、悟られないように唇を結んだ。


「若様。実清は嬉しゅうございます。」


 泣くな、と光春に笑われて、袖で目尻を押さえると、涙のしみがついた。

 喉が詰まるような感覚。嬉しさか何か、もうよく分からないが込み上げてくる。

 ほら、と光春は実清に飴玉を差し出した。昨日、蓮宮はすのみやから賜ったものだ。上質な紙に包まれている。白い丸い飴に、線の鮮やかな手毬のような模様があった。実清は礼を言って、一粒手にとった。口に含むと、なんとも甘い。

 実清が喜んでいるのが分かり、光春はほっとした。昔から実清は、気が強いくせに変なところで泣き虫だ。光春は、実清に泣かれるのが苦手だった。というよりは、どうにも泣いてなどほしくなかったのだ。悲しい思いをさせるものからも、つらい思いをさせるやつからも、全部私が守ってやるーー光春は一人、心の中でそう誓った。

 そんな光春のことを知らず、実清は荷物を漁っている。涙はとうに引っ込んだらしい。

 これ、と見せてきたのは、昨夜蓮宮から賜った茶碗の入った木箱だ。


「若様に差し上げます。」


「何を言ってる。それは、お前が賜った物だろう。お前が宗勝様に勝った褒美だ。私がもらうわけにはいかないだろう。」


 飴玉の礼に、もしくは交換で、と実清は付け加えた。すでにもらった物なのだから、どう使おうが自由、と言いたいらしい。しかし、さすがに恩賜の物だ。そうもいかない、と言うと、実清は不服そうにした。


「なら、この茶碗はチロの餌入れにしましょう。私は茶に興味はありませんから。」


 チロは、須佐城に居着いた野良犬の愛称だ。白い巻尾の犬で、誰が付けた名前かは分からない。愛想がいいので、御台所では食材の端切れをもらい、使用人たちからおやつをもらい、と、城暮らしを満喫している。

 それはやめとけ、と光春は諫めた。実清は、本気でその茶碗の価値を分かっていない。下手をすれば、皇子から頂いた立派な茶碗を、本当に野良犬の餌入れにするに違いない。結局、須佐城に置くことで納得させた。




 須佐守の館に帰ると、光春はすぐに宗勝に対し、詫びと礼の手紙をしたためた。

 書き終え、やっと一息つく。須佐からは離れた地だが、馴染みのある館は、やはり落ち着くものだ。

 昼餉に出されるのであろう、汁の匂いがする。宗勝の屋敷で出た朝餉の粥も美味かった。塩が控えめで、上に菜の漬物を刻んだものが乗っていた。だが、慣れ親しんだ物が一番良い。

 台所へ行くと、実清と中年の女房が食事を作っていた。


「トヨおばばはどうした。」


 光春が尋ねる。いつもなら、台所番はトヨという老女と、今いる女房がしている。それなのに、今日は女房と実清だ。トヨお婆は腰を痛めたそうで、と実清が答えた。

 煮干しを軽く炙って出汁として煮てある。実清がタラの芽の袴を手際よくとり、汁に入れた。最後に味噌をとき、味をみた。その様子を、光春は壁にもたれ、じっと見ていた。

 汁椀や箸を用意していた女房が、くすりと笑う。それに気づき、光春はなんだか恥ずかしくなり、無言でその場を去った。

 その様子には露ほども気づかず、実清は汁を椀についだ。若様が作る味噌汁のほうが美味い気がする、と考えていた。

 二日ほどそこで過ごし、トヨお婆の見舞いも済ませた。光春は、こういう点は本当に律儀だ。使用人の見舞いなど、手ずから行うものではない。トヨは感激のあまり、泣いて喜んでいた。

 そうして、二人は須佐へ帰ることとした。帰るだけでも十日はかかる。

 昼過ぎに出立し、館からほんの少し進んだ頃だ。背後から、馬の蹄の音がした。周りの者たちがざわついている。おおい、と聞いたことのある声がする。振り返ると、栗毛の馬に跨った菊丸宗勝がいた。共の一人も連れていない。


「間に合ったか。須佐守の館に行ってみたら、今しがた出たと聞いてな。この間は急に留め置いたのに、朝に見送ることもせずに失礼した。」


 そう言うと、宗勝は馬を降りた。とんでもない、と光春は改めて一泊と食事の礼を述べた。


「初めて会ったというのに、こんなにも名残惜しい別れはあるものだな。私も須佐へ行ってみたい。またおおいに語らおうではないか。」


 光春の肩を叩く。二人は、まるで旧知の仲のように見える。

 宗勝は実清を見た。光春が慌てて間に入る。光春にとって、実清が女子であることは当たり前のことだった。しかし、他人にはそうではなかったのだ。領国とは違う場所で、油断していたのは事実だ。宗勝に黙っていたことも、改めて詫びた。宗勝は全く気にしていないようだ。

 餞別と言って、宗勝は光春に路銀の足しを渡した。受け取れないと言っても、宗勝は頑なだった。それから、実清には落雁を渡した。淡い色で、花や鳥を模したものだ。実清は目を輝かせて、素直に受け取る。

 光春は、ふと二人を見て拗ねそうになった。

 なんで、宗勝は一介の従者である実清にも物をやるのか。いや、それを置いても、なんだ、奴の締まりのない顔は。実清は落雁しか見ていないが、宗勝は実清しか見ていない。実清が喜んでいるのを、まるで心の中で小躍りしているかのようだ。私なぞ、この場にいないみたいに。

 なぜ、こんなに気になるのだ。

 もやもやとする自分に気づき、光春は平静を装うのに必死だった。

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