04 蓮宮
案内役に通された先には、厚畳と屏風が置いてあった。さすが菊丸家、屏風の絵柄は簡素ながらも気品がある。重厚な欄間には松や鶴、草花が彫られており、とても豪華だ。
実清は席を外そうとしたが、案内役に言われ、光春と共に蓮宮を待つことになった。
「この畳、須佐のものだ。職人たちに教えてやったら、喜ぶだろうな。」
畳を触りながら、光春が言う。自国のものが、天下第一の将軍家に使われていることが分かり、嬉しそうだ。
廊下から足音が聞こえた。蓮宮だと思い、二人は頭を下げた。
「なんだ、おぬしらも呼ばれたのか。」
聞こえたのは、菊丸宗勝の声だった。
上座を譲ると、宗勝はそちらへ進んだ。そうかそうか、と一人言のように呟いている。
実清は目が泳いでいた。なにしろ、つい先ほど、宗勝を大衆の前で負かしてしまったのだ。ちらと横目で見やると、宗勝はしっかりと実清を見ていた。
ひぃぃ、と心の声で叫ぶ。
冷や汗が吹き出て、心臓が飛び出そうだ。喉がからからに渇く。
光春は二人の間にいながらも、視線に気づいていないようだ。
かなり待たされてから、廊下から足音と衣擦れの音がした。全員、頭を深く下げる。
一の宮様のお成り、と中年男性の声がする。厚畳の上に上がり、人が座る音がした。
「よい、楽に。」
若い男性の声がする。
顔を上げると、そこには同じくらいの歳の若者がいた。蓮宮だ。左の目もとに泣きぼくろがある。端正な顔立ちだ。ほくろのおかげで、えもいわれぬ気品と色香を感じる。
「今日の試合、皆見事であった。特に、宗勝と、それを最後に打ち負かした者。褒美をとらす。」
葡萄茶色の着物の男性が、宗勝と実清の前に木箱を置いた。
ありがたく、と言い、二人が頂く。
中身は茶碗だという。内裏への献上品も手がける名工の作で、宗勝へは優勝賞品、実清へは特別賞という形での下賜だった。宗勝の碗はあらかじめ準備していたが、実清の碗は、急遽、持って来させたのだという。
初戦敗退したために居心地が悪そうに座っていた光春は、ちらりと実清を見た。
あからさまにがっかりしている。中身が茶碗だったからだ。実清は茶道にも興味はない。どれだけ高価な道具だろうが、猫に小判だ。
その顔をやめろ、とつつきたくなるほどの落胆ぶりだ。
「それから、須佐の光春よ。」
唐突に名前を呼ばれ、光春はびくっとした。その様子を見て、蓮宮が笑う。
「久しぶりに腹の底から笑わせてもらったぞ。しかし、この水穂国も泰平の世である。かつての戦乱の世は、鬼のごとき武者が上に立つ世であった。今はそなたのような心優しき者が上に立つのも、必然かもしれぬ。そなたにも、なんぞやろうと思ってな。」
これ、と扇で合図をすると、また葡萄茶の男性が小包を差し出した。
「梅蔵に最近できた店のものでな。飴が人気で流行りらしいから、食べてみてくれ。」
光春も謹んで頂戴した。ふと見れば、実清がこちらを見ている。いいなあ、と顔に書いてある。眉がすっかりハの字だ。目はきらきらしている。
可愛いらしいが、今は頼むからやめてくれーー光春の心中は入り乱れた。その様子を見て、陰で宗勝も笑うのを我慢している。
「その方、名はなんという。申せ。」
蓮宮が真剣な面持ちで、実清を見た。羨ましいと言わんばかりの表情から、瞬時にきりりとした顔を作る。そして、軽く頭を下げた。
「は。須佐国が家老、葉山実信が子、葉山実清と申します。」
実清か、と蓮宮が呟く。
蓮宮は、長い間、じっと実清を見た。見つめ返すわけにもいかず、実清は困ったように軽く下を向き、畳の目を見ている。
「近う寄れ。」
蓮宮が言う。実清は、つと前へ進んだ。もっと、と蓮宮が言う。実清はにじり寄るように、ほんの少し前へ出た。
「ここまで。」
蓮宮が、とじた扇で厚畳の縁を示す。
何かしたっけ。宮様の側に座る日など、一生来ないものと思っていたのに。実清は手の震えを感じた。
仕方なく近くまで寄り、頭を深々と下げた。人が立つ音がする。顔の前で、気配がした。これ、と蓮宮の声がする。少し顔を上げると、顎下に扇をあてがわれ、上を向かせられた。
直視できず、実清は伏目がちになった。なにしろ、蓮宮の顔がすぐ近くにあった。近くで見れば、きめの整った白い肌、長いまつ毛、切長の目、明るい茶の瞳、薄い桜色の唇がある。これが、世に言う美男子か。左目の下の泣きぼくろも、妖しく美しい。
しばらくそうして、ふと蓮宮は微笑んだ。名残り惜しむかのように扇を離す。
「葉山実清か。覚えておこう。」
そして、皆ご苦労であった、と言い残し、静かに部屋を出ていった。残された三人はぽかんとしている。
外はすっかり暗くなっていた。
「ぼちぼち店も閉まるんじゃないか。」
光春が言う。ええ、と実清が不満そうな声を上げる。
「夜鷹蕎麦なら、きっとやってるぞ。あとは、店がどこに何があるか分からん。」
荷物をまとめ、光春が言う。実清はどうにも不服そうだ。蕎麦なら須佐でも食べられるからだろう。もう何日かいるのだから、と光春がなだめる。
すると、宗勝が二人を呼び止めた。
「もう暗いし、泊まって行かれないか。ここはうちの別邸だ。今日も、試合に参加した親族の者が何人か泊まる。私も今日はここで休むつもりだ。なに、二人ほど増えても構わない。須佐守の館には、遣いの者を出しておこう。」
でも、と光春が遠慮する。宗勝は笑顔を作ってみせた。
「なに、心配されるな。共に宮様に呼ばれたのも、何かの縁だ。」
そこまで言われると、断りづらい。実清は、打ち負かした宗勝への気まずさと、蕎麦以外の美味しい物が食べられるかもしれない期待で、始終そわそわしていた。