12 夕暮れ時の距離
翌日の昼過ぎに、宗勝は須佐を発った。変わらず良い天気だった。
領国境の街道まで、光春は父、須佐守桜田久光と共に宗勝を見送った。その帰りがけに、久光は光春に話しかけた。
「宗勝様から、おぬしも聞いたのだろう。二の宮様を担ぎ、菊丸家を討とうとする動きがあるらしい。」
はい、と光春は答えた。宗勝が来た初日に聞いた話だ。
「すでに宗勝様は、領地である旭陽国で挙兵の準備を進めているらしい。事が起これば私も菊丸家につこうと思う。異論はないな。」
もちろんです、と光春が答える。そして、尋ねた。
「敵将については、宗勝様は私には教えてはくださいませんでした。父上は、何か聞かれていますか。」
うむ、と久光が頷く。
「おそらく、雨城国椿山國照様ではなかろうかとの話だ。確たる証拠はない。だが、雨城国の藩士と思われる者の死体が、とある国の山中で見つかったそうだ。運悪く山道から滑落したようだが、その懐から、武器弾薬の発注書が見つかったらしい。」
この泰平の世において、戦の準備はご法度だ。私闘をするなら、大将軍菊丸家に届け出る必要がある。が、基本的には認められない。
雨城国椿山家といえば、菊丸家の親戚にあたる。菊丸家が城を構える都、梅蔵から離れた土地の藩主たちを監視するため、西の要として置かれていた。須佐国とも近い。
菊丸家の親戚の中でも一番の力を持ち、万一菊丸家に跡取りがない場合は、椿山家の子を養子として迎えることになっている。
発注書について、大将軍が椿山家に問いただしても、知らぬ存ぜぬを通しているという。大将軍が査察を派遣しても、隠してるあるらしき武器は見つからなかった。それどころか、言いがかりをつけられたと申立をしているらしい。
「計画が露呈したことで、敵が挙兵を早めるやもしれん。私は明日から、隣の稲氷国に行ってくる。おぬしを城代として残すから、頼んだぞ。」
稲氷国には、久光の妹が藩主の妻として嫁いでいる。藩主は久光と同年代でもあり、親戚にあたるから、久光にとって話もしやすいのだろう。
その言葉どおり、久光は翌朝には稲氷国へ向けて旅立った。
夕方、光春は須佐城から城下を眺めていた。傍には実清がいる。
太陽は傾き、城下を朱に染めている。昼間よりも涼やかな風が吹き抜ける。木々の葉がさらさらと鳴る。
実清は主人の横顔を見つめていた。
この前の夜のことを、覚えているだろうか。
「どうした。」
視線に気づいた光春が問う。実清がビクッと肩を振るわせる。光春が不思議そうにした。
少しの間があり、実清は口を開いた。
「若様、この前の……宗勝様が来られた夜のことは覚えておいでですか。」
この前の夜か、と光春は空を仰ぎ見た。何かあったかと思案している。この様子だと、酒のせいで覚えていないのだろう。
あんなに、あんなにも私の心を乱しておいて。女であることを、あれほど痛烈に自覚ささせておいてーー。実清は唇を噛んだ。
どうした、と光春が尋ねる。
「いいえ、何も。」
拗ねたように実清が答える。そして、俯いてしまった。
少し残念そうに見えるのは、実清が下を向いているからだろうか。光春は横目で実清を見た。
忘れるはずがない。いくら酒に酔っていたからと言っても、忘れることはない。あの夜、たしかに宗勝の告白を聞いてしまった。宗勝が、実清に触れるのを見てしまった。
あの瞬間、すぐにでも宗勝を殴ってやりたかった。私のものに触れるなと言ってやりたかった。そうしなかったのは、宗勝の目があまりにも真剣だったからだ。遊びや面白半分ではなかった。
そして、光春が実清を女子として扱えば、実清のことを否定する気がしたからだ。実清は生まれてからずっと、男として育てられてきた。一度としてそれを嫌がったり、悲しんだ所は見た事がない。もし光春が、実清のことを女として好いていると言えば、今までの実清が間違っていると言うのと等しい気がしたのだ。
思ったことを抱え込まずに言えと、この口で実清に行ったのに、己は言うことができない。それもまた歯痒かった。
いくら男の着物を着ても、刀を握っても、実清は女なのだ。抱きしめた時の体の細さ。首すじの柔らかさ。あの夜、痛いほど教えられた。猛烈な嫉妬を抑えられなかった。忘れるわけがない。
今が夕暮れで良かった。光春はそう思った。全てが朱に染まるこの瞬間に、己の顔が赤くなろうとも、実清には分からないだろうから。