11 月夜の宴 2
実清殿を嫁にーーたしかに宗勝はそう言った。
お前、と実信が実清を振り返り、一喝する。
「申し訳ございません、父上!」
宗勝に女だとバレたことは、父には言っていなかった。実信がにらみをきかせる。
責めないでやってくれ、と宗勝が制した。
「あれは、私が悪かったのだ。」
宗勝にそう言われては、実信も返す言葉がない。実信は重たい口を開いた。
「ありがたいお言葉ですが……宗勝様もご存じのように、実清は私の一存で男として育て上げました。女子としての教養も身につけさせてはおりますが、振る舞い、武芸、どれをとりましても、並いる武人に引けをとりません。我が子ながら、よき武士になってくれたと思います。」
そして、ちらりと実清を見やる。
「我が家は格も劣ります。宗勝様なら、良き縁談は迷うほどありましょう。」
それでも、と宗勝は食い下がる。
「私は数多の女人の中で、初めてこうして惹かれたのです。」
実信は渋い顔をしたままだ。
「実清は、我が息子にございます。」
そうか、と宗勝は答え、思案した。そして、実清と二人にしてくれと言う。
実信は立ち上がると神妙な面持ちで退出し、扉を閉める直前に実清をにらみつけた。
「実清。」
不意に名を呼ばれ、実清は畏まった。
「突然で済まなかった。しかし、どうにも止められなかったのだ。」
はぁ、と実清は宗勝を見た。
「そなた、葉山実清という以外に、名は持っていないのか。」
実清はぐっと詰まった。女だとバレている相手だ。今さら隠したところで何になろう。
「主人との旅路では、女子として随伴することもあります。旅籠に泊まるときは、その方が都合が良いのです。その際は、清と名乗っております。」
お清か、と宗勝が呟く。
「……この話、受けてはもらえぬだろうか。」
宗勝は、決して身分や家格を盾に強要などしてはいない。無理強いしようと思えば、できることだ。それなのに、今だって命令してはいないのだ。
実清は返答に詰まった。どう答えたものかと考えあぐね、床に目を落とす。しばしそれを見て、宗勝が微笑んだ。
「あい分かった。答えを聞くまでもなかったようだ。振られてしもうたな。」
実清は額を床に打ちつけんばかりに、深々と頭を下げた。よせ、と宗勝が言う。
「おそれながら、申し上げます。私には、他の女人にあるような、美しく長い髪もありません。刀を握り、手はマメや小傷ばかりで、白魚のような肌でもございません。」
卑下するな、と宗勝が遮った。
「そなたと出会った日から、忘れられないのだ。全てを私の手元に置き、隠してしまいたいと思ったのだ。いわゆる、一目惚れというやつだろう。」
そして、実清のそばまで来た。声を落とし、触れてもよいだろうか、と控えめに尋ねた。少し寂しそうな声だった。
強く断ることができず、実清は固まったままだ。
それを了承と受け取ったのか、宗勝がそっと実清の手に触れた。まるで、薄氷にでも触れるかのような優しさだ。指に触れ、次に頬に触れた。指を下に滑らし、唇をなぞる。
唇に触れられた瞬間、宗勝の体温を感じた。
「すまないが、これだけでは引き下がれそうにない。許してくれ。」
くすりと笑うと、宗勝は部屋を後にした。
一人残された実清は、その場に座り込んだ。全身の力が抜ける。顔に火が灯っているかのように熱い。くらくらと床が揺れる気がする。
ふぅっと息を吐き、夜風に当たる。風が頬を撫でる感触が、先程の宗勝の掌に重なる。
何を考えているのだ、私は。
実清は目を閉じた。
若様に誠心誠意お仕えすると決めた日から、この命は他の誰のものでもない。迷うことなど、あり得ないのだ。きっと、酒のせいだ。今宵の月が美しかったから、酒が進んでしまったのだ。
その時、部屋の引き戸がかたりと音を立てた。見れば、光春が立っていた。かなり酔っているようだ。
「すまない、盗み聞くつもりはなかったんだ。」
実清の方へ歩み寄る。そして、倒れ込む勢いで、実清にしがみついた。
光春の体温が熱い。酒臭い。どれほど飲んだのだろう。
光春の手が実清の背中を掴む。
若様の手は、こんなに大きかっただろうか。こんなに力強かったろうか。
若様、と実清が声をかける。
「お前、行くのか。」
若干呂律が回っていない。ゆっくりとした口調だ。
「お前をどこにもやりとうない。お前は私のものだ。宗勝なんかにやりとうない。行かないでくれ。」
そう言うと、光春は実清の首元に顔をうずめた。猫が甘えるような仕草だ。
若様、と実清が呼ぶ。
「どこにも行きません。私は、若様のものです。若様にこの命を差し上げる覚悟です。」
光春は反応がない。聞けば、寝息がする。
実清は一気に汗が吹き出るのを感じた。
自覚させられてしまった。今まで、気づかないよう自分で気持ちに蓋をしていたのだろう。男として生きてきたから、女としての、お清としての気持ちは見ないふりをしていただけかもしれない。
私は、若様が好きなんだ。