10 月夜の宴
城は人ですし詰めになった。須佐城はもともと小さな城だ。なにしろ、国の規模も小さい。そこに二百人ほどが突然増えたのだ。須佐城では、普段の御用人に加えて、臨時の雇い人も働いていた。
夏の兆しが見えるこの頃、日は長い。明るい中、もてなしの宴が開かれた。ほの明るいうちは庭園の随所に灯りを置き、緑と花を楽しむ。暗くなってからは、月明かりを楽しむ。その中を、蛍がゆらゆらと飛んだ。
酒が出され、普段よりも贅沢な膳が並ぶ。
鱚の天ぷらに須佐の塩をつけて食すと、宗勝は舌鼓を打った。
時が経つにつれ、話や唄で盛り上がった。が、やはり一行は疲れていたのだろう。宗勝が連れてきた共の藩士たちは、眠気を隠しきれていない。
流れで宴も終いになったあたりで、宗勝は光春と実清を誘い出した。月明かりを頼りに庭園を歩く。
「今宵はご苦労であった。須佐守殿から聞いたが、おぬしら二人が宴を用意してくれたようだな。庭の眺めが美しかったぞ。魚も美味かったし、冬瓜のすり流しも良い風味だった。西瓜も塩をつけると美味であった。やはり塩が良いのだろうな。」
光春は恐縮した。
歩いていた宗勝が足を止め、二人を振り返る。
「須佐まで来たのはな、理由があるのだ。」
突然、真剣な面持ちに変わった。
「実は、この水穂国を二分する争いが起きるやもしれないのだ。」
宗勝によると、どうも怪しい動きがあるという。現在は、皇帝位継承順位は皇太子である蓮宮が第一だ。第二は、その弟である二の宮にある。今、その二の宮を担ぎ、次期大将軍である宗勝にも牙を剥こうという勢力があるのだという。おそらく、宗勝の親族だ。
「まだ確たる証拠もなく、分からないことが多いのだ。だが、もしそうなった時……私は、おぬしらに助力を乞いたい。それを願いに、私は須佐へ来た。二の宮様には何度もお会いしたが、あのお方は恐ろしい。心に鬼を飼っておられるようだった。泰平の世を安く導くには、蓮宮様のように心優しきお方が必要だ。どうか、頼む。」
宗勝が頭を下げた。二人は恐縮する。
たしかに、二の宮は野心家と聞いたことがある。帝位の簒奪に余念がなく、将軍家が目を光らせている武家と繋がっているとも聞く。
二の宮は心根が残虐だ。どうも生まれつきのもののようだった。遊び半分で犬の子を池へ突き落とし、鳥の翼を引きちぎる。仕えていた女房が気に入らなければ目を潰し、臣下が進言すれば舌を切り落とした。
蓮宮は、二の宮に痛めつけられた者を、手元に置いているそうだ。
「どうぞ頭を上げてください。……そのような謀反の噂があったとは、全く知りませんでした。もし、まことそのような大事がありましたら、喜んで駆けつけましょう。」
光春が頭を下げた。実清もそれにならう。
池の鯉がぱしゃんと跳ねる。池に映る月明かりが波打った。
翌日、光春は宗勝と共に、馬で領国を案内した。もちろん、実清も一緒だ。宗勝の共の者も一人いる。
よい朝だ。とはいえ、巳の刻は過ぎている。四頭の馬の蹄が耳に心地よい。暖かな潮風が頬を撫でる。
宗勝は塩田の様子を興味深そうにしていた。塩釜の中で、濃度の濃くなっていく海水をじっと見ていた。徐々に釜の表面に潮の塊ができていく。それが途中、桜か牡丹の花のようになり、最後には円錐形になっていく。宗勝は、塩が花のようになるのが気に入ったようだ。
「若様、昨日できた塩で、むすびを握っております。」
「若様、魚の塩焼きもございます。」
「若様、去年漬けた梅干しもどうぞ。」
浜子たちが光春のもとにわらわらと集まる。幼い子が、束にした花を差し出している。宗勝は目を丸くしていた。
「光春殿は、民に好かれておるのだな。」
はは、と光春が照れくさそうに笑う。
「光春殿は、良き武人かな。」
宗勝が浜子たちに尋ねた。それを言われると、頷けない。光春は愛想笑いをしている。浜子たちからも、どっと笑いが起きた。
「光春様は、刀も槍も、鉄砲もだめだもんなぁ。」
「そうだ。馬だけはなぁ、それでもお上手だ。優しいお方なのが、馬にも分かるんだろうよ。」
「光春様はお優しいからなぁ。皆の名前を覚えてくれるし、薬や食べ物をくださるし、赤子の相手もしてくださる。そのうち、敵でもなんでも、助けちまうんじゃねぇですか。」
「わしらが、光春様をお守りせにゃな。」
そう言われる間も、光春の周りには子供たちが群がる。光春は、その子らをおぶってやったり、肩車してやっている。
その様を、宗勝は目を細めて見ていた。
「なるほど、良い主なのだな。」
雄々しい武人の威厳はない。恐ろしさや畏怖の対象ではない。けれど、光春は皆から慕われていた。
その日の夜も、盛大な宴が催された。
茄子の味噌田楽や、蛸の酢の物、きゅうりの塩揉み、おくらの和物、小さなイカの天ぷら。天ぷらには、干した柑橘の皮を擦り混ぜた塩が添えられていた。それらを肴に、梅酒や酒を酌み交わす。
十六夜の月に、薄衣のような雲がかかる。
大半が飲み潰れたあたりで、宗勝は実清と、その父葉山実信を誘い出した。光春は、宗勝の共の者たちと笛を吹いている。
宗勝が、人のいない板間の部屋に入る。月明かりが、水面のような床板に反射している。遠く聞こえる笛の音に、庭の虫の音が重なった。
「葉山殿も、ご苦労であった。家老としての働きぶり、須佐守殿から聞いておる。」
実信はかしこまった。はて、宗勝に特段呼び出されるような心当たりはない。
当の宗勝は、庭を見て黙ったままだ。そのまましばらく時が過ぎる。実清を振り返ると、実清も怪訝な顔をしていた。
「あの、宗勝様……なんぞ、私どもに不手際でもござったのでしょうか。肴がお気に召しませんでしたか。」
恐る恐る、実信が問う。いや、と宗勝は答える。
では、いったいなんなのか。じれったい空気を感じた宗勝は、二人を振り向いた。座っている両人に向き直る。
「お二人に、頼み……と言うより、願い出たいことがある。須佐に来たのは、このためでもある。」
改まって、彼は床に手をついた。
「実清殿を、嫁にいただけぬたろうか。」