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01 春の庭

 青空に桜がひらりと舞う。よく晴れた日だ。

 ここは、水穂国みずほのくに。豊かな水と森に恵まれた島国だ。

 その片隅に、須佐国すさのくにがある。さらにその中心部、北町にこぢんまりとした城があった。その庭先で、小袖姿の二人の影が、木刀を打ち合っていた。


「もう疲れた、少しは休憩させてくれ。」


「若様。先ほど休まれたばかりではありませんか。」


「先ほどって、お前……四半刻も前のことだぞ。」


 疲れきっているのが、須佐守すさのかみの嫡男、桜田光春さくらだみつはるだ。若様と呼ばれた彼の歳は十六だ。

 もう一人は、光春の右腕、葉山実清はやまさねきよだ。実清も歳は十六だ。父親は須佐国で家老を務めている。

 二人は主従関係にありながら、幼い頃からともに腕を磨いてきた仲だ。唯一、他と違ったことといえば、実清が本当は女だったことだ。これは、須佐国でも一部の者しか知らない。

 実清の父は長い間子宝に恵まれず、四十を過ぎてようやく実清を授かった。これが最初で最後の子になるかもしれないーーそう思った父親は、娘を嫡男として育てることにしたのだ。実清の母は、実清を産んですぐに亡くなったので、誰も止める者はいなかった。

 早春の陽射しに、額の汗が玉のように光る。

 光春は木刀を置き、縁側に腰掛けた。小皿によそってある、塩からい大根の漬け物をつまむ。まだ冷たい風が心地よい。着物の袖がはためいた。実清は、手拭いと水を差し出した。


「今度、蓮宮はすのみや様が剣術の御前試合を開かれるだろう。」


 水を飲み干した光春が言う。

 蓮宮は、現東宮、つまり皇太子のことだ。蓮の花を愛する方なので、愛称として蓮宮と呼ばれていた。何の縁か、蓮宮も齢十六だった。

 この国は、頂点に帝を頂き、大将軍菊丸家が各国の藩主たちをまとめていた。彼らがいる須佐国の収入は四万石。大将軍家の収入が、本家だけで二五〇万石というから、須佐国など小さなものだ。

 武家の下には、農家、職人、商人がいる。皆、それぞれの家を継いで、暮らしを守っている。

 戦乱の世が終わって久しいが、人々はこうした生活を、もう百年以上続けていた。


「その試合、お前が代わりに出るのはだめかな?」


 光春がちらと実清を見ながら言った。

 実清は膝から崩れ落ちそうになった。

 次の須佐守ともあろう目の前の主君は、文芸は優秀だ。しかし、馬術を除いて武芸は目を見張るものはない。光春は九男だったが、上の兄八人は皆、流行りの病気や事故で他界している。姉が五人いるが、こちらも皆、よそに嫁いでいた。

 実清は反対だ。武芸は何をやらせても優の成績がつく。歌や舞は得意ではなかった。

 こればかりは、二人ともセンスの有無としか言いようがなかった。


「だめに決まってるじゃないですか、そんなの。」


 だよなぁ、と光春は肩を落とす。

 御前試合は、今上帝と蓮宮の面前で行われる予定だ。蓮宮が、全国から同じ歳くらいの者を集め、剣術試合をしようと思いついたのだ。きっと、いい交流の機会になるとでも思ったのだろう。負けたからといって、何か処罰があるわけではない。けれど、皆プライドがある。試合は勝ち上がり方式だが、光春だってせめて初戦敗退は避けたかった。


「誰かが負けるんだから、仕方ありません。」


 実清が、諦めとも慰めともとれない言葉をかける。


「せめて一度くらい勝たないと、お前の主君として情けないだろう。」


 そっぽを向いて光春が言う。顔は見えなくても、悔しさに涙が滲むのをこらえているのだ。

 ふっと実清は笑った。


「私が若を見限るなど、天地が割れてもありえませんよ。」


 光春が袖を目に押しつけている。若、と実清が声をかけた。


「なんでもない、目がかゆかったんだ!」


 子供のような言い訳に、実清は笑い出しそうなのをこらえた。




 あれは、六つの頃のことだ。その頃、実清はすでに武芸で光春を抜いていた。いや、同い年くらいの子の間では、抜きん出ていた。

 ある日、実清は竹林に入って遊んでいた。すると、何をどう間違えたのか、道に迷った。さらに運の悪いことに、山に潜んでいた盗賊に見つかった。恐怖で足がすくみ、腰が抜けて動けなくなった。あわや攫われるというところで、光春が現れた。真剣など握るのも初めて、ましてや剣術は下手な光春だ。

 それでも、光春は震えながら、実清と盗賊の間に割って入った。そして、声を張り上げてこう言った。


『この者は私の家臣ぞ。手を出すなら、須佐守桜田家を敵に回すと思え。』


 それを機に、光春に一生ついていこう、と幼心に思ったのだ。

 主君はとかく人に優しい。長く共にいるうちに、その優しさにほだされてしまったのは否めない。けれど、その優しさが実清は好きだった。




「何を笑ってるんだ。」


 すっかり涙が乾いた光春が、実清を見ている。

 思い出しているうちに、知らず口元がにやついていたのだろうか。なんでも、とだけ実清は返事をした。

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