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其の一「新人教死」

3月、俺が受け持った生徒たちが巣立っていった。

もう4年経ったのかと感慨に耽る。


大学卒業後、1年間の講師生活を経て俺は念願の高校教師になった。

初年度は正規採用に浮かれている暇もなく、初任研や担任、授業担当などの業務に忙殺された。

何度も挫折し、事あるごとに辞めたいと思った。

これを支えてくれたのはメンターの笹倉先生をはじめとした指導教官の先生方のおかげだ。

笹倉先生には仕事終わりによく飲みに連れて行ってもらった。

最初は「なんで仕事をプライベートにまで持ち込まなきゃいけないんだ」と、内心不服だったが笹倉先生はさすがだった。

俺が疲弊して悩んでいることを察して、誘ってくれていたのだ。

ホッケの塩焼きを食べながら、いつの間にか泣いていた。

自然と溢れる涙に、俺は一人で抱え込みすぎていたのだと実感した。

誰かに頼ることの大切さを教えてくれた笹倉先生とは、いまだに仕事終わりに飲みに行く。

初任者は慣例で受け持った生徒が卒業すれば異動となる。

笹倉先生とは離れてしまうことになるが、これからもその関係性は維持していきたいものだ。


2年目になると1年生の担任となった。

入学当初は中学生のあどけなさを残していた生徒たちは、可愛さもありながらも憎らしさもあった。

俺の学級経営の手腕が未熟だったこともあり、クラスは少し、いやだいぶ荒れた。

授業中の脱走、喫煙、飲酒、いじめ……昨今取り沙汰されている教育問題は軒並みコンプリートしたのではないか。

自らの実力不足を嘆き、私は学年団の先生をはじめとした多くの先生に助けを求めた。

その甲斐もあり、その年度末にはクラスの雰囲気もだいぶよくなっていた。

そして俺自身もさまざまな問題を乗り越えたことでそれなりの指導スキルを身につけることができた。

結果として、この1年が俺にとって一生残る経験となったわけだ。


3年目、持ち上がりで2年生の担任になった。

多少の入れ替わりはあったが、1年生の時のクラスのメンツはほとんど変わっていなかった。

1年生の時に比べれば、クラス開きは非常にスムーズだったのではないか。

俺自身も経験を積み、余裕が出てきた。

体育祭、文化祭、修学旅行などの学校行事を思い切り楽しむことができた。

秋口には不登校の生徒が出たり、また喫煙問題が出た。

しかし、秋口には生徒指導案件が頻発するというジンクスは知っていたので、俺はなんとかやり切ることができた。


4年目、いよいよ3年生の担任になった。

生徒は就職3割、進学7割という状況だった。

調査書を作成したり、先生方に就職、進学の指導をお願いしたりとかなり忙しい1年だった。

無事、全員の進路が決まり、卒業式を迎えた。

東北地方としては異例の暖かさが続き、本来であれば見ることのできない3月の桜が舞い散る中で、俺の受け持った生徒たちが学舎を巣立っていった。

4年間という期間はあっという間ではあったが、思い出がたくさん詰まった時間だった、

最後のホームルームの時間、生徒のみんなが俺にサプライズで動画を作ってくれていた。

1年生からのクラスの写真やメッセージがその中には詰まっていた。

「先生なんで泣いてんのウケる」

そう言われて俺の頬に涙が伝っていることに気付いた。

笹倉先生の前で流した涙と今の涙は全然違うものだった。

教師になってよかったと、心からそう思った。

これから私は異動になるが、また担任をやりたい、そう思った。



そして、その日に俺は死んだ。



帰り道、後ろから来た乗用車に撥ねられた。

痛いとか感じる暇もなく、俺の体は最も簡単に吹き飛ばされた。

なんで死んだって分かるかって?

そりゃ、轢かれた自分の体が目の前にあったからだ。

俺は道路に横たわる自分の姿をただただ見守るしかなかった。

横たわる俺の頭の下には、赤黒い血溜まりの円が広がっていくのが見えた。

これが死か、先程まで感じなかった恐怖が湧き上がってきた。

死にたくない。

まだまだ人生これからなのに。

撥ねたやつをこのまま呪ってやろうか、俺は今幽霊なんだぞ。

恐怖は次第に怒りへと変わっていった。

その時、後ろから肩を叩かれた。

幽霊であるはずの自分の肩を叩くのは誰か、思い当たるのは死神か何かか。

おそらく自分を迎えにきたのだろう。

そう思い振り返ると、そこには中年の背の高い男が立っていた。

顔には皺が刻まれているが、堀の深い顔は俳優を思わせる美しさがあった。

「この度はご愁傷様です」

男は話しかけてきた。

こういうのは身内が亡くなった人に言うもんじゃないのか、返答に困る。

「あ、ありがとうございます……どなた様ですか?」

「私、こういうものでして」

男は名刺を差し出した。

幽霊の世界にも名刺はあるんだな、と思いつつ受け取る。


”死立怪異高等学校 フクダ”


名刺には明朝体でそれだけ書いてあった。

ずいぶん不吉な学校名だ。


「なんなんですかこれ」

思わず尋ねた。

「びっくりされるのも仕方ないです。突然ですもんね。まだあなたの身に何が起こっているか、私が一体なんなのかも分からないと思いますので説明させていただいてもよろしいでしょうか。あ、そこに座って話しましょう。立ったままもなんですし」

事態は異様であるにも関わらず、フクダの丁寧な対応が俺の不安を和らげていた。

俺とフクダは少し離れた縁石に腰掛けた。

「もうお察しかとは思いますが、あなたは先ほど亡くなりました」

「やはり……そうなんですね」

「はい、その証拠にあなたの魂は今ここにある」

フクダは俺を指差す。

「そしてあなたの魂はこの人間界では脆く、もうすぐ消滅する運命となっております」

「えっ」

俺は思わず声を漏らした。

「天国とか地獄とかないんですか?」

「そんなものはありません。人間界において死んだ後は無が待っています。今は最後の余韻の時間なのです」

「じゃあ俺はもうじき、消えるってことですか…?」

「そうですね、このままだと」

フクダは遠くを見た。

「しかし、意識を残す方法が1つだけあります」

「1つだけ…?」

「霊界に来ることです」

「れ、霊界?」

「はい、怪異が暮らす世界だと思ってもらえれば。そこで私が働く死立怪異高等学校にて、教師になってもらえませんか?」



「…はい?」

あまりに突飛で、あまりに不可解な提案にただただ唖然とするしかなかった。

「霊界にも学校がありまして、怪異も学校に通うのですよ。しかし、最近教師が不足しており、ぜひあなたに教壇に立ってもらいたいと思い、この度参りました。」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「はい、待ちますよ、ですがあなたに残されている時間はあとわずか。賢明な判断を願います」

フクダは俺の手を指差した。

俺は手を広げて見る。

指先から手のひらにかけて手が透明になっており、向こう側にいるフクダが見えた。

フクダは優しく微笑んでいた。

「大丈夫です。教師として実力をつけたあなたなら、きっとこちらの世界でもやっていけますよ」

フクダはガッツポーズを作って目を細くした。

俺は自分の死体、消えかけた手、フクダを見比べ、真っ暗な空に息を吐いた。

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