1 幻聴
「あの~」
空耳かな?
「あの~」
何だろう?
「もしもし」
疲れてるんだろう。
「もしもし」
幻聴だったら、やばいな。
「聞こえてますか?」
多分だけど、昨日の酒がまだ残っているかもしれないなあ。
「お~い!」
と、その時だった。
目の前に、何かが飛んできた。
「ひ!」
俺は驚き、のけ反った。
「驚かせてすみません」
「へ?」
虫?
しゃべる虫?
「ああ、あの~、私は無害です」
自分は人畜無害と言って、その通りだった人間に出会った事が無い。
儲け話しがありますとか、あなたにしか出来ない仕事がありますとは、たいてい碌なことがない。
つまり、こいつは有害だ。
まあ、虫は大概有害だが。
「殺虫剤、殺虫剤と」
「あの!」
「ハエ叩きは、どこかに無かったかな。」
「だから、私は安全です!」
ふむ。
少し、冷静になろう。
自分の事を無害と言ったり、安全と言ったりする虫を、どう考えればいい?
というか、こいつは本当に虫か?
だいたい、しゃべる虫って、もう幻覚や幻聴を通り越して、やばい奴認定だろう。
「すみませんけど、よろしいでしょうか?」
「ああ、間に合ってます」
「私は間に合ってません!」
どういうことだろうか?
会話が成立している。
いや、これも俺の頭の中での妄想ゆえに、会話のキャッチボールが成立するんだろう。
そうだ、きっとそうに違いない。
そう言えば、ゼミの講義でカフカをやったな。きっと、その影響に違いない。
講師が虫そっくりだったから、笑いをこらえるのに必死だったけど。
「あの!!!」
「うわ!」
虫の頭突きというか、体当たりをされた。
痛くもなんともないけど、虫の方がぴくぴくしている。
「死んだか?」
つんつんしたいけど、虫はばっちいからなあ。
「死んでません!!!」
「おお、元気だ」
「もう!」
「それで、あんた、俺に何の用だ?」
「ああ、やっと話せた。もう、人の話しをちゃんと聞いてください!将来、ロクな大人になりませんよ!」
何で、虫に諭されるんだ。
そういえば、サークルの飲み会で、お前は虫以下とか言われたなあ。
ちょっと、女子のお尻を撫でたぐらいで、虫呼ばわりはないよな。
俺はそれだけ、女子のお尻を愛しているんだから。
親しき仲にもスキンシップありって、言うよね?
言わないか。
だから、虫が俺を諭しにきたわけだ。
同類ということか。
うん、納得。
「それで、お願いがあります!」
「ああ、はい」
「血を分けてください」
「はい?」
「だから、血を少々分けてください」
「いやです」
「何でですか!」
「だって、普通に嫌じゃん」
「少しぐらい、いいでしょう?」
「少しも嫌です」
「減るもんじゃないし」
「減ります」
「だって、いつもそう言ってるじゃないですか?少しぐらいなら、減らないからって」
「え?」
「他の女性にも、先っぽだけ、先っぽだけだからって、あなたはいつも女性にそう言っているじゃないですか!」
「え?おいおい?どこで聞いた?」
「私は虫ですので、いつでもどこにでも、いつも見ています!」
「油断も隙もないな」
「だいたいですね、あなたは女性を何だと思っているんですか?もっと、優しくしてください」
はあああああ、やっぱり俺を諭しに来たのか。
なあ、虫以下ってさ、俺はもう何だろう?
「だから、女性である私に、優しくしてください。ほんの先っぽだけですので」
「先っぽだけって、どこに入るの?」
「先端だけです」
虫の先端って、見えるのか?見たくないけど。
「まあ、いいよ」
初体験だけど、虫だからね。どうせ、大したことはない。
「ありがとうございます!じゃ、遠慮なく」
というや否や、虫は俺の腕に突進してきた。
「おい?何する?」
「あなたこそ、何で避けるんですか?往生際が悪いですよ」
「いや、だからお前、俺に何をする気だ?」
「血を少々、頂きますって、さっきからそう言ってるじゃないですか」
と、口から針のような物を出してきた。ちょっと、怖いかも。
「刺すのか?」
「刺さないで、どうやって血を吸うんですか?」
「ほ、他に方法は無いのか」
「ありません!さあ、時間が無いから早く諦めて私に血をください」
「だ、だって、怖いじゃん、痛そうじゃん」
「平気です。私の唾液には、麻酔薬が含まれてるんです」
「そうなの?すごいね」
「そうです、私ってすごいんです!えっへん!」
何で、虫の分際でドヤ顔なんだ?
虫のドヤ顔が分かる俺も、大概だよな。酒呑もうかな。
「というかさ、唾液って汚くない?」
「酷い!乙女心が傷つきました」
虫の乙女心って、どうよ?ていうか、泣いてるし。
「ああ、もう。分かったから。早く吸いな」
何だか、面倒になった。
女はいいよなあ。泣けばいいんだからさ。
それに俺は明日の準備もしないといけないから、さっさと済まそう。
「ありがとうございます。やっぱり、お兄さんって優しい」
「虫に言われてもなあ」
「まあまあ。いいことがありますよ」
「どんなこと?」
「お兄さんが昨日、押し倒そうとした女性ですけど」
「ああ、もういい」
散々殴られたから、もうノーカンだろう?
というか、殴るなら一回ぐらいいいだろう。
勿体ぶりやがって、男の純情をなんだと思ってるんだ。
とういか、虫に励まされる俺って、もう終わり?
と思ったら、少しチクッとした。すると、あっという間に虫のお腹が赤くなった。
あれって、俺の血か。正直、キモイ。
「ふ~、ごちそうさまでした」
虫が俺に、ペコリと頭を下げた。
「はいはい、どういたしまして」
「このご恩は、一生忘れません」
「そう、期待してるよ」
「でも、私達の一生は短いですけどね」
「ああ、そうかい。終わったら、さっさと帰ってくれるかい?」
「何か恩返しでも」
虫の恩返しか?
「なんだか、嫌な予感しかしないから、要らないけど」
「大丈夫です、私達の神さまに、お願いしますから」
何?
神さまと話せるのか?
さすが虫は違う!
「おお!ならさ、俺を億万長者にしてくれ」
「無理ですよ、そんなの」
「神さまなんだろう?」
「神さまだって、したいこととしたくないことがあるんです!」
うん?微妙な言い回しのような?
「ならせめてさ、当たる宝くじとか欲しい」
「即物的ですね。もっと、別の何かにしてください。罰があたりますよ」
何で、罰が当たるんだ?せっかく、俺の貴重な血をあげたのに。
虫の恩返しじゃないのか?
「まあ、いいや。時間も無いし」
そうだ、早く支度をしないと。明日は早いし。
遅れたら、しごきがまってるし。
う~ん、何お願いしよう?
神さまと言えば、安産祈願?
いや、俺男だし。
「じゃ、交通安全でもいいか。普通ぽいし」
「抽象的です。もっと、具体的にお願いします。そうでないと、神さまはお願いを聞いてくれませんよ」
何だ、そりゃ。
「ええ?交通安全って、定番じゃん」
「そんなふわっとしたお願いではなく、もっと分かりやすくお願いします。神さまだって、困ります」
面倒だな。虫の癖に、理屈っぽいなあ。
「なら、明日事故に遭わないように。これならいいだろう?」
「さっきよりはいくらかマシですが、まあいいです。私も忙しいので」
「忙しいって、何するんだ?」
「産卵するんです」
「おい?」
この部屋を虫だらけにする気か?
「安心してください。ここではやりません。このお部屋は汚いし、キレイな水場も無いので」
虫に部屋が汚いって言われたけど、そう言えば先日お持ち帰りした女子にも言われたな。
ここはゴミ溜めか、ゴミって。
・・・・・ゴミって、もしかして俺のことか?
何だか、腹が立ってきた。
送ってくれたお礼をするよって、部屋に上げてやったのに。
そうしたら、罵声と蹴りをくれやがって。
親切な俺の思いやりを何だと思ってるんだ。これだから暴力女は好きになれん。
何だか、腹が立ってきた。
一発ぐらい、やらせろよ。本当に、最低な女だ。
ああ、本当に腹が立ってきた。
「もういいから、さっさと帰れ」
「はい。では、神さまにお伝えしますね。血を分けてくれて、ありがとうございました」
すると、虫はいきなり消えてしまった。
そうか、やっぱり幻覚だったのか。
それにしては、やけにリアルだったような。
さて、支度、支度と。
「大丈夫ですか?」
「へえ、らいようぶれすぅ~」
早朝駅に向かったら、目の前がくらくらしてきた。頭痛も酷く、酒を呑んでいないのに二日酔いの感じだ。
でも、行かなくては。
そう思うものの、身体が前に進むことが出来ない。
「君、顔色が悪いよ」
「熱もあるようだ」
「誰か、救急車を要請して」
大人達が俺の意思を無視したけど、意識があったのもそこまでだった。
「知らない天井だ」
一度、言ってみたかった。
「あら、起きました?」
「ええっと、ここはどこ?あなたは誰?私はイケメン」
「病院です。あなた、倒れたんですよ」
俺の軽口を、軽くスルーしやがって。
「はあ。そうですか」
というか、目の前に居る人って、女性だったのか。
真っ白な服で全身を覆い、ゴーグルを掛けていたから、声を聴くまで性別が分からなかった。
せめて、おっぱいが大きければ、分かるんだが。
確認の為に、触ってもいいかな?
いや、まずいか。何か武器みたいなものを持ってるし。
「あの~、俺どうなったんですか?」
「熱帯性の伝染病です」
「伝染病?って、死ぬんですか?」
「大丈夫ですよ。熱も下がりましたし、血圧や脈拍も正常の値になりましたし」
ということは、さっきまでやばかったということか?
「・・・・・・・・あ!」
「どうしました?」
「合宿!」
「合宿ですか?」
「そうですよ、俺今日、サークルの合宿に参加することになってたんです。こうしてはいられない、今すぐに行かないと」
「ダメですよ。無理しないでください」
「ここで無理しないと、後で死ぬよりひどい目に遭うんですよ」
「死ぬよりひどい目って、警察に相談したらどうですか?」
「そんな冗談を言ってる場合ですか?」
問答無用だ。合宿に参加することは、最優先事項だ。
他人にどうせ、言っても分かるまい。
先輩方がどれだけ鬼畜かを。
ああ、でも、お姉さんのおっぱいを触らせてくれたら、行くのやめてもいいけど。
手を伸ばそうとしたら、全身真っ白な看護師さんは、俺の側から逃げてしまった。
チッ!逃がしたか。
「先生!」
「どうした?」
「患者さんが、暴れるんです」
暴れてません。おっぱいが触りたいだけです。
「鎮静剤でも打っておきなさい」
「ダメです!行かないと!」
おっぱいを触らせてくれない限り、俺は行くぞ!
そう思ったけど、俺は複数の、恐らくは男の看護師に取り押えられ、注射を打たれた。
「い、嫌だ、男に押し倒されるのは!」
せめて、女子に押し倒されたかった。いつも殴られるか、蹴られるかばかりだから。
ああ、ああ、注射は嫌だ!
勢い付けて、注射を刺すな!
注射はあの虫の針と違って、少し痛かった。
痛み止めの麻酔は無いのか?
そう思いながら、俺は意識を失った。
何か夢を見ていた。
あの虫が、ジジイと話しをしていた。
何を話していたか、よく分からなかったけど、何となく嫌な感じがした。
ジジイが首を横に振っていたからだ。
俺は何か言おうとしたが、ジジイは俺を見て、渋い顔を向けただけだった。