7話「心の栓」
◇歩夢◇
ゴールデンウイーク2日目。あかりさんと遊びに行く約束をした土曜の朝、俺は1人ショッピングモール入り口で彼女を待っていた。
上は薄灰色の半袖シャツにベージュのTシャツ、下はグレーのデニムパンツ。靴も落ち着いた黒のシューズで、入れ物として同じ色のサコッシュも用意した。シンプルで着こなしやすいし、子どもっぽくもない。わざわざ華乃に頭を下げた甲斐があるというものだ。
「時間まであと20分か……早く着きすぎたかな」
スマホが映す時刻は午前10時40分。11時集合で、映画の予約をしてから色々回りたいと言っていたあかりさんに合わせてこの時刻にしたが……少し早く着きすぎたらしい。かと言って、遅く着いたら着いたで彼女が面倒ごとに巻き込まれる確率が上がってしまう。
ちょうど、今くらいの時間がベストなんだろう。
とは言え、暇は暇だ。
「音楽でも聞いて、暇をつぶすか」
ぼーっとする時によく聞くプレイリストを起動し、イヤホンを耳に誘うとしたその時、聞き慣れた声が差し込まれる。
「お待たせ~! ごめんね、時間に余裕あると思ってのんびりしちゃってた……待った?」
「——あぁ、いえ、全然ですよ。予定より20分も早いですし。俺が早く着きすぎただけです」
制服姿、いつも見るブレザーとスカートとは違う生徒会長ではないあかりさん。白いワンピースドレスにベージュのサンダル。ブラウンのショルダーバッグを肩にかけてやってきた彼女は、とても綺麗だった。黒茶の髪に合う白、大胆に日にさらされる手足。普段は服装などを取り締まる側の彼女からは想像できない艶やかな雰囲気。凛々しさとかわいらしさを併せ持つあかりさんだからこその魅力。
一瞬、ほんの一瞬だが思考が止まって、ただ見惚れていた。
言葉にするべきか否か。
今は生徒会関係なく、先輩後輩。友人としてなら異性がオシャレをしていたら褒めるべきなのか。
「……歩夢くん? 行かないの?」
「行きます、行きますけど……」
「何かあった? 体調が悪いなら少し休憩してからでも——」
「いや、あかりさんの服がとても似合っていたので、どう言葉にすればいいのかなって考えてて……」
「えっ!? あ、そう、なんだ。うん……」
……もしかしなくても、とんでもないことを言ってしまったのでは。そんな感覚が、じわじわと俺を襲う。普段から、あかりさんに対して基本隠し事しないよう本音で喋っていた癖がここにきて、悪癖になるなんて予想外だ。いや、それにしても、間が悪い。今日の猛暑に備え、髪を纏めてポニーテールにしていたあかりさんの顔は、わかりやすく耳まで赤くなっている。
なんとか話題を逸らそうにも、学校では見たことのない表情に俺自身も言葉を失ってしまう始末。
数分後、ようやく落ち着いたあかりさんに手を引かれ、俺たちの休日はスタートした。
◇
映画の座席予約をして、あかりさんが見たいと言っていた服屋や書店に行って、遅めの昼食を食べて、そんなこんなで時間は過ぎた。色々なことを話した気がする。服屋では何着も試着する彼女の服選びに付き合って感想を述べ、書店ではおすすめの本を探し、昼食ではハンバーグが好きだという少し子供っぽい一面を知った。
きっと、俺1人ならだらだらと暇な時間を持て余して終わっていたであろう待ち時間。あかりさんと過ごしていると長い時間もあっという間で、いつの間にか映画の上映時刻になっていた。
「……映画館の中、結構冷えますね。あかりさんは大丈夫ですか?」
「あはは、絶賛後悔中かも……これなら、アイスコーヒーじゃなくて、ホットにしとけばよかった」
「俺のホットですけど交換します? まだ口付けてませんし」
「ほんと? じゃあ、お言葉に甘えちゃおっかなぁ~」
「コーヒーでも耐えきれなくなったら言ってください。シャツ、貸しますから」
「ありがと。もし辛くなったら、声かけるね」
お礼を言い微笑むあかりさん。そんな彼女を照らす光も徐々に薄くなり、上映が始まる。
流される予告映像、上映中の注意喚起、前振りが全て終わって本編が始まった。
原作の中で、俺が特別記憶に残っているのは冒頭のモノローグと、主人公が1枚の絵に出会うシーン。モノローグはそう、青年の今までの人生が簡単かつ一行で語られる。
『穴の空いた幸福の器に、延々と溜まらない砂を入れる日々』
一言で言えば、無駄。無意味。虚無。この本を手に取ったのは、冒頭のその一文に目を引かれたからだ。
穴の空いた幸福の器に、延々と溜まらない砂を入れる日々。まさに、高校生になるまでの自分の人生そのものだった。熱を逃さないよう必死に隠しても、隠そうとした器には穴が開いていて、呆気なく消えてしまう。
何度も、何度も、何度も、それの繰り返し。
意味がない、何もない、理解していても続ける行為は苦痛でしかない。
物語の中の彼も、自分と同じような人間だった。
けど、俺と同じように心惹かれる何かで変わった。俺はあかりさん、彼は絵。
この映画は、俺にちょっとばかりの希望をくれる。
もしかしたら、というそんな未来を示してくれる。
だからこそ、『1枚の絵』のシーンの演出には期待してしまう。彼が惹かれた絵。物語の中では、重要でありながら詳細に描写されることなく読者の想像に委ねられた絵。映画という媒体になることで、どう演出するのか——彼の目から見た『絵』はどう映っていたのか、気になる。
『——綺麗だ』
スクリーン一面に映ったのは光が遮った、絵。
いや、輝いている絵、なんだろうか。淡い光で絵本来の色使いや、何が描かれているのかはわからない。わかるのは、たった一つの事実。多分、彼の目には今の俺のように『1枚の絵』が輝いて見えたんだろう。
初めてあかりさんを見た時と似てるようで、違う感覚。そっと隣に視線をやると、彼女は食い入るように映画を見ていた。
なんだか、それだけで彼女と一緒に来た意味があった気がした。
◇あかり◇
映画鑑賞が終わったあと、私は1人映画館のロビーでスマホをいじっていた。お手洗いに行った歩夢くんを待っているだけだが、私の心の中は見終わった映画の満足感で満ちている。正直、そこまで期待していなかったが、思ったよりも深く彼を理解できた気がする。
主人公の青年と歩夢くん。2人はよく似ていた。もっとも違う部分が多いとは思うけど、以前聞いた熱が続かないという話と心の器に関する話は繋がる部分もある。
彼は『1枚の絵』に出会った。
なら、歩夢くんはこれから何に出会うんだろう。それとも、既に何かに出会ったんだろうか。
わからない。
でも、彼が経験した虚無感、熱が冷めていく感覚は理解できた気がする。
一言では表せないけど、間違いなくいい日になったことは確かだ。
「ねーねー君? 今1人? 暇だったら、俺と遊ばない?」
——前言撤回したくなってきた。
まさか、彼のトイレタイムでピンポイントに来るなんて。いや、まぁ、普通彼氏連れの娘の所には来ないだろうけど。それにしても、こういう軟派な人間は自分がそんな態度で相手がなびくとでも思っているのだろうか。世間一般から見たらイケてる顔でも、私から見たらどうでもいいことこの上ない。
歩夢くんみたいにかわいい系なら1%くらい可能性があるが、ただのイケメンなら性格もよくて顔見知りの凪くんの方が100倍マシだ。
「連れがいるので結構です」
「もう1人の子も一緒でいいからさ~、どう? ご飯とかも奢るよ?」
「結構です」
こういう手合いは相手にしない方が面倒がなくていい。
可能なら早く移動したいが、歩夢くんから離れるのは悪手だろう。彼を彼氏ということにしてもいいが、変な誤解が生まれるのはごめんだ。今日もちらほらうちの学生がいたし、目立つのも困る。
私は、ナンパ男の誘いにNOとだけ返していると、流石の相手もしびれを切らしてきたのか声にイラつきが出てくる。
「この! いい加減にしろよ! 俺が誘ってやってんだ! ガキはガキらしく大人に従っときゃあいいんだよ!」
手が、伸びてきた。私を捕まえるための手。たかだか誘いに乗らなかっただけで、そこまでするものなのか。そんな疑問が浮かぶ中、伸ばされた手は徐々に私の腕に迫ってくる。本当に、だから嫌なんだ。こういうことがあるから外出が憂鬱になる。どれだけ理性的に嫌っても、心から溢れる恐怖の感情。体を支配する『怖い』という感覚。日常に突如湧いてきた異物が体を駆け巡る気持ち悪さ。
全部、嫌いだ。
嫌いだから、助けて……歩夢くん——
「力で従わせるなんて、大人として恥ずかしくないんですかね」
「な、なんだよ、男連れかよ!? い、いてぇ! クソっ! 離せよ!」
「離します。離しますから、さっさと彼女の前から消えてください」
歩夢くんはそういうと、掴んでいたナンパ男の手を離しそっと私を抱き寄せた。ギリギリの所で間に合ったんだろう、彼から感じる鼓動は早く、熱い。2度目に感じた温もりがこんな形になるなんて最悪もいいとこだが、今はただこの体温が救いだった。
◇
「……まだ、ダメそうですか?」
「うん、ごめんね。迷惑、かけちゃって」
「あかりさんのせいじゃありませんよ。俺も油断してましたし」
2人で歩く帰り道。ショッピングモールを出たあとから、私はずっと歩夢くんの手を握っていた。もし、1人だったら、彼が来なかったらと思うと、怖くてうまく歩けなかったんだ。
何度ももういいよと、言ったが彼は私の手を離してはくれなかった。
『俺と2人で居る時くらい、完璧な生徒会長として振る舞おうとしないでください。無理して、もう1人の自分を殺そうとしないでください。俺からしたら、どっちも大切ですから』
綺麗事だ。
聞こえのよい言葉だ。
だとしても、彼の口から出た言葉に嘘偽りはない。歩夢くんは本心から私の心配をしている。打算や含みなんてなく、純粋に私を見ている。
熱く、なりそうだ。
ただでさえ、気温が高いのに。
まだ少し、もう少しを願ってしまいそうになる。彼の温度を感じていたくなる。
「——分かれ道ですけど、どうします?」
「今日は送って欲しいな……なんて」
「いいですよ。何かあっても嫌ですし」
君は、本当に冗談が通じないタイプだ。
あぁ、けど、今だけは君がそういう人間でよかったって、そう思うよ。
次回もお楽しみに!
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