22話「寄りかかる重さ」
◇歩夢◇
夏休み最終日も迫ってきたある日、俺の部屋には——あかりさんがいた。別に、なにかの集まりがあったわけではないし、とりわけ会う約束もしていない。たまたま、彼女が出かけていた最中に雨に降られてしまったらしく、都合よく近くにあった俺の家に避難してきた。それだけの話だ。ゲリラ豪雨で傘まで持っていかれるとは不運と言うべきなんだろうが、あかりさん自身そこまで心配そうにしておらず。余裕の表れか、はたまた何も考えていないのか、さっぱりわからない。
正直、俺からしたら彼女が自分の部屋に居るという事実が落ち着かない要素の一つであり、心が波立つ。シャワーを浴びたことで火照ってみえる表情、濡れた服の代わりに着させた丈の余った俺の体操着とジャージ、そして仄かに香る自分と同じシャンプーの匂い。色々な要素が、毒だ。
平静を装って視線を泳がさないようにしているが、そのせいで余計に意識してしまう。自分の名前が刺繍されたジャージを着ているあかりさんを見て、独占欲というべきか支配欲にも似た感情が出てくるのも、困る。
付き合えば付き合うほど自分の中身を開拓されていく、不思議な感覚だ。
「コーヒー、よかったら飲んでください。部屋の温度も寒かったら言ってくれて構わないんで」
「何から何までごめんね、シャワーに乾燥機まで借りちゃって」
「気にしないでください。どうせ、独りで暇だったので、話し相手ができて嬉しいです」
「ふふっ、そっか。じゃあ、服が乾くまでのんびりさせてもらおうかな~」
そう言って、微笑んだあかりさんはベッドに腰を下ろし、部屋を眺める。ベッドに寝転がってスマホゲームに手を出すラインまでを想像していたが、どうやらそこまでではないらしい。神妙な面持ちで部屋の全体を見渡し……そして、安心したのか息を吐いた。
何を思ったのか、何を考えたのかわからない。
俺の足跡が置かれた、この混沌とした部屋に吐いた息の正体は、なんなのだろう。
「……部屋に、何かありました?」
「いや、前来た時も思ったけど、色んなものがあるんだなって。私のイメージだと、君の部屋はもっとがらんどうと言うか、シンプルな感じがしたから、意外だった」
「捨てられないんですよ、物。二度目なんてないのに、未練がましくずっと手放せなくて……」
習い事や部活で使った道具の数々。最低限の手入れだけされたそれらを俺は辞めてから一度も使っていない。新品同様の物もあれば、使い古された物もあるが、どれも二度目はなかった。捨てる勇気もなく、二度目に踏み出す覚悟もない俺の軌跡。燃やし尽くした灰のような残りカス。
自虐的に笑う俺に対してあかりさんは責めることもなく、ただ肯定した。
「簡単に捨てられないってことは、それだけ歩夢くんにとって大切な物だったんだよ。捨てるのは、悪いことでも良いことでもない、必要だからすることなの。君の心は、ここにある物たちを大切に思っていて、その中に消せない思い出があるから捨てられないんじゃないかな?」
「思い出……」
「うん、思い出。熱が冷めたのと同時に思い出し辛くなっただけで、きっと歩夢くんの中にはまだ思い出が残ってる。だからさ、無理に捨てなくて良いと思うんだよね」
優しい肯定だった。
今の自分も過去の自分も否定しない、優しい肯定。
あかりさんにはこういうところがある。普段は毅然と振る舞っていたり、どこかだらけていたりするけど。今の彼女が素に近いんだと思う。超人のような完璧主義ではなく、かといって怠けるのが大好きというわけでもない——優しく、その温かさで包み込んでくれるような人。
一目惚れから始まったこの熱も、もしかしたら、そんなの関係なく火が点いていたのかもしれない。そう最近思うようになった。
その後のことは、あまりよく覚えていない。ただ、他愛ない話に花を咲かせ、彼女が眠るまで語り合った。曖昧な記憶の中で、肩に寄りかかって眠るあかりさんの重さだけが、鮮明に残っていた。
◇あかり◇
彼の家に来てからどれくらいの時間が経っただろうか。話すのが楽しくなって、彼の隣で他愛ないことを語り合って、それで、いつの間にか眠っていたらしい。重くのしかかる瞼を開けて、顔を上げると──歩夢くんの顔がすぐ近くにあった。
一瞬、心臓が跳ねて固まり、すぐに彼の隣から体を離した。距離が近い自覚はあったが、まさか肩を借りて眠っているとは思わなかったから、動揺しかない。
上擦りそうになる声をなるべく平静に。軽い笑みを浮かべながら、彼に声をかける。
「あはは、えっと、寝ちゃってた……?」
「それはもうぐっすりと」
「ご、ごめん! 服、もう乾いたよね? 時間も……18時過ぎか」
「家に避難してきたのが15時くらいでしたし、3時間くらいですかね」
「あんまり長居するつもりもなかったんだけど……結局ゆっくりしちゃった」
「来た時も言いましたけど、別に気にしませんよ。でも、そろそろいい時間ですし、暗くなってくる前に帰った方がいいかもです。親御さんも心配するでしょうし」
「……だね、服着替えてくる」
それだけ言って、彼の顔を見ずに立ち上がり洗面所に向かう。ジャージを脱ぐ準備をしつつ、乾燥機に入れていた服や下着を取ろうとしたが、それらは既に取り出されており浴室に干されていた。丁寧に、シワにならないように、臭いが付かないように、そんな気遣いなんだろうが……これは中々心にくる。
寝落ちした私が悪いが、後輩の、それも好いている男の子にここまでされるのは羞恥心で死にそうだ。死にそうだが、顔には出さない。恐らく、歩夢くんに下心はないし、私への気遣いだとは理解してるから。それを責めるのはお門違いだ。
恥ずかしくないと言えば嘘になるし、顔が熱いのもわかっているが、なるべく、なるべく言わないようにしよう。
「……よし、大丈夫」
ひなたとお揃いで買ったノースリーブの白ワンピが唯一の救いだ。これだけが、今、羞恥心に負けそうな心を癒してくれる。心の中のひなたを愛でながら、自分の背中を叩き、私は彼が待つ部屋に戻った。
戻った部屋の中では、彼が何かを探しているのかガサゴソと物を漁っていた。何かあったのだろうか。私が問いかけようと1歩詰めると、歩夢くんはくるりと振り返り、探し当てたであろう物を差し出した。
「これ、どうぞ」
「……ホットアイマスク?」
「あかりさんが話してる途中で眠るの珍しかったんで、疲れてるのかなって。これ、香りもついてて、寝る前にやるとすっごくリラックスできるんです。よかったら」
「ありがと、大事に使うね」
ああもう、変な所で察しがいい。察しがいいくせに、聞いてこないのがきっと彼の気遣いなんだろう。
疲れてる、か。彼の言った言葉は正解だ。私は受験生。受ける高校もほぼほぼ決まっており、指定校推薦で受験への負担も少ない。少ないが、私は楠あかりだ。面接も、学力測定のための簡易試験も、手は抜けない。
誰に言われようと、それは変わらない。だから、最近は家でも気を張ってしまうし、中々ゆったりすることはできない。家族は、確かに私の素を知っているが、それ以上に私の能力を知っている。やれることは全力で、決して手は抜かない。
才能は磨くべきものであり、持ってるだけのものではないから。本来なら、彼の前でも私を貫くべきだと理解しているのに、自然と寄りかかってしまう。
なんだろう。
雰囲気と言えばいいんだろうか。
全てを受け入れて、抱きしめてくれるような柔らかさを、彼から感じるんだ。
不思議な魅力とも言うべきそれに、私は抗えない。面倒臭い恋人のようにわがままを言って、甘えてしまいそうになる。私が『そうしたい』と言ったら、受け入れてしまう彼に甘えていたくなる。
「……じゃあ、そろそろ帰ろうかな。また、学校で。おやすみなさい、歩夢くん」
「はい、また学校で。おやすみなさい」
微笑んで別れて、外に出る。
玄関先、彼に見送られる感覚は温かく、病みつきになりそうだった。
次回もお楽しみに!
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