1話「私の素顔、君の素顔」
俺の——中空歩夢の人生はなんの熱もない、虚しいものだった。転勤族で引っ越しを繰り返す親父と、俺に気を使って習い事で寂しさを埋めさせようとした母。嫌いではない、多分愛してると思う。死んだら悲しむし、泣いてしまうだろう……けど、それくらいだ。
十五年間、色んなものに手を出してはやめて、続けられそうだったものは引っ越しでおじゃんになり、全部全部中途半端。
中二の時、やっと一年間続けられそうだったバスケットボールは、転校を機にやめた。珍しく、親にせがんで買ってもらったバスケットシューズも、あれから履いたことはない。きっと、生まれつき何かに執着できるような熱がある人間ではなかったんだ。何をやっても、やめて、また始めての繰り返し。
高校生になってからは、始めることすら億劫になってしまう始末だ。
本当に救えない。
書道も英会話もそろばんも、サッカーにテニスや卓球も、最初こそ楽しめはすれどそれは一瞬で、慣れ始めたら心の熱は消えていく。未知に心躍る感覚はあっても、慣れてしまえば興味も薄れて次第にやる気が失せていく。
自分が欠陥を抱えた人間なのは理解していても、いつか、いつかきっとと夢見て、それにすら疲れて消費するように青春を過ごす。
そんな毎日に変化が訪れたのは、高校一年生の夏のこと。転勤族の親父の海外勤務が決まり、俺は選択を迫られた。両親に付いていき海外の学校に行くか、国内で一人暮らしをしながら高校卒業まで過ごすか。なんでも、今回の海外勤務は三年間の長期出張になるらしく、当分日本には帰れないらしい。幸い、稼ぎの良い親父のお陰で国内に残る選択肢があった俺は、面倒な海外生活を拒否。一人、祖父母の居る埼玉に身を寄せ、二度目の高校生活がスタートした。
この選択が、俺の転機だったんだと思う。
私立春原高等学園。自由を掲げ、生徒の自主性を重んじるあまり、学内行事がほぼ全て生徒会主導で進められるなんとも稀有な学園に転校した俺は、転入初日——運命に出会ったんだ。
『皆さん、おはようございます。生徒会長の楠あかりです。夏休み、いかがお過ごしでしたでしょうか? 私は来年度に向けて、オープンキャンパスに行って色々な大学を見て回りました。まだまだ未来のことはわかりませんが、自分の中で将来やりたいことを考えられる有意義な時間だったと思います。新学期が始まり、新しい挑戦、新しい出会いがありますが残暑に気を付け、気を引き締めていきましょう』
当たり障りのない原稿。短くも長くもない始業式の挨拶。それなのに、俺は耳に残った彼女の声が忘れられなかった。一本一本絡まることなく綺麗で艶のある黒茶の髪は腰まで伸び、信念のある真っ直ぐな黒の瞳が生徒一人一人を射貫くように向けられていた。
凛々しいのに、近付き難さを感じさせない綺麗さとかわいらしさを併せ持つ顔立ちも彼女の——楠あかりの魅力の一つだったんだ思う。
俺は初めて、初めて誰か一人に固執した。彼女の全てに惹かれて、魅せられて、一も二もなく放課後の生徒会室を目指したんだ。
──唯一の誤算があるとすれば、俺は初めての熱に浮かれていたことだ思う。いつもならすることをせず、ノックという了承を取らず開いた生徒会室の中には、スカートの下にジャージを履き、ソファに寝っ転がりながら煎餅を貪り食う生徒会長……楠あかりの姿があった。
「「えっ?」」
お互い、絶句していたと思う。
一目惚れして彼女の元に行き、完璧な仮面の下にある素顔を見た俺と。
今まで誰にも見せていなかったであろう、素顔を見られてしまった生徒会長。
誰に言っても信じられないだろうが、これが俺とあかり先輩との出会いだ。空っぽな俺を照らしてくれた、灯との出会い。
◇
出会いから時が経ち、新年度を迎えた春先の日。放課後、俺はいつも通り生徒会室に顔を出した。良いというべき、悪いというべきか、基本的に生徒会の集まりはまちまちだ。毎日来るのは、俺と会長のあかり先輩だけで、他にも二人いる役員はバイトだったり部活に精を出している。
「毎日毎日、君も律儀だよね~」
「そういう会長こそ、毎日いるじゃないですか。お互い様ですよ、お互い様」
「いやいや、私は生徒会長だし」
「それなら、俺は副会長ですよ」
適当に会話を繰り返しながら、俺が勉強を始めると、会長は黙ってスマホに視線を移す。忙しい時期を除けば、生徒会が動く機会は頻繁なものではない。むしろ、毎日来ている俺とあかり先輩がおかしいのだ。
……出会いから、約半年。元々、うちの生徒会の忙しさもあってか、転校後すぐに立候補した俺でも問題なく生徒会入りを果たし、今がある。なんだかんだ、忙しいながらも充実した毎日を過ごしてる、と思う。下心から始まった生徒会活動も、始めたら始めたで未知に溢れており退屈はしないし、この部屋に来れば——あかり先輩に会える。
それだけで、満足している自分がいる気がした。
「…………」
「…………」
無言の時間が続く。
俺自身、おしゃべりが得意とか好きなわけでもないし、だらけモードのあかり先輩も基本は無言だ。最初の方は自然と話すようにしていたが、今ではそういう気は起きない。なんと表現すればいいかわからないが、この無言がちょうどいい距離感なんだ。たまーにどうでもいいような会話をして、軽く笑って、お終い。
ちょっとずつ彼女のことを知るこの時間が、俺にとってはかけがえのないもので、心が安らぐ。燃え尽きないよう、心に一個ずつ薪をくべて熱を生かす。この熱が消えたら、次なんてないような気がして、次なんて生まれない気がして細々と火を繋ぐ。
「……会長って、趣味とかあるんですか?」
「趣味~? うーん、サブカル系は結構好きだよ? 漫画も小説も読むし、アニメとか映画も観るし~……あとはゲームとか。最近は専らスマホゲームだけどね」
「意外ですね。そういうのやるなら、据え置きの家庭用ゲームとかやるタイプな気がしますけど」
「わかる? いやぁ、私もそういうの欲しいんだけどね~、親が許してくれないんだよ。PCは用意してもらえたけど、ゲームができるほどのスペックがないし……歩夢くんはどう? 趣味とかあるの?」
「……あー、えっと」
不味いな、返されるのは想定外だ。今まで、のらりくらりと避けてきたけど、他にパスを回せる相手がいない……仕方ないか。どうせいつかはバレることだ。つまらない人間だと思われても、嘘つきになって嫌われるよりかはマシだろう。
「俺……あんまり何かに熱中できたことないんですよ。習い事とか色々やったんですけど、長続きしなくて……本も読むけど雑食ですし、音楽もつまんない自分から逃げるための手段みたいに使ってて……つまんないやつなんですよ、俺って」
「——別にいいんじゃない?」
「別にいいって……そんなもんですかね?」
「まだ見つかってないってことは、これから見つけられるチャンスがたくさんあるってことじゃん。人生なんてこれからの方が長いんだし、そういうのっていつの間にか足元に転がってたりするものかもよ?」
気楽そうに微笑んで、あかり先輩はそう言い切った。
本当、ソファに寝転がりながら言ってなければ完璧なんだけど、これも俺だけが知ってる光景だと思えば中々悪くない。取り繕っていようと、なかろうと彼女は綺麗だ。なんでもない仕草のはずなのに、強烈に惹きつけられる。空洞で、なにもなかった心を満たしていく。
不思議な人だ。
「ほんと、しっかりした姿勢で言ってくれたら、完璧な先輩なんですけどね」
「言ったな~? 今のは聞き捨てならない! 決めた、今日の帰り付き合いなさい! 先輩の誇り、見せてあげるから!」
「誇りっつうか、おごりでは?」
俺の売り言葉に買い言葉でコロコロ表情を変え、ソファから起きるあかり先輩はあの日見た彼女より生き生きとしていた。
◇あかり◇
私の素顔を知る人間は多くない。生まれてからずっと一緒にいる両親と、彼——歩夢くんだけだ。適当に揃えられた少し癖のある黒髪に、焦げ茶の瞳。顔立ちは中世的で、体付きも普通。同年代と比べれば、少し細いくらいだろう。初対面の時のあの失敗以来、私は彼とよく過ごしている。
こうして帰り道を共にするのも、珍しくない。
最初は、私の秘密を言い漏らされたら困るから始めたことだが、今の今までその素振りがないことを見るに、歩夢くんが私を裏切ることはないだろう。本音を言えば、彼にはもっと自分本位で言葉にしてくれた方が接しやすいのだが、そううまくはいかない。話していても、いつの間にか相槌を打つ聞き手に回ることが多い彼から趣味の話を聞き出せただけでも、今日は御の字。
短くない付き合いのはずなのに、なにもわからないし教えてくれない。
歩夢くんは、不思議な子だ。
つまらない人間だと言う割には、毎日せこせこ生徒会室に来て仕事なり勉強をしているし、私に雑談を振ってくることも少なくない。
自分も仮面を被る側だからわかるが、彼には裏表がない。ないというよりか、そういうものを作ってないように感じる。勿論、隠し事の一つや二つあるだろうが、時が来たら迷わず話すし、抱えていなくなるなんてこともないだろう。
兎も角、私は彼が気になる。
恋愛面とか抜きに、彼という存在を知りたい。
熱がないという彼が生徒会活動に拘る理由。
縋るようにあの場所に居続ける理由を、私は知りたいんだ。
「肉まんだけでよかったの? 一人暮らしなんでしょ? お弁当ぐらいならおごるよ?」
「平気ですよ。貸し借りとか、あんまり作りたくないんで」
「あっそ。なら、いいけどさ」
暖簾に腕押し、私が歩夢くんの売り言葉を買うことはあっても、彼は私の言葉をさらりと避ける。この前も、質問の返事を濁して他の役員に話題をパスしていたし、踏み込まれるのが嫌なんだろうか——それとも——
「会長? 俺の顔になんかついてます?」
「ううん、なんでもないよ。ただ、相変わらず仏頂面だなぁ~って」
「……これでも、緩んでる方ですよ」
「そう? あれかな、私の修行が足りない的な」
「かもしれませんね」
無表情のまま、おごった肉まんを頬張る彼は普段と変わらない。
いつか、彼の全てを知った時、私はどう思うんだろう。私の素顔を知って、それでも失望せず傍に居る彼に何を思うんだろう。
私は、きっとそれが知りたいんだと思う。もやもやと形にならない答えを、私は求めている。
次回もお楽しみに!
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