誰もお前に興味ねぇよ
どうして忘れてしまうんだろう。世の中に主人公はいないって。
どうして忘れてしまうんだろう。友達とは対等な関係であると。
どうして忘れてしまうんだろう。誰もお前に興味ないって。
インターネット、そこは表現の場所だ。
誰もが主役になれる、誰もが観客になれる。
けど、注目を浴びる主役が、必ずしも技術に裏打ちされているとは限らない。
自分も主役にって、誰もが思う。
そうしてエゴの押し付け合いは、お互いのエゴを満たし合うという形で成り立つ。
だから、忘れていくんだ。
創作物、それは夢の世界だ。
それは元来、自分の表現のツールだった。
ところが、世の中に溢れた主役は、表現の方向を大きく変えた。
現実では実現不可能なエゴが、欲望が、作品に乗る。
そうしてエゴだけが残った作品に、元の自分はいない。
人間性の一切が、現実の一切が排除された作品が、世に蔓延る。
お前も見たことがあるだろう?努力も無しに報酬を得る主人公達を。
だから、忘れていくんだ。
自分語り、それは興味を向けられる人間にのみ許される行為だ。
お前の友達も、お前の一切に興味がないわけじゃない。
だから、多少は聞いてくれるだろうね。
でも、お前はインフルエンサーでもなければラノベの主人公でもない。
そして、お前の友人は視聴者でも、人間の心の機微を持たない都合のいい人間もどきでもない。
世の中の人間関係はギブアンドテイクだ。
自分の人間性を磨かずにいい人間は寄ってこない。
人の話を聞かずに自分の話は聞いてもらえない。
願うだけでは何も成し得ない。
努力の先払いもせずに何かを求めるのは傲慢極まりない。
捻くれた人間より、分を弁えない全ての人間へ。
『誰もお前に興味ねぇよ』
完読頂きありがとうございます。
ご高説垂れましたが、正直な話、私もまだまだ精進が必要な立場だと自負してます。
しかしながら、昨今の、私が考えるに主に、欲望主軸の創作物の増加、インターネットの発展は、余りにも人から社交性というものを奪っていると感じたので、今回この様なものを書きました。
世の中の絶対的な価値観が、“勝つ事”だとは思いませんが、不登校などの所謂”負け組“の人達も、結局求めているのは、ルックスが良く、性格も良く、頭脳も明晰な“勝ち組”の人間になる事であると感じます。それ自体はいいですが、良くない点は、その欲望が先述した2つによって擬似的に満たされてしまうことで、価値観が変に拗れてしまう事です。そうして、擬似的な満足ではなく、現実が上手くいくことを、ただ座して待つ人が多くいる社会だと感じます。
私自身も不登校をかなり長い間経験しているので、過去の自分にも思い当たる節が幾つもあります。ただ、そんな私だからこそ言えるのは、自分を救い出してくれる可愛いヒロインなど居らず、現実を変えるのは自分であるという事です。
この作品を読んだ方の中に、思い当たる節がある方がいらっしゃいましたら、どうかその、読んだ時に感じたむず痒さ、今の自分に対する不満を持ち続けて下さい。勿論それだけで自分が変わるわけではないですが、その感情は自分を変える時の燃料になります。
世知辛い世の中です。逃げ道は沢山あります。でも、一回逃げずに現実と戦ってみましょう。そうしてそこで生きて、本当の自分に満足してから、もう一度逃げ道を見てみれば、そこは逃げ道ではなく自分が純粋にやりたい事に変わっている筈です。
一緒に頑張りましょう。
長くなってしまいましたが、これにて後書きを締め括らせて頂きます。
改めて、この長い後書きも含め、完読頂きありがとうございました。
次回作も是非ご一読頂けると嬉しいです。