里帰り
帰郷することになった。といっても、そんな大げさな話ではなく、外回りの空き時間を利用して私の実家に顔を出すだけの話だが。
取引先からの帰り道だった。私が車の運転をしながら「このへん実家に近いんだ」と何の気なしにに言うと、助手席に座る後輩のユキちゃんが「だったら寄っていきましょう」と言った。
「寄ったってつまらないよ。それにミキちゃんに悪いし」
「私は構いませんよ。それにこのまま帰ったってほかの仕事を頼まれるだけだし」
そう言ってミキちゃんはクスクスと笑った。自分とは一回り近く下の子だ。どこか幼さの残るその容姿も相まって、まるで子供が些細な悪だくみしているようだった。
「そんなこと言ってると、上に報告するぞ。減給されるかもしれない」
「その時はシュウサさんも一緒ですよ。無理やり付き合わされたって言ってやりますから」
「それは困るな」
私はあくびを噛み殺しながらいった。
「それにシュウサクさんのことだから、しばらくご実家には帰ってないんじゃないですか」
そんなことは、と反論しようと思ったが、考えてみればこの四、五年帰っていない。三十代の大台にのったというのに、親孝行らしいことを一つもやっていない。
「そういうのってダメですよ。もっとしっかりしなくちゃ」
若い子にこんなことを言われるのははなはだ不本意ではあったが、事実なのだから仕方がない。というわけで、私たちは私の実家に寄ることになった。
ミキちゃんがお土産を買うといって聞かないので、途中で煎餅屋によりカンに入った得用煎餅を買い(高い箱入りを買おうとしていたので止めた)、大通りからそれ、稲刈りの終わった田んぼを眺めながら車を走らせ、狭い道が続く林を抜け、用水路にかかった小さな橋を渡ると実家だった。しばらく来ていなかったがこの辺は何も変わっていない。時代から取り残されているかのようだった。
小さなころによく木登りをした柿の木の枝にはよく熟した実が重そうに垂れていた。家も稲刈りが終わったのだろう、庭には綺麗に泥の落とされたコンバインがとまっていた。近くにはもみ殻も落ちている。
「へえ、ここがシュウサクさんが生まれ育った場所なんですか」
車から降りるとミキちゃんは物珍しそうに離れに並んだ農機具を見てまわった。
私は鍵のかかっていない玄関をあけると、ただいま、と言った。しかし家の中は静かなもので、人の気配がなかった。庭に車がなかったのでもしやと思ったが、やっぱり留守だった。
「居ないや、どこかに出かけているらしい」
私は柿の下でジャンプしているミキちゃんにいった。跳ぶたびにスカートの下から彼女の白い足が覗いた。
「いきなり来ちゃったのはこっちですからね」
私は背伸びをして柿をもいでやるとミキちゃんに渡した。
「これ食べられます?」
「食べられないことはないが渋柿だからやめたほうがいいな。えらい目にあうよ」
「子供のころのシュウサクさんはきっとこれを食べてえらい目にあったんでしょうね」
「まあね」
私は昔を思い出して笑った。
私たちは家に上がり仏壇に線香をあげると、簡単な置手紙とともに煎餅のカンを供えた。
「さて、これからどうするかな。時間を潰すにしてももう用が済んでしまった」
私はしゃがんむと庭の草を抜いた。老夫婦二人だけでは家の手入れが行き届かないのだろう、ところどころに草が伸びている。
「たまには帰ってきて草むしりでもするべきかな」
「それがいいですよ。その時は私も呼んでくださいね、手伝いますから」
「休日まで俺のために使ってくれるとは、良い部下を持ってありがたいね。しかしお給料はだせないよ」
「そんなものいりません」
そう言うとミキちゃんは私の隣で草を抜き始めた。手が汚れるからと私は慌てて止めた。何やら憤慨しているようだった。
私たちは庭の水道で手を洗った。
「せっかくだから散歩でもしませんか。いい天気だし」
ハンカチで手を拭きながらミキちゃんが言った。
私はスーツの裾で濡れた手を拭いながらいいよと言った。
残りの時間を考えれば遠出はできないので近くの土手にいくことにした。刈り終えたばかりの稲の香りを胸いっぱい吸い込んだかと思うと、どこからともなく流れてきた金木犀が私の鼻をくすぐった。
ミキちゃんは私の少し前を行き、畔にカエルやイナゴをみつけてははしゃいでいた。
「のどかですね」
ミキちゃんが言った。
「昔は見慣れた光景で何も思わなかったが、たまに帰ってくるとなかなかいいもんだな」
「私もこういうところで育ちたかったな」
「実際住むと退屈なもんだよ。近くにコンビニどころか自販機もないし。俺からしたら都会育ちのミキちゃんが羨ましいよ」
「きっと無い物ねだりなんでしょうね」
「そうかもな」
川面は秋の日差しを受けて輝いていた。風が吹くとススキが気持ちよく頭をそよがせ、風の歌を唄った。空にはトンビが輪を描き、遠くの日光連山は一足早い雪化粧をしていた。
「本当にいいところ」
私たちは並んで土手の斜面に腰を下ろし、しばらくその様子を眺めていた。下草は綺麗に刈り揃えられていた。
「シュウサク?」
私の名前が呼ばれたのでそちらに顔を上げると小さな男の子を連れた女性が立っていた。チクリと私の胸に痛みが走った。
「よお。こんなところでどうしたんだ」
私は相手に気取られないようにつとめて明るく言った。
「こっちのセリフよ。今日は平日じゃない」
マナミはそう言って私の隣に座っているミキちゃんに気付いて頭を下げた。
「外回りの途中。時間が空いたんで実家によってみたんだ」
「なんだあ、てっきり仕事でも首になって帰ってきたんだと思った」
マナミはそう言って笑った。お互い歳を取ったというのにマナミの笑顔は学生時代と変わらない。それは私を一つの郷愁へと駆り立てた。
「縁起悪いことをいうなよ」
私は立ち上がって尻についた草を払った。
「そちらのかたは?」
「俺の後輩。どっかの誰かと違って優秀だ」
「あら、悪かったわね。それにそうよね。シュウサクには不釣り合いだものね」
「どういう意味だよ。あと俺にはいいけど後輩が困るようなことは言わないでくれ」
「ごめんなさい、いつもの癖で」
ミキちゃんはマナミに簡単な挨拶をすると、腰を落として隣の男の子に話しかけた。
男の子は恥ずかしそうに口ごもるとマナミの後ろに隠れた。
「ごめんなさいね、人見知りなの。ほら、お姉さんにお名前を言いなさい」
男の子はおずおずとそのまま黙り込んでしまった。それでも攻勢やめないミキちゃんに、私は強いな、と素直に関心をしてしまった。私だったらそんな子を前にしてどうしていいか分からなくなっているところである。
「随分帰ってきてなかったでしょ。お母さん心配してたよ」
マナミは言った。
「お袋と話したりするのか?」
「そりゃあご近所だもの。たまには顔を合わせたりするわよ」
「変なことを吹きこんでいないんだろうな」
「変なことって?」
「そりゃあ」私は口ごもった。「まあいいや。便りがないのはなんとやらだ、今度会ったらそう言っといてよ」
「そんなもん私に頼むより定期的に帰ってくるなり連絡するなりしたほうが早いでしょ。それに同窓会にも顔を出さないじゃない。田舎が嫌いってわけじゃないんでしょ?」
「仕事が忙しくてそれどころじゃないだけだ」
早くもミキちゃんは男の子を攻略したようで、二人とも楽しそうに笑っている。
「それならいいけどね。旦那だってシュウサクのことを気にしているし、私だってあんたの顔が見たい時だってあるのよ。だからたまには私たちに会いに帰ってきなさいよ」
その言葉は私を学生時代に導いた。二人だけの教室で交わした秘密の言葉、私の胸に今も深く残っている。
「今度からそうするよ」
私は向き直ると男の子に話しかけた。出来るだけ笑顔を作ったつもりだが、男の子は怯えたようだった。
ミキちゃんはクスクスと笑ったが私はめげなかった。
四人でしばらく遊んだあとマナミたちと別れた。空き時間はとうに過ぎていた。
「これじゃあ帰ったら怒られちゃいますね」
土手からの帰り道、行きと同様私の少し前を行くミキちゃんは特に悪びれもせずにいった。
「こういう日もあるさ。俺が頭を下げるから心配するな」
「それはどうでもいいんですけど……」
ミキちゃんは立ち止まり、くるっと振り向くとそのまま口ごもった。
「なんだよ」
「なんでもないです。ただ、シュウサクさんが結婚しない理由がなんとなくわかったと思って」
「いきなりだな。モテない以外の理由があるか?」
「いいんです。今はそれで。だけど私、頑張ります」
ミキちゃんはそういってどこか寂しそうに微笑んだ。
案の定会社に帰ると二人並んで怒られた。ミキちゃんの前であんな大見え切った手前情けない話である。激高する上司を目を盗み横目に見るとミキちゃんと目が合った。彼女は声に出さずにクスッと笑った。私も負けじと心の中で舌を出した。
それからミキちゃんはことあるごとに実家にいつ帰るのかと聞いてくる。草むしりをするのだと張り切っている。母親からも訳のわからないメールがくる。何が何だかである。