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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

作者: 百葉箱太郎


あたり一面がコンクリートの

無機質な大地に立つ。


少し先には、湖くらいの大きさの穴が

ぽっかりと空いている。

底は見えず真っ黒なその穴を

私は傍観しているだけだった。


ふと、気分が落ち込んだとき、人生に行き詰まった時、

いつも私は、無機質な大地とその穴の前に立っている。


しかし、穴とは一定以上の距離を保っている。


その穴に堕ちたらどうなるのか、私には直感的にわかる。

その先に待つのが死であると。


私の脳裏に過ぎる、人生を終わらせようか、

という想いに共起して、私はいつもその大地に呼び出される。


そして、穴との距離は、死との距離であった。


いつも、間違っても落ちることのない距離から

その穴を眺めていた私は


初めてその穴の、縁に近い場所に立った。


穴を覗く


穴はどこまでも真っ黒で、今にも自分を飲み込みそうな

おぞましさを感じる。


と同時に、自身が覗いている穴が


深淵


であると感じる。


フリードリヒ・ニーチェの

深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。


という言葉を思い出す。


この真っ暗闇な彼が深淵であるなら

私は彼に同情したい。


第一印象は7秒で決まる、と言われるが、

彼(深淵)に初めて顔を合わせる私たちの顔は

見るに堪えないものだろう。


何せ、今際の(いまわのきわ)

であるのだから。


こんな顔を見せて申し訳ない。

本当に可哀想なのは深淵である。


私以外に深淵に同情した人間がいるだろうか。

私はまさしく聖人だ。


と思うと、自己肯定感が上がり

少し縁を離れることができた。


だが、恐らく深淵に同情した聖人というトロフィーは、

80年前程に人生をプレイしたマハトマ・ガンジーにでも

既に解放されているのだろうな。と思う。


閑話休題


私はこのまま、滑り落ちそうな穴の縁で、

落下を待っていても、足を踏み出しても良いと思っていた。


もはやコンクリートの大地側に、

私を引き寄せる引力は存在しない。


穴に今すぐ飛び込んでしまいたい

という強い気持ちは起きない。


しかしそれと同時に、縁から離れたいという

強い意志も感じない。


このまま、雨が降り、水に押されて

急転直下してもいいと、時期を待つような

受け入れ態勢のまま立ち尽くしている。


それでよかった


それでよかったが、私は少し縁を離れ

ごく僅かにコンクリートの世界の出口へと

歩みを進めた。


理由はない。わかりもしない。


けれど、今立っている場所はここではないかな

と、(きびす)を返し歩んだことは


きっといつか、意味のあることになる。


また幾度となくここへは来るだろう。


けれど深淵の彼とは親密にならずにいたい

程よい距離感で付き合っていきたいと


そう思った。

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