第3話 婚約破棄当日(後編)
モニカから話を聞き終えたその日から、私は反撃の準備を始めた。
驚いたことに、クロイツは婚約を破棄するつもりだというのにマトモな根回しをしていなかった。
どうやらサマーパーティーで私に冤罪を押し付け、断罪を済ませてから国王陛下のところに話を持っていくつもりらしい。
それでうまく行くと思っているのだろうか。
いや、クロイツは自分の計画が成功すると本気で思い込んでいるからこそ、実行に動いているのだろう。
そして、サマーパーティの日が訪れた。
「アルテリア・ローズアロー! 俺は貴様との婚約を破棄する!」
事前にモニカから聞いていた通り、婚約破棄が宣言される。
クロイツはすでに自分の勝利を確信しているのか、口元にニタニタと余裕の笑みを浮かべていた。
私は彼の言葉を聞き流しつつ、予定通りの反論を行っていった。
「婚約者がいるのに、別の異性に愛情を向ける。どれだけ言葉を取り繕っても、それはただの浮気でしょう」
「っ……」
「そもそもの話、もし殿下がモニカと結婚したいのであれば、いきなり婚約破棄を宣言するのではなく、国王陛下や宰相殿に話を通すのが最優先では?」
「黙れ! 女のくせに理屈ばかり並べて、だから貴様は可愛くないのだ!」
たった数度のやりとりで、クロイツはすっかり余裕をなくしていた。
本人は自分のことを策士と思っているようだが、悲しいほどに現実というものが見えていない。
今はただ冷静さを失い、感情的に喚き散らすばかりだった。
周囲の人々は冷めた視線をクロイツに向けている。
しかし、本人はそれに気づかないまま声を張り上げた。
「貴様のような女と結婚するなど絶対にありえん。代わりに、貴様の妹を婚約者にする! モニカ、こちらに来い!」
「嫌です! 絶対に嫌ですっ!」
モニカは大声で叫ぶと、私の右腕にぎゅっと抱き着いた。
「殿下のお嫁さんになるくらいだったら、わたし、アルテ姉様と結婚します!」
「……と、モニカは言っているわ。クロイツ、随分と嫌われているのね」
私はそう言いつつ、モニカの頭を撫でる。
「くっ……! モニカ、どういうつもりだ! 俺に恥をかかせるつもりか!」
「殿下なんかと結婚する方が一生の恥ですっ!」
モニカは私の腕に抱き着いたまま大声で言い返します。
「アルテ姉様がわたしをいじめているとか、留学先でよからぬことをしているとか、大嘘を吐いて婚約破棄しようとするような人と結婚なんてありえませんっ! そもそも婚約者の妹に言い寄るとか、手近なところで火遊びしてるだけじゃないですか。そんなのを真実の愛なんて言わないでください!」
「う、うるさいっ! 貴様、よくも次の国王である俺に逆らったな! モニカ、貴様の秘密を今ここでバラしてやる!」
クロイツはそう叫ぶと、背後から一冊のメモ帳を取り出した。
どうやら服の下に隠していたらしい。
だとすると、なかなかに滑稽な姿のような……。
「このメモのことを忘れたわけではないだろうな、モニカ」
クロイツはそう言ってメモ帳を高く掲げる。
会場にいた人々の視線も、自然にそちらへと吸い寄せられていた。
「アルテリア。このメモが何か知っているか」
「ええ、もちろん」
私はフッと余裕の笑みを浮かべながら、クロイツが知らない事実を明かす。
「モニカも、私と同じで魔法の才能があるの。《鑑定》で知った内容を忘れないように書き留めていたのでしょう?」
「……何の話だ?」
「貴方はそのメモを見て、モニカを他国の諜報員と勘違いしたのでしょう? でも、本当に諜報員ならメモなんて残すかしら。しかも他人に取られるなんてヘマをやると思う? そもそも、この子の身辺に怪しい点がないことは調査で証明されているわ」
「調査などアテにならん。諜報員なら誤魔化す方法はいくらでもあるはずだ」
「そう反論すると思って、すでに別の証明を用意してあるわ」
私はそう言って、ドレスの右袖に隠していた書状を取り出す。
「私がハイエルフの女王と懇意にしていることは知っているわよね? モニカのことを相談したら、転移魔法でうちの家に来てくれたの。モニカに魔法の才能があること、それから他国と繋がりがないことを証明する書状を書いてくれたわ」
ブルークラウン王国の王都では、15名ほどのハイエルフが外交官として生活している。
彼らを通じて女王のセレル様と連絡を取ったところ、私たち姉妹を心配して、転移魔法で駆けつけてくれたのだ。
ハイエルフは種族単位で世話焼きだが、セレル様はその頂点に立っているだけあって過保護なところがある。
私が事の経緯を話すと、すぐに協力を申し出てくれた。
セレル様はモニカの才能を詳しく調べると同時に、ハイエルフたちに命じてその身辺を改めて調べさせた。
結果はもちろんシロ。
そのことを記した書状にはセレル様の署名が入っている。
何千年もの時間を生き、魔法を自由自在に操るハイエルフはこの大陸において非常に強い権威を持つ。
セレル様の名前が入った書状を前にして、さすがのクロイツも言葉を失っていた。
余談だが、セレル様は今もローズアロー公爵邸に滞在している。
モニカの部屋にあった恋愛小説にすっかりハマったらしく、本棚の横にイスを置いて、次から次へと読み漁っている。
それはさておき――
「モニカに魔法の才能があっただと……?」
クロイツは苦々しい表情を浮かべて、負け惜しみを口にする。
「俺の知らん話を持ち出してくるとは、卑怯だぞ、アルテリア……!」
「卑怯なのは貴方でしょう。私の悪い噂を流し、ありもしない罪を根拠に婚約破棄を突きつける。この行為のどこに正統性があるとでも?」
そもそも、と私は続ける。
「他人に害を及ぼしておいて、反撃されないわけがないでしょう」
「うるさい! 俺は次の国王だぞ! 国王に歯向かって許されると思っているのか!」
クロイツがそんなふうに怒声を上げた直後のことだった。
「醜態を晒すのはそこまでにせよ。馬鹿息子」
会場の奥から、護衛の騎士を伴って一人の男性が現れた。
大柄な身体に、青色の冠とマントを纏っている。
ブルークラウン王国の国王、ギルベルト陛下だ。
豊かな顎髭を蓄えたその顔には失望の色をありありと浮かべている。
「父上……!? な、なぜここに!?」
国王陛下の登場は完全に予想外だったらしく、クロイツ殿下は戸惑ったように大声を上げる。
「今日、おまえがよからぬことをしでかす、とアルテリア嬢から聞いておったのでな」
「なっ……!?」
クロイツは驚きの表情を浮かべ、こちらを振り返った。
「アルテリア! 勝手に父上に話を持っていくとは、貴様はどこまで勝手なのだ!」
「勝手なのは王子ですっ!」
反論の声を上げたのはモニカだった。
がるるるる、と今にも噛みつかんばかりの剣幕でクロイツに言い返す。
「周囲に自分の都合ばっかり押し付けて、はっきり言って迷惑ですっ! わたしの時だって、殿下がいつもいつも一方的に迫ってきて、そのせいで友達も減っちゃったんですよ!? どれだけ辛いか分かりますか? 分かりませんよね! 殿下、友達いませんもん!」
「そんなわけがあるか! 俺にも友くらい――」
クロイツは取り巻きたちに視線を向ける。
だが、誰も彼もが無言で目を逸らすばかりだった。
「貴様ら、覚えておけ! 俺が王になったら全員死刑にしてやる!」
「王になったら、か」
国王陛下は嘆くようにため息を吐く。
「クロイツ。おまえがモニカ嬢に送った手紙だが、今はすべてワシの手元にある」
「妹に言い寄っている証拠として、陛下に提出させてもらったわ」
国王陛下に続いて、私はクロイツに告げる。
サマーパーティまでのあいだに行った「根回し」はセレル様を呼んだことだけではない。
3日前に領地から帰ってきたお父様にも事情を話し、急遽、国王陛下との謁見をセッティングしてもらった。
その際、クロイツの手紙はすべて陛下に渡している。
「モニカを他国の諜報員と勘違いするだけならまだしも、『俺のものになるならば、こんな国などくれてやる』などと手紙に書いてしまうのは、次の国王として非常に問題があるのではないかしら」
「……アルテリア嬢の言う通りだ」
国王陛下が重々しい表情で頷く。
「クロイツ。この国の王位は長男が就くことになっておる。……ただし、それはあくまで原則的な話に過ぎん。歴史を遡れば、例外はいくらでも存在する」
「ま、まさか……」
顔色を真っ蒼にして、クロイツが呟く。
「俺を、廃嫡するつもりですか」
「ここまでのことをやった以上、もはや貴様に継がせる王位はない。次の国王は弟のカインとする。これは宰相を始めとして、他の官僚たちも同意しておる」
「そんな! 父上、どうかお許しください! 今度こそ心を入れ替えます、だからどうか……」
「おまえはいったい何度心を入れ替えれば気が済むのだ」
国王陛下は呆れたように告げる。
「幼い頃から数えて、そろそろ200回は入れ替えておるだろう。この国の歴史によれば、婚約や結婚を転機として更生した王族も多いようだが、さすがに貴様には何も期待できん。王都を離れ、遠い離宮で生涯を過ごすがいい」
「そんな……」
ガクリ、とクロイツはその場に膝をついてうなだれる。
可哀想、という気持ちは湧いてこなかった。
婚約者ではあるが、その期間はたった1年ほどであり、クロイツからは文句と嫌味しか言われた記憶がなかったからだろう。
「アルテリア嬢、モニカ嬢、すまなかった」
国王陛下は視線をこちらに向けると、謝罪の言葉を口にした。
「王家とローズアロー公爵家の結びつきを強くするための婚約だったが、2人には本当に迷惑を掛けてしまった」
「謝意はお受けします。では、先日お願いしたように、クロイツ殿下との婚約を破棄させてくださいませ」
「……うむ。賠償については汝の父上であるローズアロー公爵と話し合うとしよう」
「待て!」
私たちの会話が聞こえていたらしく、クロイツが怒声を上げた。
「女のくせに婚約を破棄するだと。貴様はどこまで生意気なのだ、アルテリア……!」
自分から婚約破棄を突きつけようとしたのに、その逆は許せないというのは、さすがに滅茶苦茶ではないだろうか。
だが、クロイツは廃嫡のショックで理性を完全に失ってしまったらしく、獣のようなギラついた眼でこちらを睨みつけながら立ち上がる。
「おまえさえいなければ!」
そう叫んで、私へと殴り掛かってくる。
私がいなくても、クロイツはいずれ何かをやらかして廃嫡になっていたのではないだろうか。
……などと言ったところで本人は認めないだろう。
言葉の通じない獣は、狩るしかない。
モニカは私の考えを察したらしく、すでに腕に抱き着くのをやめ、一歩後ろに下がっている。
賢い子だ。
私はフッと口の端に笑みを浮かべつつ、一歩前に出る。
そしてクロイツの拳を横に躱しつつ、足払いをかける。
「うわっ!」
クロイツはそのままバランスを崩し、誰もいないテーブルへと突っ込んでいく。
ガシャン!
テーブルには飲みかけの赤ワインが入ったグラスが置かれており、それが零れてクロイツの服を汚す。
「何をしておる。取り押さえろ」
国王陛下の声が響く。
護衛たちはハッと我に返るとクロイツのところに向かう。
そうしてクロイツは拘束され、サマーパーティの会場から連れ出されていった。