第2話 婚約破棄7日前(後編)
「クロイツを毒殺なんて、随分と物騒ね。何があったの?」
「えっと……」
モニカは困ったように眉を寄せると、口籠りながら俯いてしまう。
本当は話したいことがあるけれど、うまく言葉にできずにいる……といったところだろうか。
私は右手を伸ばし、ポンポン、とモニカの頭を撫でる。
「だいじょうぶ、私はどんな時もモニカの味方よ。キツネ狩りにクマが現れた時も、真っ先に貴女を助けに行ったでしょう?」
「……はい。あの時のアルテ姉様、まるで小説に出てくる王子様みたいでした」
「ありがとう。モニカは大切な妹だもの。相手が何者であろうと絶対に守ってみせるわ」
私はそう告げながら、右手の指先でモニカの髪をそっと梳く。
「どんな話だろうと疑わないから、貴女が何を悩んでいるのか教えてちょうだい」
「アルテ姉様……」
モニカは潤んだ瞳でこちらを見上げると、私の腰にガバッと抱き着いてきた。
そのまま甘えるように頭をぐりぐりと動かしながら言葉を続ける。
「実は、ずっと前から隠してたことがあるんです。とても信じられないような話なんですけど、聞いてください。――わたし、他人の秘密が『見える』んです」
* *
モニカは薬師としての才能があって、飲む人の体質や症状に合わせての調合を得意としている。
では、どうやって飲む人の体質や症状を見抜いているのかと言えば――
「相手をじーっと眺めていると、わたしの頭の中にイメージが浮かんでくるんです」
そのイメージは本の形をしており、相手の身体のことや病気のこと、さらには人間関係のようなプライベートなことも記されているらしい。
モニカはその『本』を脳内で読み、薬の調合を考えているようだ。
「でも、こんなの普通じゃないですよね。……信じられませんよね」
「いいえ、信じるわ」
私はそう答えた後、ハイエルフの国で学んだことを思い返しながらモニカに告げた。
「だって、貴女のその力は魔法だもの」
「えっ!?」
モニカが驚いたように声を上げる。
「そんな魔法があるんですか?」
「名前は《鑑定》、これを使うと相手についての情報が『本』として頭の中に浮かんでくるらしいわ」
らしい、という言い方になったのは、私の使える魔法に《鑑定》が含まれていないからだ。
《鑑定》の使い手はかなり少なく、現在は5名しか存在していない。
ちなみに現在の世界で《請願》を使えるのは私だけらしいので、姉妹揃って希少魔法の使い手ということになる。
そのことをモニカに伝えると「アルテ姉様のほうがレアなんですね! さすがですっ!」と嬉しそうな反応が返ってきた。
何がどう「さすが」なのかは分からないが、喜ぶモニカの姿は可愛らしい。
モニカはこれまで無意識のうちに《鑑定》を使っていたわけだが、王立学院に入学してからはかなり頻繁に活用していたらしい。
「わたし、3年前まで平民として暮らしていたわけじゃないですか。いきなり貴族の方々と接するなんてハードルが高すぎるから、少しでも情報が欲しくて、学院で人に話しかけられるたびに『本』の力を使っていたんです」
そうやってモニカは相手の好きなものや嫌いなもの、あるいは家族関係などのプライベートな情報を得て、周囲と上手にコミュニケーションを取っていたようだ。
ただ、《鑑定》を発動させるには、前提として「相手を見つめる」という行為が必要となる。
結果として、学院の男子生徒の中には「モニカって、俺に好意があるんじゃないか」と勘違いする者もチラホラと現れた。
……数秒ほど視線を向けられただけで舞い上がってしまうなんて、さすがに自意識過剰というものではないだろうか。
それだけでも頭の痛い話だが、私の婚約者であるクロイツも残念な男性のひとりだったらしい。
モニカが自分に惚れていると思い込み、私が留学で不在なのをいいことに、この半年間しつこくアプローチを繰り返していたようだ。
「アルテ姉様と結婚できるのに、クロイツ殿下ったら意味が分かりませんよねっ!」
事情を話しているうちに腹が立ってきたのか、モニカはぷりぷり怒りながら声を上げた。
「浮気するくらいだったら、わたしが殿下の代わりにアルテ姉様と結婚したいですっ!」
「ふふ、モニカにそう言ってもらえるのは嬉しいわ」
私はクスッと微笑みながら、モニカの頭を撫でる。
「ともあれ、この半年間は大変だったのね。苦労させてしまってごめんなさい」
「いえ、アルテ姉様が謝る必要なんてありませんっ! そもそも、わたしが『本』の力に頼らなければよかっただけですし……」
「モニカは貴族社会に溶け込もうとしただけでしょう? 貴女は悪くない。問題は、婚約者がいるのに自制できなかったクロイツにあるわ」
もしも本当にモニカがクロイツに好意を抱いていたとしても、普通に考えるなら、クロイツはモニカと距離を置くものだろう。
ブルークラウン王国では原則として長男が王位を継ぐことになっているので、クロイツは次期国王だ。
国内だけでなく国外からも注目される立場の人間がうっかり婚約者の妹に手を出したとなれば、どう考えても大騒動になる。
クロイツはそんなことも分からないのだろうか。
私の心は怒りを通り越して、呆れた気持ちでいっぱいになっていた。
「はぁ……」
思わず、ため息が漏れる。
学院でのクロイツは次期国王という立場をタテにして威張り散らしており、軽率な言動も目立っていた。
宮廷の官僚たちからは王としての資質を疑う声さえも上がっている。
私は婚約者として彼をフォローしようと努めていた時期もあったが、クロイツから「女のくせに余計なことをするな!」と強く拒絶されてしまったため、本人が自発的に改心することを祈るばかりとなっていた。
ブルークラウン王国では長男が王位を継ぐことが原則とされているが、歴史を遡れば例外も存在する。
もしクロイツがこのままなら、2歳年下の弟であるカインが次期国王に選ばれるかもしれない。
カインは兄の存在を反面教師にして育ったらしく、16歳という若さながらも落ち着きがあり、貴族家の生徒だけでなく、平民出身の官僚候補生からも慕われている。
官僚制度が発達したこの国において、国王というのは「お飾りの人形」で構わないわけだが、逆に言えば「勝手に動く呪いの人形」は求められていない。
そして残念ながらクロイツは余計なことをしでかしそうなタイプ……というか、婚約者の妹に言い寄っている時点でアウトだ。
もし物証があって、それが表沙汰になってしまったなら長子相続の原則を破っての廃嫡もありうる。
――そんなことを考えていたら、モニカが「ちょっと待っててください、見せたいものがあるんです」と私に告げた。
ベッドの近くにある自分の机に駆け寄り、引き出しから1通の手紙を取り出してこちらに戻ってくる。
「これ、殿下からの手紙です。ちょっと読んでもらっていいですか……?」
なんてことだろう。
物証があった。
* *
クロイツがモニカに送った手紙の内容は、なかなかにひどいものだった。
前半部分は『君のそっけない態度は俺への愛情を抑え込んでいるからだろう? 分かっている』とか『姉のアルテは留学しているのだから、もっと君は素直になるべきだ。俺はモニカの気持ちを理解している』とか、なかなかに思い込みの激しい文章が書き記され、後半に至っては男性の欲望が丸出しになったような妄想が延々と続いていた。
親密でも何でもない相手への手紙にそんなことを書くのって、どういう神経なのだろう。
人間は恋をすると冷静さを失うというが、さすがにこれは極端すぎる。
読んでいて頭痛がする……というか、クロイツの頭に矢を突き差してやりたいところだ。
そうすれば次の国王はカインだし、ブルークラウン王国にとっても好都合ではないだろうか。
冗談はさておき……
手紙の最後は、こんな文章で締めくくられていた。
『あのメモが俺の手元にあることを忘れるな。貴様が他国の諜報員であることをバラされたくなかったら、俺のものになれ』
メモ?
諜報員?
いったいどういうことだろう。
気になってモニカに訊ねてみると、こんな返答が返ってきた。
「わたし、『本』の力でわかったことをメモに書いているんです。毎回、相手をジッと見てたら変な勘違いをされるかもしれませんし。でも……」
モニカはそう言って、ドレスの右袖をまくる。
右の手首にはうっすらと青色の痣が残っていた。
「この前、学院の裏庭でクロイツ殿下に手首を掴まれて、押し倒されそうになったんです。なんとか逃げることはできたんですけど、その時にメモを落としちゃって……」
「クロイツに拾われてしまったのね」
「……はい」
私の言葉に頷くと、モニカはさらに説明を続ける。
『本』の力……《鑑定》の魔法は、相手が隠している秘密なども明らかにできるらしく、彼女はそれもメモに書き記していた。
そのメモを読んだクロイツは、モニカのことを他国から送られてきた凄腕の諜報員と思い込んでしまったらしい。
魔法についての知識はあまり広まっていないし、《鑑定》は希少だからなおさらだ。
しかもモニカの身の上はちょっと複雑なので、クロイツが妙な勘違いをしたのも仕方のないことかもしれない。
厳密に言えば、モニカは私の実妹ではなく従妹にあたる。
父の兄にあたる人物、つまり私の伯父が旅の女性と駆け落ちした先で生まれたのがモニカで、3年前まで平民として育てられていた。
伯父も、相手の女性もすでに亡くなっている。
どうやら流行病に罹っての病死らしい。
残されたモニカが途方に暮れているところで、私の父が運よくその居場所を突き止め、ローズアロー公爵家に養女として迎え入れた。
ちなみにモニカをローズアロー公爵家で引き取った時、彼女の身辺については詳細な調査がなされ、潔白であることが証明されている。
他国の諜報員なんてありえない話だが、クロイツは思い込みの激しい人間だから、不都合な事実は都合よく忘れているのだろう。
と、いうか。
モニカを他国の諜報員と思うのなら、国王陛下か誰かに相談して対応するべきだろう。
なのにクロイツがやったことは『俺のものになれ』という恫喝だけ。
国よりも恋愛を優先するのは、次期国王として問題だらけだ。
私はべつに次期王妃の座に執着はないし、国のことを考えるならばこの手紙を持って今すぐ国王陛下のところへ駆け込むべきだろう。
けれど、その前にやるべきことがある。
姉として、モニカの青痣をそのままにはできない。
「手首、かなり強く掴まれたのね。痛みはない?」
「かなりマシになりました。でも、動かすのはちょっと辛いです」
モニカは眉を寄せ、しょんぼりとした表情を浮かべる。
……あの男、絶対に許さないわ。
私は内心で決意しつつ、両手を伸ばしてモニカの右手首に触れた。
そして《請願》を発動させる。
「月と狩猟の女神ディアナ様、モニカの怪我を癒すために力をお貸しください」
祈りの言葉を終えると同時に、銀色の光が弾けた。
……よし。
私は両手を放す。
モニカの右手首から、青痣は消えていた。
もちろん限界はあるものの《請願》はあらゆる魔法の代用になる。
今回は、ディアナ様にお願いして回復魔法を使ってもらった……といったところだ。
「痛くない……」
モニカは右の手首を動かしながら呟く。
「アルテ姉様、すごいですっ! ありがとうございますっ!」
「いいのよ。可愛い妹のためだもの」
私はふっと笑みを浮かべながらそう答えた。
* *
治療の後、モニカはさらなる衝撃の事実を告げた。
クロイツからの手紙は1通だけではなく、何通も存在するようだ。
「本当はぜんぶ焼き捨てたかったんですけど、いざという時の証拠として残しておいたんです」
モニカはそう言いながら、今朝届いたという最新の手紙を私に見せてくれた。
内容としては先程の手紙と同じように延々と口説き文句が並んでいたものの、1つだけ見過ごせない記述があった。
『おまえが他国の諜報員だろうと構わない。なぜなら俺は器の大きな男だからだ。アルテとの婚約は破棄して、おまえを王妃にする。この国をくれてやろう』
ちょっと待ってほしい。
クロイツはモニカのことを他国の諜報員と思い込んでいるわけだが、他国の諜報員をあえて王妃に据えるなんて普通なら考えられない選択だ。
本人は器の大きさをアピールしたかったようだが、クロイツの考えが浅いことしか伝わってこない。
もし本当にモニカが諜報員だったなら、ブルークラウン王国はどうなっていたことか。
他国の食い物にされて、その歴史を終えていたかもしれない。
しかも――
モニカの話によれば、クロイツはすでに私との婚約を破棄するために動いており、取り巻きの生徒たちを使って王立学院で私の悪い噂を流しているらしい。
実は屋敷で妹のモニカを虐待していたとか、留学先で複数の男性と関係を持っているとか。
どれもこれも事実無根だし、完全に言いがかりだ。
モニカを追い詰めるだけじゃなく、私にまで喧嘩を売ってきたのだから、たとえ婚約者であろうと容赦するつもりはない。
狩る。
まあ、さすがに命を取るつもりはないけれど。