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第1話 婚約破棄7日前(前編)

 事の始まりは、サマーパーティが開催される7日前のことだった。


 その日の夕方、私は半年間の国外留学を終え、王都のローズアロー公爵邸に帰還した。

 父、母、そして兄の3名はどうしても外せない用事のため領地に戻っており、屋敷に残っていた執事やメイドたち、そして妹のモニカが私を出迎えてくれた。

 

 モニカの喜びぶりはかなりのもので、エントランスの階段を転がるように駆け下りてきたかと思うと、そのままの勢いで私の腰に抱き着いてきた。


「アルテ姉様、おかえりなさいっ! 留学はどうでしたか?」

「とても勉強になったわ。魔法のコツも掴めたから、成果は上々ね」


 私が留学していたのはブルークラウン王国の西隣にある、リーファスというハイエルフの国だ。

 ハイエルフは不死に近い種族で、外見こそ若々しいものの、全体の傾向として「世話好きの老人」という言葉がよく似合う。

 彼らは人族の世界から魔法が失われつつあることを嘆いており、才能のある者を探し出してはリーファスに招待し、魔法の指導を行っている。

 私の場合はリーファスの女王であるセレル様に才能を見出され、半年間、宮殿で生活をしながらハイエルフたちに魔法の使い方を教えてもらっていた。

 ついでに狩猟の技術についてもアドバイスをもらったので、私にとっては本当に有意義な留学だった。


 ただ、その一方でひとつだけ心配なことがあった。

 妹のモニカは複雑な事情があって、3年前まで平民として育てられていた。

 現在は貴族として王立学院に通っているが、彼女にとってはまだまだ分からないことも多い。

 この半年間、トラブルなく過ごせていただろうか。

 

「モニカ、私がいない間、学院で困ったことはなかった?」

「えっと……」


 モニカは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐにパッと明るい笑顔を浮かべて答える。


「だいじょうぶです! 皆さん、親切にしてくださってます!」


 本当だろうか。

 何か隠しているような……。

 私の考えすぎならいいのだけれど。



 * * 



 その日の夕食には、私の大好物である若鶏の香草焼きが出てきた。

 大皿の上に置かれた若鶏はこんがりと茶色に焼けており、ホクホクとした湯気とともに、おいしそうな香りが漂ってくる。


「いい匂いね」

「アルテ姉様、聞いてください! 今日の料理に使っているハーブ、実はわたしが育てたんです!」


 我が家の裏手にはモニカの薬草園があって、そこでは食用、薬用を問わず様々な植物が育てられている。

 バジルやローズマリーも植えられていたから、それを使っているのだろう。


「アルテ姉様が帰ってくるから、屋敷の料理人さんと相談して特別メニューにしたんです! デザートもわたしが心を込めて作りました!」


 えっ。

 妹の気持ちは嬉しいが、これはピンチかもしれない。

 モニカには薬師としての才能があり、飲む人の体質や症状に合わせての調合を得意としている。

 どんな名医に掛かっても悪化するばかりだった父様の不眠も、モニカの薬ですっかり解消された。

 ただ、料理では薬師の才能がおかしな方向に発揮されてしまうらしく、彼女はいつもレシピに奇妙なアレンジを加えては、とんでもないシロモノを生み出していた。

 とはいえ大切な妹が作ってくれたデザートを拒否するなんて、姉として絶対にできない。

 もし倒れたとしても、それは名誉の戦死 (?) というべきだろう。


 メインディッシュを食べ終え、覚悟を決めてデザートを待っていると、やがてワイングラスに入ったプリンが運ばれてきた。

 上の部分にはたっぷりとカラメルソースが掛かっている。

 モニカが作ったものにしては珍しく見た目がきっちりしている……というのが第一印象だった。


「それじゃあ、いただくわね」

「はいっ! 食べちゃってください!」


 モニカの笑顔に見守られながら、私はプリンにスプーンを差し入れる。

  卵を多めに使っているらしく、ずっしりとした感触だ。

 どうやら私の好みに合わせてくれたらしいが、味はどうだろう。


 もぐもぐ。


 濃厚な卵の味わいが、甘めのカラメルソースを伴って口の中に広がる。


「おいしい……」


 思わず、言葉が漏れた。


「本当ですか!」


 テーブルを挟んで向かい側に座るモニカが、満面の笑みを浮かべながら立ち上がる。


「アルテ姉様は長旅で疲れているだろうから、それに合わせてレシピをアレンジするつもりだったんです。でも、屋敷の料理人さんたちに止められちゃって……」


 料理人の皆、ありがとう。

 心から感謝したい。

 チラリと背後を振り返ると、執事やメイドたちに交じって控えていた料理人さんたちがニッと笑みを浮かべた。

 食堂の照明に照らされて、白い歯がキランと輝く。

 彼らには特別ボーナスを出すことを検討しよう。

 そんなふうに食事を楽しむ一方で、私は冷静にモニカの様子を観察していた。

 モニカは今年で15歳、私が留学しているあいだの変化としては、半年前よりもちょっと背が伸びたくらいだろうか。

 いつも元気いっぱいで、そこにいるだけで周囲を明るくしてくれる子だ。


 ただ、どうにも違和感がある。


 まるで狩人に追われるウサギのように不安げな表情を浮かべては、ハッと我に返る――。

 そんな仕草をモニカは何度も繰り返していた。

 心配事でもあるのだろうか。

 私にとってモニカは世界で最も大切な妹だ。

 放っておくつもりはない。

 食事が終わったら聞いてみよう。


 ……と思っていたら。


「じ、実は新しい薬草の本を買って、今日中に全部読んでしまいたいんです! アルテ姉様も留学から帰ってきたばかりでお疲れじゃないですか? お疲れですよね! また明日、ハイエルフの国のことを聞かせてください! ではでは失礼しますっ!」


 モニカは早口で宣言すると、淑女らしからぬ駆け足でバタバタと自分の部屋へと戻っていった。

 その様子は明らかに不自然なもので、周囲にいた使用人たちも心配そうな表情を浮かべて「モニカお嬢様、何かあったのでしょうか……」などと口々に呟いている。


「私がモニカに話を訊いてみるわ。皆は片付けが終わったら休憩してちょうだい」


 使用人たちにそう告げると、私は食堂を出て屋敷の三階に向かった。

 廊下の右奥には私の部屋があって、その隣がモニカの部屋となっている。


「モニカ、少しいいかしら」


 コンコン、コンコンとドアをノックする。

 返事は……ない。

 読書に夢中になっているのだろうか。

 いや、違う。

 シカやウサギを狩る時のように耳を澄まし、周囲の様子を探ってみれば、ドアを隔てたすぐ向こう側から「怯え」の気配が伝わってきた。

 あくまで推測になるが、モニカはドアの反対側にいるのだろう。

 私が強引に入ってくるのではないかとビクビクしている……といったところか。

 ドアノブを回そうとしたが、内側から鍵が掛かっているせいで動かなかった。

 正面から入ろうとするならドアを壊すしかないが、それはさすがにモニカを恐がらせてしまう。

 

 ならば、どうするべきか。

 大人しく引き下がって、モニカが話してくれるまで待つ?

 答えはノーだ。

 一度決めたことは絶対に実行する。

 それが私のやり方だ。


 私はドアの前を離れると、足音を殺しながら自分の部屋にサッと入る。

 部屋の中には天蓋付きのベッドや本棚、狩猟の道具を手入れするための作業台などが置かれており、留学前と変わらない雰囲気で私のことを出迎えてくれる。

 安心感からホッとため息が漏れ、つい、頬が緩む。

 とはいえノンビリしている暇はない。

 私は部屋の奥へ向かうと、静かに窓を開ける。

 夜空には弓のように細い三日月がのぼり、冴え冴えとした銀色の光を放っていた。

 窓から外に身を乗り出し、視線を右側……モニカの部屋のほうへ向ける。

 あの子は寝る時以外、たいてい窓を開けている。

 今夜はどうだろうか。


「……予想通りね」


 モニカの部屋の窓は開けっぱなしになっており、カーテンが夜風に揺れていた。

 これならうまく行きそうだ。

 ハイエルフの国で習った魔法を使ってみよう。

 私は夜空の三日月を見上げ、祈りの言葉を口にする。

 

「月と狩猟の女神ディアナ様、隣の部屋へ窓から入るために力をお貸しください」


 直後―― 私の呼びかけに応えて、三日月がパッと強く輝いた。

《請願》。

 自分と関わりの深い神族に助力を願うことで、様々な現象を引き起こす魔法だ。

 ディアナ様は神々の中でもかなり察しのいいタイプと言われており、《請願》の内容があやふやでも適切に力を貸してくれる。

 代償として狩猟の成果を捧げなければならないが、そもそも狩りを趣味とする私にとってはまったくデメリットになっていない。

 山や森に向かう理由ができるので、むしろメリットかもしれない。


《請願》の効果はすぐに発揮された。

 月光がこちらへと降り注ぎ、私の部屋の窓からモニカの部屋の窓までを繋ぐように半透明の道を空中に生み出した。

 私は右手を伸ばし、半透明の道をコンコンと手の甲で叩く。

 うっすらとした見た目とは裏腹に、しっかりとした感触が返ってきた。

 この上を歩いていけ、というのがディアナ様の意思なのだろう。


「ご協力、感謝します」


 私はディアナ様にお礼の言葉を述べると、窓枠に足を掛けて外に出る。

 そのまま、空中に架かった半透明の道の上に立った。


「……なかなかスリルがあるわね」


 足元に視線を向ければ、はるか下に地面が見える。

 もし転落すれば大怪我を負ってしまうだろうが、そんな失態を演じるつもりはない。

 私は一歩一歩、進む先の感触を確かめながら道の上を歩いていく。


 ほどなくしてモニカの部屋の窓まで辿り着いた。

 カーテンの隙間から部屋の中を覗けば、モニカはドアの内側に顔をピタッと張り付け、外の物音に聞き耳を立てていた。

 私はドアの外ではなく窓の外にいるわけだが、モニカはまったく気付いていないようだ。

 よし、行こう。

 私は大きく音を立てながらカーテンを開けると、部屋の中へと降り立つ。


「モニカ、私はこっちよ」

「アルテ姉様? って、ひょえええええええええええええっ!?」


 モニカはこちらをパッと振り返ると、目を丸くしてその場でひっくり返った。

 私は口元にフッと笑みを浮かべつつ、スカートの裾を直す。

 一方、モニカは気が動転しているらしく、早口で問い掛けてくる。


「ま、ま、窓からお姉様が!? ろ、ろろろ、廊下にいたはずじゃ……」

「自分の部屋に戻って、外を通ってきたの。驚かせてしまったわね」

「そ、そ、外ってどういうことですかっ。空でも飛んできたとか……?」

「ハイエルフの国で習った魔法を使ったの。腰が抜けているみたいだけど、立てる?」


 私はモニカの元に向かうと、右手を差し出した。


「あ、ありがとうございます」


 モニカは私の手を借りて立ち上がると、自分の胸元に手を当てながらため息を吐いた。


「アルテ姉様、あまりびっくりさせないでください。心臓が止まるかと思いました……」

「でも、あのままだとドアを開けてくれなかったでしょう?」


 私はそう告げながら、モニカの部屋を見回す。

 天蓋付きのベッドは私の部屋とお揃いだ。

 大きめの本棚の上半分には薬学の本が、下半分には恋愛ものの小説がぎっしりと収められている。

 モニカは小説の新刊をどんどん買っているらしく、本棚に入りきらなかったものが床に何冊も積まれていた。

 他に、部屋にあるもので目立つのは……魔導具式の黒板だろうか。

 昨年、モニカの誕生日に私がプレゼントしたものだ。

 チョークではなく専用のペンで書き込むようになっており、何度でも書いたり消したりできる。

 いつもなら黒板にはモニカが考えた薬のレシピなどが書かれているが、今日はちょっと様子が違っていた。


『第8回わたし会議 ~これからどうしよう~

 案1 クロイツ殿下に従う? → 絶対やだ! → でもメモを取られてるし

 案2 アルテ姉様に相談? → 信じてもらえるかな

 案3 いっそ殿下を毒殺とか?』



 毒殺?

 なんだか不穏な言葉が書かれているが、何がどうなっているのだろう。

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