最終話
「この……クソガキ……」
崩壊していく屋敷を見ながら、竹上はわなわなと怒りに震えた。明神に屋敷を壊されるのはこれで二度目だ。竹上にとって屋敷は権力の象徴だった。
「使えない奴め、八角。さっさとあれを殺していれば……」
竹上の怒りは八角にも向けられた。瓦礫の山から明神が這いだしてくる。
「立松ユキネはどこだ。さっさと探しだして連れて来い!」
竹上の怒号に側近たちは散り散りになった。あのユキネは、ユキネの死体を組み合わせて作ったフランケンシュタインに出てくる怪物のようなものだ。再現細胞の理論がはっきりと分かる前に出来上がってしまったため不安定で、アマネと同じく脳内コンピューターで神経を動かしている。そしてそこから出る妨害波により、アマネの再現細胞を司っているコンピューターの動きを阻害することができるのだ。だからアマネを切り刻むには、ユキネは必須だった。
「明神……この時を私は長年待ったぞ」
竹上は眼鏡を外し、それを踏みつぶした。
「この手でお前を殺す、この時を……!」
橙色の光が爆発する。白色を基調とした、怪獣のような体躯。顔の横まで伸びた口。いくつもの赤い目が頭頂部まで走る。大きな手は大砲のようになって、巨大な身体を太い脚が支えている。高らかに吠えた。明神が竹上を見た。そして咆哮する。
竹上は口を大きく開けた。光が収束し、放たれる。明神は身体を逸らすが、顔の端が欠けた。体勢を崩し、地響きを鳴らしながら倒れる。竹上が悠々と近づき熱線を放った。明神は剣でそれを切り裂き、竹上に向かってタックルした。竹上に馬乗りになり串刺しにしようとする。竹上は指の先からレーザーを放った。明神の身体に穴が空く。明神は構わず剣を突き立てた。竹上は叫び声を上げた。明神を殴りつけ起き上がる。レーザーを撃つ。明神は剣で防ぐ。斬りつける。竹上がレーザーで牽制する。
「怪獣大決戦かよ……」
八角が呆れ声で呟く。地下から脱出したユキネと八角はアマネを探して彷徨い歩いていた。
「アマネちゃん!」
ユキネが倒れたベッドから投げ出されたアマネを見つける。傍に付いていた者たちは全員ユキネを探しに出て行ってしまっているようだった。
「アマネちゃん! アマネちゃん、大丈夫?」
ユキネは駆け出し、アマネの手を握る。その手が握り返された。
「え────」
引っ張られ、顔を強かに殴られる。勢い余ったユキネは瓦礫にぶつかった。
「なっ、お嬢!」
アマネはベッドを蹴り、八角にぶつけた。そして背後に回り込んでヘッドロックする。喉が締まった。首が捥げそうだ。
「かっ……」
「もういい加減にして……!」
「だから……こっちのセリフだっつの!」
八角は後ろ向きに飛び、瓦礫にアマネもろともぶつかる。拘束が緩み、アマネの顔を掴んで瓦礫に押し付けた。アマネはその腕に足を絡めて折る。
「いてぇ!!」
「それは良かったぁ!」
拳を鳩尾に一発。さらにレバーに一発。胸を押し、懐の銃をひったくる。腹に一発。足に一発。八角は跪く。最後ヘッドショットを決める────弾切れだ。アマネは使い物にならなくなった銃を投げつける。八角は口から血を流しながらもそれを掴み取った。
「うっそ」
「ほんとだよ!」
流れるように弾倉を装填し構える。アマネは瓦礫の陰に隠れた。
「くそ……こっちゃお前と違っていてぇしパッと治んねんだよ……」
アマネを探す。先ほど隠れた瓦礫の裏を見る。いない。いつの間にか背後を取られている。頭に衝撃。手に石礫を持っている。とどめを刺されかけ、アマネが止まった。
「うわ……!」
「アマネちゃん! やめて!」
アマネが頭を抑える。ユキネがアマネの脳内コンピューターに干渉しているのだ。
「もう戦わないで! あのまま大人しくしてればアマネちゃんは大丈夫なの!」
「うるっ……さい!」
ユキネに石を投げつける。しかし狙いをつけずに放たれたそれは大きく逸れてしまう。
「戦ってるのは……私の意思だ! 私が決めたことだ! 今更あーだこーだ言うな!」
「お姉ちゃんはアマネちゃんを想って言ってるの!」
「それがクソ迷惑なんだよ! もう私……十七歳になる、大人なんだよ!」
痛みに耐えながらユキネに向かってくるアマネ。ユキネはさらにアマネへの干渉を強める。アマネは足が縺れた。
「あうっ」
「悪い大人に騙されてるんだよ! お願いだからお姉ちゃんの言うことを聞いて!」
「騙されてるのは……お姉ちゃんの方だ……」
アマネはユキネを睨みつける。
「お姉ちゃんは……二年前に死んだ! お姉ちゃんはとっくに死んでるのに、生きてるって騙されてるんだ!」
ユキネは目を見開き、ゆっくりと首を横に振る。
「何を……言ってるの……?」
「何回でも言ってやる! お姉ちゃんは死んだの! 私の目の前で! お姉ちゃんを殺したのは、お姉ちゃんが従ってるあのジジイなんだよ!」
「違う……違うよ、アマネちゃん……竹上さんは、私を助けてくれて……アマネちゃんを救ってくれるって……」
ユキネは苦しみ始めた。同時にアマネの頭痛が収まってくる。
「死んで……死……シ……し、しし、シ……死……」
「お姉ちゃん……」
ユキネは首を振りながら何度も何度も同じ言葉を繰り返す。ふらつきながらぶつぶつ呟き、目を忙しなく動かす。
「アマネちゃん……わたしは、あまねちゃんを、まも、守らなきゃいけないんだ……アマネちゃんを……アマネちゃんを守るのは……わ、私、私……」
病室でユキネが言ってくれたことを、アマネは思い出した。
────アマネちゃんは、お姉ちゃんが守るから。
アマネは泣きそうになった。
「お姉ちゃん……もうやめてよ」
「うるさいッ!!」
ユキネは絶叫した。アマネの頭の痛みがぶり返す。本気で割れるんじゃないかと思うくらい痛い。鼻血が出てきた。
「うるさい、うるさいうるさい! アマネちゃんがそんなこと言うわけない! アマネちゃんは悪い大人に騙されてるんだ! 体のいいように使われてるんだ!」
「お姉ちゃん……やめて……!」
「大丈夫……お姉ちゃんが全部ぶっ壊してあげるから……あの女を殺したんでしょ? でもまだなんだ! そうだ、あの子……あの子がまだ生きてるから、アマネちゃんはまだ本当のことを理解してないんだ……!」
「おねえちゃ────ああああああああああ!!」
アマネは頭を抱えて苦しむ。耳鳴りがする。涙に血が混ざり始めた。
「八角! 起きなさいよ! 早くあいつを探し出して! この子に纏わりつく────」
「お嬢……うし、ろ……」
息も絶え絶えな八角が、ユキネの向こうを見ている。ユキネの首に、針が通された。スイッチを押す。アマネの血から作られた強力な毒素が注入された。
「────呼びましたか」
真湖が背後に立っていた。ユキネは真湖を後ろ手に見る。そして吐血した。凄まじい量の血だ。血だまりの中でユキネは膝をついた。
「アマネちゃん!」
真湖がアマネに駆け寄る。アマネを襲っていた頭痛が急にパタリと止んだ。
「ま……こ……」
「大丈夫!? ごめんね、ごめんね……」
真湖はアマネが目を開けると泣きじゃくった。
「朱里さんが……私、何もできなくて……朱里さんが、アマネを頼むって! でも私……こんな見捨てるようなマネできないって言っても、朱里さんが……」
「いいの……いいのよ」
アマネは真湖の頬に手を当て、涙をぬぐった。真湖はアマネの手に自らの手を重ねた。
「真湖だけでも……無事でよかった」
「朱里さんが……」
朱里はどうなったのだろうか。竹上に連れ去られてからあそこに置いていったままなのか、それとも助かっていたのか。明神が直前まで傍にいたはずだ。明神はどうやってあの負傷から起き上がったのだろうか。
「うわああああああああああああ!!」
ユキネが叫ぶ。口から血をまき散らし、血涙を流しながら立ち上がった。
「お前を、ころ、殺して……! やる……!」
「お姉ちゃん……」
「アマネちゃんを……返して……」
その血涙の中に、本物の涙が混じっているような気がした。
「アマネ……これ、持ってきたよ。落ちてた」
真湖が渡してきたのは、アマネのネイルガンだった。アマネはそれを受け取る。中の残弾は一発だけだった。
「……アマネ……ちゃん……」
「お姉ちゃん」
アマネはユキネの下へ歩み寄った。ユキネがアマネに手を伸ばす。アマネはユキネのその手を取った。胸の中に引き寄せ、しかと抱き寄せる。
「お姉ちゃん……」
「ア……マネ……」
「ずっと、ずっとずっと、会いたかった」
アマネはユキネの体温を探りながら言葉を紡ぐ。その温度は冷え切っていて、本当にユキネは死んでいるんだ、とアマネは確信した。
「夢でだって会えたら幸せだった。思い出すたび辛かったけど、それでも私、お姉ちゃんの妹で幸せだったよ」
「アマネ……ちゃん……」
「毎日少しずつお姉ちゃんとの思い出が薄れていくようで、怖かった。だから早く死にたかった。この思い出を少しでも多く抱えたまま死ねれば、生きててよかったって思えただろうから。でも……今はそうは思わないよ」
「……どう、して」
「お姉ちゃんが言ってくれたんだよ。お姉ちゃんの分まで生きてって。愛してるって」
ユキネは涙を流した。透明な涙だった。人間が流すものと、同じ。
「だから私、お姉ちゃんの分まで生きるよ。生きて、お姉ちゃんの分も幸せになる」
安心して? とアマネは笑いかけた。
「だから……お姉ちゃんは、もう……休んで、いいんだよ」
ユキネは力を失い、ずるずると座り込んでしまう。
「お姉ちゃん。愛してる」
泣きながら言うアマネを、ユキネは穏やかな顔で見上げた。
ネイルガンを額に当てる。
ユキネは頷いた────気がした。
引き鉄を引く。
ユキネは仰向けに倒れた。安らかに、目を閉じて。
「お姉ちゃん……!」
アマネはぼろぼろと涙を流しながら、ユキネの亡骸を見つめる。
「アマネ……」
真湖がアマネを抱きしめた。
「大丈夫……大丈夫だよ」
「うん……うん……」
泣きじゃくるアマネは、へたり込んでしまった。
「────動くな!」
ユキネを探していた竹上の部下たちがアマネたちを囲んでいる。倒れているユキネを見つけ、アマネたちを発砲した。
「アマネ!」
真湖がアマネを庇い、撃たれる。
「真湖!」
「逃がすな!」
アマネの脚が撃たれ、態勢を崩す。真湖がアマネに覆いかぶさり頭を庇った。
「真湖! やめて!」
「あたま……だめ、なんでしょ……」
銃弾に晒される真湖。アマネは真湖の名を叫び続けた。
銃声がまた聞こえる。これ以上真湖を撃たせるわけにはいかない。アマネは真湖の身体を押しのけ────部下たちの断末魔が連続して聞こえる。
「クソがよ……」
八角が瓦礫にもたれながら、銃を握っていた。銃口からは煙が、そして部下たちの頭には一つずつ風穴が空いている。全滅していた。
「運が良いぜ……多分、致命傷にゃなってねぇ。つか……こいつら、銃下手すぎな……」
八角は力なく笑う。
「どうして……」
「……気まぐれだよ、ばか……」
八角は懐から煙草を取り出し、火を付けた。そして呟く。
「…………良かったな……」
「え?」
「お嬢は……納得……した……と思うぜ……」
「……お前……」
何か言おうとするアマネを、八角は目で制した。煙を吐き出す。
「早く連れて行きな……応急処置すりゃ、間に合う……」
「……礼は言わないよ」
アマネは真湖を抱きかかえる。八角が激しく咳をした。
「お前とやれて……楽しかったぜ……強く……なったな……」
「はやく……くたばれ」
八角はニヒルに口元を歪めると、タバコを口から落とした。
「真湖……真湖、もうちょっとだからね……」
アマネは真湖を抱えながら屋敷からの脱出を目指す。敷地が無駄に広いうえ、瓦礫が積み重なっているからどこが出口か分からない。地響きがした。異界人となった明神が、目の前に倒れてくる。竹上が大きく口を開けて光を収束させていた。
「まっず────」
アマネは踵を返し、全速力で走った。熱線が発射される。アマネは爆発に巻き込まれ吹き飛ばされた。真湖を手放してしまう。
「真湖ッ!」
すぐに起き上がって真湖の下へ行こうとするが、背後から竹上が迫っていた。
「この……ッ!」
竹上の背後から焦げた明神が起き上がって急襲する。剣が竹上の片方の手を奪った。明神は吠え、竹上をめった刺しにする。しかし竹上も抵抗し、レーザーが明神を貫通した。竹上は明神を蹴飛ばし、口から熱線を発射する。明神の左の腕二本が消し飛んだ。
「シンジさん!!」
明神は右の一本の剣を投げつける。竹上はそれを容易く避けた。明神が突進する。口からの熱線をもろに食らう。大爆発。アマネは真湖に覆いかぶさった。爆風が収まり、アマネは顔を上げる。真っ黒に焦げた明神の成れの果てがあった。竹上は勝利を確信し、高らかに吠える。
「そんな……」
竹上はアマネを見下ろす。そして手を翳した。レーザーの光が輝く。もう逃げられない。アマネは真湖の前で庇うように手を広げた。
その瞬間。丸焦げになった明神が、『ひび割れた』。中から剣が突き出る。竹上の喉に突き刺さった。そして現れたのは、以前の明神異界人態だ。大きな剣を竹上に突き刺し、さらに大きく斬りつける。竹上は口で光を収束するが、顎を下から剣で刺され、無理矢理口を閉じらされた。竹上の口内で熱線が暴発する。竹上の上半身が消し飛んだ。やがて竹上の身体に火が付き、あっという間に燃え広がっていく。
明神が人間態に戻った。もう息も絶え絶えだ。生きているのが不思議な状態だった。
「シンジさん!」
アマネは真湖を抱えながら明神の下へ行く。明神は大きく吐血した。
「……たて、まつ」
「シンジさん! やったよ! 竹上倒した!」
「……零士。俺は……俺は……」
明神はアマネを見つめ、父親の名を呟いた。
「仇は……とった……ぞ……。俺たちはもう……お役……御免だ……」
「シンジさん……」
「立松……」
明神はアマネを見つめながら微笑んだ・
「強く……生きてくれ」
アマネは頷いた。それを見届け、明神の目から色彩が消えた。
「みょう……じん……ッ!」
アマネは驚愕した。竹上の異界人態の死体から、人間の竹上が這い出てきていたのだ。しかし半身が焼け爛れ、立ち上がるのもやっと、といった様子だった。
「馬鹿め……死におった! ははは……俺の、勝ちだ……!」
「お前……!」
アマネは歯ぎしりした。こいつのせいで、明神は……!
「お前も殺してやる、立松アマネ! 他の誰かがお前を利用するくらいなら、俺が、俺だけの、俺の世界……!」
竹上は拳銃を取り出して発砲した。アマネの胸に当たる。痛い。まだユキネの影響が残っていた。身体から力が抜ける。
「うそ……」
「死ねぇええええ!!」
刹那。何かが風を斬る音。アマネの目の前に、刀が突き刺さった。菅生の形見だ。
アマネは考えるよりも先に動き出していた。
「ああああああああああああああ!!」
竹上の胸を切り裂いた。続いて腕を。最後に腹だ。
「や、やめ────」
「もう、終われぇーッ!!」
竹上の首を刎ね飛ばした。
ドサッ、という音がして、竹上の首が転がっていく。
「……もう、お姉ちゃんはいないでしょ」
竹上の胸には、八角のものと同じ機械が付いていた。ユキネによって回復していたのだ。
「終わった……」
アマネは刀を地面に突き刺して、倒れた。ひどく疲れた。血が溢れて出る。
痛い。
これが痛みか。
「生きてる……」
満足そうに呟き、アマネは目を閉じた。




