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第八話 中

 朱里と真湖が連れてこられたのは、東京郊外、人気のないところにある大豪邸だ。巨大な庭園の中に大きな池があり、花が至る所に咲き誇っている。門は大仰で、門番の黒服を着た護衛が二人鎮座している。屋敷の正面には趣味の悪いステンドグラスが太陽光を反射していて、真湖は目を逸らした。

 「俺らの取引相手の家だ。お前らもよーく知ってるはずだぜ」

 八角が朱里を小突き、前に進ませる。

 「おお、来たか」

 庭園にある椅子に腰かけ、優雅な雰囲気を醸し出しているやせこけた老人。清貧らしく振舞ってはいるが、指に付けた指輪や質のいいスーツがそれを完全に打ち消している。

 「竹上、ヒロシ……!」

 朱里は目を見開く。対調が目標としていた一派の頭目が、まさに目の前にいた。

 「美人に覚えてもらえていて光栄だよ」

 朱里は背中に走る鳥肌を抑えられなかった。一歩でも動けば、気まぐれのように殺される。そんな予感が、予感でとどまらず核心になった。

 「対調の生き残りだな? 運が良い。とても助かった。君たちを人質にして、立松アマネ────ホモデウスの源泉を手に入れることができる」

 「ホモデウス……?」

 真湖は聞き慣れぬ言葉を繰り返す。

 「おや、知らんかね。隣は知っているようだが」

 真湖は朱里を見た。朱里は苦しそうに顔を歪ませている。

 「アマネさんを、その名前で呼ばないで。彼女には立松アマネという名前がある」

 「何を言ってるんだ、あんな人間のなりそこないに。汚らわしい。所詮人工物だぞ」

 「訂正しろ!」

 朱里が大声を出した瞬間、八角がその足を払い、朱里を地面に押し付ける。

 「おっとっと。あんま調子乗んなよ、お姉さん。おまえはあの化け物と違って死ぬんだろ」

 「アマネさんだって死ぬ! 私たちと何も変わらない!」

 「じゃ、いっちょ死んでみるか……?」

 八角が懐の銃に手をかけた時、真湖が叫んだ。

 「やめて!」

 真湖が身体を投げ出し八角に激突する。予想外の一撃に八角はよろけた。朱里の拘束が解かれる。真湖は朱里の前に庇うように立つ。

 「これ以上ひどいことしないで! 私たちが何したって言うの!? アマネが何したって言うの!? どうして戦うの! もういいじゃん、見逃してよ!」

 「このガキ……」

 八角が青筋を立てながら起き上がった。しかしそこで竹上が制す。

 「おい、殺すなと言ったはずだぞ」

 「死ぬ一歩手前ならいいでしょ」

 「やるなら立松アマネの目の前でしろ」

 八角は舌打ちして下がった。イライラをぶつけるようにタバコを取り出す。

 「そういうわけだ。君たちは立松アマネへの人質として、大人しくしててもらう」

 「……米内さんに指一本でも触れたら殺します」

 「なら、お前から殺してやろう。立松アマネの目の前でな」

 顔を歪めた竹上は手を振り、「連れて行け」とだけ言うとティータイムに戻った。

 「おら、行くぞ」

 黒服たちが朱里と真湖を拘束し無理矢理立たせた。八角はタバコをふかしながら部下を連れて先頭を歩く。

 朱里たちが連れてこられたのは広い豪華な部屋だった。大きなベッドや赤い高級感漂うソファにカーペット。しかし全ての窓には内側の鍵が付いておらず、あからさまな監視カメラが確認できるだけで四つ。さらにさりげなく毒ガスを送り込むための通気口らしきものまである。

 「んじゃ、時間までここで大人しくしてろ」

 八角が二人を部屋に蹴飛ばす。朱里は転びかけた真湖を抱きとめた。

 「時間……?」

 「遅くとも明日中には立松アマネをここに呼び出す。それがあのジジイと、うちのお嬢さんの望みなんでな。お前らにはそれまで生きてもらわにゃならん」

 短機関銃を肩に当てて、あからさまに脅してくる。

 「俺だってできることならお嬢との約束を違えたかぁねぇ。お前らが抵抗したら話は別だがな。ガキ、お前抵抗していいんだぜ」

 「……っ」

 真湖は朱里にしがみついて首を振る。八角はタバコを落とし、踏みつけて部屋を去った。

 「……あかりさん」

 「米内さん、ありがとう。あれが無かったら殺されていたかもしれません」

 真湖は泣き出した。真湖の震える身体が朱里に抱きしめられた。

 なんでこんな目に。なんて言葉は死んでも言いたくない。自分が決めた行動の責任を他人に押し付けたくない。だから、自分が置かれているこの現状をアマネのせいなんて少しでも思ってしまった自分を、真湖はぶん殴ってやりたかった。

 変質者に襲われているところを助けられて、今度は異界人に襲われているところを助けられて、踏み込んでケンカして、ギクシャクして、守られて、助けられて、攫われて。そして多分、アマネはまた助けに来るんだろう。アマネは強い。もう何度も目の当たりにした。だからきっと、待っていれば大丈夫だ。

 もう嫌だった。そんなピーチ姫みたいな役割は。友達なのに、ずっと一方的に助けられてばかりだ。それに対して真湖は腹が立っていた。……だとしても真湖にはどうしようもないが。

 「米内さん。大丈夫です」

 監禁部屋の中、朱里はずっと震える真湖の手を握っていた。時刻はまだ昼下がり。日光が締め切られ固定された窓から差し込んでいる。

 「……もういいよ、朱里さん」

 真湖は握られた手をそっと放す。

 「これから、どうなっちゃうのかな」

 「何があっても、米内さんの命だけは守ります。アマネさんともそう約束したので」

 「アマネと会って、どれくらい経ってるの?」

 「一年半……もう少しすれば二年です」

 「どんな人? アマネって」

 「どんな……優しい人だとは、常々思っていますよ。自分を守るために周囲にきつくしているのはありますけれど」

 「だっさいよね。私もそれやられた」

 真湖の容赦ない言い方に朱里は吹き出した。真湖はさらに続ける。

 「でも優しいのは分かるな。あと情に弱い」

 「分かります。結局冷たくできないんですよね」

 「うんうん」

 「……私と組み始めた時、アマネさん、すごくビジネスライクだったんです。それこそ、プライベートには関わらないでってはっきり言われていました────」


 朱里は言わば、アマネの姉役としてあてがわれた存在だった。

 加々美朱里という人物は、言ってしまえばごく普通の公務員、警察官だった。キャリア組の期待の若手として将来を約束されていた朱里の人生は、ある事件を追っていた途中、ホモデウスを目撃してしまったことで大きく狂ってしまった。人知れず始末されそうになったすんでのところで明神シンジ、そして彼の部下だった菅生尊に助けられる。その後創設された対調に迎えられることになった。

 朱里は最初、アマネのことが気に食わなかった。生意気だったからだ。そしてすぐにアマネが根源的な空虚さ、つまり寂しさを抱えていることに気付いた。自分がなぜアマネのお世話係のようなポジションに付いているのも理解した。上昇志向が強く常にトップだった朱里は、そのような待遇が気に食わなかった。だからアマネも気に食わなかった。

 「どうしてあんな子供を抱え込んだのですか。はっきり言って作戦の邪魔です」

 朱里は局長室まで出向き、菅生にそう直談判した。菅生は作業中の眼鏡を外して答える。

 「彼女がホモデウス攻略に必要不可欠な存在だからだ」

 「ですが武器や機器もかなり改善されました。彼女の力に頼る段階は過ぎました。あのような不確定要素を入れるのは賛成しかねます」

 「それだけでは分からない場面も多々あるだろう。組織の性質上あまり派手に事を運べないことは君も分かってるはずだ」

 「……お言葉ですが。そもそも私は大人として、彼女のような子供をこのような仕事に関わらせることそのものが正しくないと思います。いくらここに来る前に比べれば精神的に安定してきているとはいえ……」

 「分かってる」

 菅生はため息をついた。

 「たしかに、この戦いは大人の世界の戦いだ。君の言うことは正しい。しかしなぜこんな戦いが起こったのか。それは私たち大人の業のせいだ。そして彼女はその業が生み出した最大の被害者だ。だからこそ私は、彼女はこの作戦に最後まで関わっているべきだと思う。……どんな結末で終わろうと」

 「どういう、意味ですか」

 「他言無用だ。彼女自身にも。話すのは君が立松君に今現在、最も近しい存在だからだ。分かってくれるか」

 朱里は頷いた。そして聞いたことを後悔した。

 ────ホモデウス研究のプロトタイプ……それがあの、立松アマネ? 記憶も人格も全て作り物……そんなことって……。

 訓練室に差し掛かった。アマネは一人でサンドバッグに向かって特訓をしている。アマネは菅生によるスパルタ訓練によって肉体的にも精神的にもたくましくなっていた。再現細胞により筋肉量は全く増えないが、身体を動かす技術は凄まじい速度で成長している。

 「かわいそうに……」

 朱里はそう呟いた。あの子は自分がなぜ戦うのか、分かっていないのだ。大人の都合で目覚めさせられ、大人の都合で戦わされ、ありもしない真実を追い求めさせられている。もし、本当のことを知ってしまったら、彼女はどうなってしまうのだろう。

 「……あまり見られても困るんですけど」

 不機嫌そうな声が聞こえた。

 「用があるなら早くどうぞ。無いならどこかに行ってください」

 朱里は意を決し、ドアを開けて訓練室に入る。しかし本当に特に用はないのだ。アマネのグローブに目が行った。

 「……立松さん。少し、スパーリングでもしませんか」

 「はい?」

 朱里はスーツの上着を脱ぎ、パンツの裾をめくった。

 「いつも局長とばかりやってて退屈でしょう」

 「あんなバケモノと比べたらアレだけど、加々美さんそれより弱いよね」

 「どうですかね」

 朱里はノーモーションで鋭い蹴りを放つ。アマネは驚いて身体をよじりそれを避ける。朱里はそれを逃さない。さらに距離を詰めた。

 「ちょっ、ちょっと待っ」

 朱里の拳をアマネはいなした。そしてそのまま懐に入る。しかし逆に朱里がアマネに突進し、アマネを押し倒した。顔面の直前で放った拳を止める。

 「一本。どうしました?」

 アマネは顔を真っ赤にさせた。一丁前に悔しがっているらしい。

 「もう一回!」

 「負けるまで付き合いますよ」

 「じゃあ次で終わり!」

 アマネの諦めがつくのに二時間弱かかった。アマネは体力と集中力が尽き、バランスを崩して床に寝ころんでしまった。一方朱里はまだまだ動ける様子だ。

 「つ、強い……」

 「伊達に警察やってませんでしたよ」

 朱里は自販機で水を買ってきて、ペットボトルをアマネに渡した。

 「あ、アリガトウゴザイマス……」

 「どうも」

 アマネは汗を拭ってペットボトルの半分ほどまで水を空けた。ちらちら朱里のことを見る。

 「……警察、やってたんですか」

 「え?」

 「その、ここに来る前、みたいな」

 「あ、ああ。はい、そうです」

 まさか向こうから話しかけられるとは思わなかった朱里は驚く。スパーリング直後でテンションが上がってるのだろうか。子供だな、と朱里は思った。アマネは話しかけ続ける。

 「そっか……警察ってどうなんですか」

 「どう、とは?」

 「楽しいんですか」

 「楽しくはないですよ。仕事ですからね」

 「じゃあ、充実するんですか」

 「充実……もしてたかもしれません。毎日ちゃんと業務をこなして、チームプレイで。成果が出て、それが認められたら嬉しかったですね」

 「どうして警察になろうと思ったんですか」

 「……やけに聞きますね。目指してるんですか?」

 「姉さんが、なりたいって言ってたから。どういうのなのかなって」

 饒舌なアマネに対し、その記憶は創られたものじゃないか、と朱里はなぜか心が軋んだ。

 「……そうなんですね」

 「はい。腕っぷしが立つから悪いやつをぶっ飛ばしたいって」

 「なかなか……アグレッシブなお姉さんですね」

 「はい。でもそこが可愛いっていうか……ちょっと考えなしな所があるからブレーキにならなきゃ、とか思ってました」

 私の方がずっと子供なんですけど、とアマネははにかんだ。

 「……家族は、大事ですか」

 「もちろん。もう、いないですけど。これ以上大切に思う人も出てこないだろうなって」

 「友達や、恋人は……」

 「この仕事が終わるまではできないですよ」

 「……寂しいとは、思わないのですか?」

 アマネは一瞬固まって、ゆっくり言葉を吐きだした。

 「まだ、思えません」

 その言葉の真意は、朱里には分からなかった。今は思うべきじゃないと思っているのか、それとも自分は思ってはいけないと思っているのか。目的が無くなってしまったらアマネはどうなってしまうのだろうか。何の前触れも無しにふっと消えてしまいそうな気がした。

 ある日、ホモデウスの情報を捕まえ、拘留しようとしたら戦闘になった。このような場合、容疑者が素直に同行する可能性は限りなくゼロに近い。当然戦闘の準備はしてある。

 「ああああああああ!」

 アマネがワイヤーでホモデウスに突っ込む。そのホモデウスは平たく言えばツチノコのような形態をしていて、膨れ上がった腹の部分にはミサイルのようなものが搭載されていた。ミサイルが発射され、アマネの身体を容赦なく襲う。アマネはネイルガンでそれらを撃ち落とし、ホモデウスに張り付いた。銃口を押し付け、釘を連射する。

 「今だ! 撃て!」

 朱里の号令で戦闘部隊も一斉に引き鉄を引く。痛手を負ったホモデウスはアマネを振り落とし逃げようとする。

 「立松さん!」

 地面に落ちたアマネの下へ朱里は走る。アマネはすぐ立ち上がり、腕から刀を抜いた。

 「仕留める!」

 ワイヤーを射出しようとするが、故障して動かない。ホモデウスは路地裏へ入ってしまった。アマネは駆け出す。

 「立松さん! 待ってください!」

 もしかしたら罠かもしれない。朱里もアマネを追う。路地裏に入るすんでのところで、ミサイルの爆風とともにアマネが吹き飛ばされた。朱里も巻き添えを食らう。

 「立松さんッ!」

 腕が吹き飛んだアマネが壁に激突した。朱里は崩れ落ちるアマネを支える。

 「追って……」

 「でも、傷が……」

 「追って! まだ致命傷になってないから! 私死なないの分かってるでしょ!」

 朱里の目には血が溢れるように流れている光景が映っている。しかし第一優先はホモデウスだ。朱里は心配を振り切って路地裏を進む。

 人間態に戻ったホモデウスがそこにいた。夥しい量の血を壁に残し、もたれながら座っている。もう意識が無かった。

 「……終わった」

 朱里は通信機に報告する。

 「報告します。小木カズヒロ、対象を討伐しました」

 速やかに部隊は戦闘の後始末を始める。周囲の病院と連携し救急車が負傷者を運んでいく。

 「立松さん、終わりましたよ」

 アマネはもう腕が回復しているが意識を失ってしまったらしい。いつもインナーで隠されている火傷痕が露出していた。

なんて痛々しい。朱里はそれをなぞった。アマネの身体がびくりと跳ねる。

 「っ、なに!?」

 アマネは反射的に朱里の腕を叩き落とす。

 「ご、ごめんなさい」

 「……あまり見ないでください。人に見せられるものじゃないから」

 「いいえ!」

 朱里は突然大声を出して否定した。アマネは驚く。朱里自身も自分の行動に驚いた。しかし、なぜそうしたかは分かり切っていた。

 「いいえ……」

 ただ、朱里はその言葉しか言えなかった。正しい言葉が、見つからなかった。

 アマネはいつも自分を顧みない。まるで目的への道半ばで倒れようとするように。そして死に場所を探すように、毎日毎日傷ついている。そしてその傷を一人で抱え込んでいる。痛々しい。だから朱里はアマネが気に食わなかった。

 「何でそこまで……一人でいたがるの……」

子供なのに。隣にいるはずの自分すら遠ざけて。痛々しい子供。そこまで痛々しくさせているのは大人。そんな大人の側に自分が立っている。そして何よりアマネに対し何もしてやれない自分が、朱里は一番気に食わなかった。

 「すまないね、加々美くん」

 菅生はいつも謝る。戦いすぎてアマネの身体機能がおかしくなった時だ。

 「彼女にどう接すればいいか分かりません」

 朱里がそう言うと、菅生は重々しく頷いて、タバコの煙を吐いた。

 「僕も分からん。ただ、僕は地獄に落ちるだろうな、とは思うよ」

 「なぜですか」

 「彼女に過酷な運命を強いているのは僕と明神さんだからだ。明神さんはもう地獄に落ちているから。僕もそのうち……そうなる」

 「…………」

 「どのみち敵に狙われるだろうから、なんて後から理由付けしたところで何になるんだ、と思う毎日だよ。彼女のために死ねるなら本望だ」

 朱里は堪え切れず聞いてしまった。

 「どうして、そこまで」

 「……さぁ、どうしてかな。自分の恥を一番きれいに雪ぐ方法がそれだからかもしれない。そもそも僕はもう終わってる身だから。生きてるのが不思議なくらいだ」

 菅生は義足を床にコンコンと鳴らした。

 「地雷を踏んで生還した時、何かに生かされてると思った。それと同時に、死に場所はここじゃないとも。明神さんについてきて、やっとそれが分かった気がする」

 気分だけはいっちょ前に父親だよ、と菅生は呟く。

 「僕らは立松アマネを一人にさせないために集められた。僕が父親役で、加々美くんが姉役。他のメンバーは仲間。僕らは立松アマネを守るための肉壁なんだ。彼女はそれだけする価値があると思う。敵の手に落ちた場合の危険性、そして彼女の尊厳。二つの意味で」

 菅生は朱里を見た。

 「加々美くんは、彼女のために死ねるかい」

 朱里は即答した。

 「嫌です。彼女のために死ぬのは私の役割ではありません。生きて、あの子が何処に行くのか見届けたい。そう思ってます」

 あの子は一人だから。暗闇の中、消えそうなランタンのように心もとない。せめてそれが気まぐれな風で消えない様に見守りたいと思うこの感情は、何なのだろうか。

 朱里の言葉に菅生は笑って、タバコを消した。

 またある時の戦闘。猿を怪物にしたかのような見た目の異界人へ、ネイルガンを撃ちまくるアマネ。弾が尽きる。次の弾倉を装填。しかしもたつき、一瞬遅れる。

 「しまっ────」

 異界人はしなやかに動き距離を詰めた。攻撃が来る。朱里は考える前に飛び出していた。

 「アマネさん!」

 朱里はアマネを突き飛ばす。直後、異界人の爪がわき腹をえぐり取った。一瞬の空白の後、焼けるような痛みが爆発する。

 「加々美さんッ!!」

 アマネは絶叫した。朱里の姿が姉と重なったからだ。刀を抜き、全体重を乗せ突き刺す。異界人が叫び声を上げ、アマネに向き直った。毛むくじゃらの腕を叩き切る。そして腹を切り裂いた。異界人は足をもつれさせ、這いつくばりながら逃げようとした。そうはさせない。アマネは異界人の首にしがみつきながら刀でそこを幾度も突き刺した。しかしアマネは目の前に必死になりすぎて、背後から襲うとげの生えた尾に気付かない。

 「アマネ……さん!」

 朱里が照準を合わせ、尾を弾倉一つ分で引きちぎった。アマネは目を突き刺す。ついに異界人は動かなくなった。

 「……どうして」

 異界人の亡骸の上で、ゆらりとアマネは立ち上がる。朱里のことを睨んだ。

 「どうして庇ったりしたの!?」

 泣きそうな瞳で朱里を見ていた。そんなアマネの目を朱里は初めて見た。

 「……目の前で、危なかったら、カバーするのが、仲間ですよ……」

 息も絶え絶えになりながら言葉を紡いだ。アマネは言いたいことを飲み込んで、上着を脱いで破き、朱里のわき腹の上に巻いた。

 「すぐ手当てしてもらえるから、今はこれで我慢してください」

 「……はい……」

 朱里は少しだけ後悔した。痛すぎる。息を吸うのにも痛すぎて上手くできない。痛すぎて気も失えないから楽になれない。寒気がしてきた。

 「私は痛み、感じないって知ってますよね。それに怪我したってすぐ治るんだから、こんなことしたって……」

 「無駄って、言いたいんですか……?」

 アマネは頷いた。朱里は笑ってしまった。

 「なんで笑うの? 真剣なんだけど」

 「ごめんなさい……でも、分かってないなって……」

 アマネが不機嫌そうな顔をする。

 「見てる方も……痛いんですよ……」

 その時、担架と共に救急隊員が駆けつけてきた。朱里はそこで安心してしまったのか、意識のブレーカーはふっと落ちたのを感じた。

 朱里は緊急手術の後、一晩中眠った。次に目覚めたのは戦闘から二日後の昼間だ。

 目覚めると、傍らの椅子にアマネが座っているのが見えた。文庫本をめくっている。

 「あ、起きた」

 アマネは本を閉じると、枕元のナースコールのボタンを押した。ふわっと清々しい匂いが朱里の鼻孔をくすぐる。

 「……おはよう、ございます……」

 「声ガッサガサですよ。おはようございます。もう昼だけど」

 朱里は咳払いをした。アマネが水を渡してきて、それを飲み干す。

 「すみません、ご迷惑を……」

 「良いですよ、別に。迷惑なんてこれっぽっちも思ってないから」

 アマネが冷蔵庫からジュースを取り出して飲み始める。朱里はそれを羨ましそうに見つめる。朱里は甘いもの好きだった。身体が甘いものを欲している。アマネは意地悪に笑った。

 「病人はダメー」

 「あのねぇ……」

 「やめてよ、そんな目で見ないでよ。怒られるの私なんでヤですよ」

 「……ちっ」

 「え? 舌打ち?」

 「今度またスパーリングしましょう」

 「絶対腹いせじゃん……起きたら検査するみたいなんで、それ終わったらあげますよ」

 朱里はまた笑ってしまった。アマネは心外そうな顔をする。

 「何?」

 「立松さんって、案外子供らしいところがあるんですね」

 「……そうですか?」

 「いつも大人ぶってたので、ムカついてました。まだ十六歳なのにって」

 「む、むかついてたって……子供ですよ、そりゃあ。こんなことに付き合わされてるけど」

 アマネは不貞腐れたように唇を尖らせた。

 「私は、あなたをこんな仕事に関わらせるのなんて反対なんですよ」

 アマネは驚いたように朱里を見た。

 「だってあなたは子供で、精神的に未成熟で、訓練もされていない。そんな不確定要素が作戦に入っていたら邪魔。そう何度も局長に言いました」

 「……でしょーね」

 「でも、局長は言うんです。あなたはこの世界の一番の被害者。だからこそ関わって、真実を知らなければいけないって。そうだとも思います」

 アマネは意外そうな顔をして黙った。

 「確かにあなたのおかげで私たちは大幅に強化されました。あなたが居なかったら勝てないのは事実です。あなたに戦う意思があることも分かってます」

 「……何が言いたいの」

 「あなたに情が湧きました」

 朱里はアマネを見つめた。アマネはぱちくりと瞬きする。

 「むやみに傷ついてほしくありません。目の前では特に」

 「……治るし。痛くないし」

 「関係ありません。私がどう思うかだから」

 「わ、私の勝手でしょ……」

 「ええ、そうでしょうね。じゃあ私だって勝手にします。近くで見てるから。あなたを。そうでしょ、立松さん」

 アマネは頭を掻いた。照れくささを隠そうとしているように、朱里には見えた。

 「そんな、もん?」

 「ええ」

 「……呼び方、どっちか統一して」

 小声でアマネが言う。

 「呼び方?」

 「名前か、苗字。混乱するから」

 朱里はまた笑ってしまった。子供で、安心した。

 「約束ですよ、アマネさん」

 「……うっさい、朱里さん」


 「朱里さんは、アマネのこと好きなんだね」

 「そうですかね」

 ひとしきり思い出話を終えた後、真湖はそう言った。朱里は考え込む。

 「いや、好きじゃないですよ。生意気だし、言ったこと聞かないし、私のこと便利屋か何かだと思ってるし、何より……」

 「何より?」

 「やっぱり、傷つきに行くんですよ」

 朱里は寂しそうに呟いた。

 「そういう人なんです、きっと。どこかで自分について諦めてる。道半ばで倒れたいって思ってるんです。家族の下へ、行きたいんですよ」

 つなぎとめる楔になりたいとは、思っているのだけれど。そう心の中で付け加えた。アマネはそう言ったとしても、ぶっきらぼうに、やさしく、その手を除けてしまうのだろう。

 「結局、人は誰かの代わりにはなれないんです」

 「朱里さん……」

 「せめて……」

 朱里は真湖に向き直った。

 「米内さんは、アマネさんを諦めないであげてください。恨んでもいい。憎んでもいい。だから、どうか……」

 真湖は何と言おうか迷ってしまった。すぐ言葉に出ないということは、つまりどうするか決めきれていないということだった。真湖はまだ、自分の置き場所が分からなかった。扉が開いた。八角が立っている。

 「来い」


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