9.
その日は教育実習生として、
昔なじみの、近所に住んでいたお姉さん
---知立まもり(ちりゅうまもり)さんが学校にやってきて賑やかな事になったくらいで、
あとはいつも通りの日だった。
藍色の髪を結い上げた知的美人のまもりお姉さんは、
美人の教育実習生ということで学校中の話題となっていた。
仕事で家を留守にしがちな両親がいない間、
よく面倒を見てくれたので、
俺にとっては実の姉のような存在だ。
俺も昔はまもねーちゃんと読んでその後ろをついてまわっていたりしたなぁ。
朝に村雨が言っていたことが気になるなぁと思いながら、一人の帰り道を歩いていた。
----------結局ほのかは学校に来なかった。
今日はうやむやのまま話が出来なかったが、
明日は、なんとかほのかと話をしないとな・・・と、
そんな事を考えながら歩いていると、少し荒れた空地の横に出た。
懐かしいな、中学生の頃はここで久我斗の兄貴と組み手をしながら鍛えてもらったなぁ・・・と思い出す。
兄のいない俺は久我斗の兄貴を、兄貴、兄貴と呼んで慕って、
兄貴がやる事の真似をしたりしてたっけ。
そのうち兄貴が俺に稽古をつけてくれるようになって、
俺が兄貴にボコボコにされる姿を、
ほのかと明日菜が応援してくれてたんだよなぁ。
県外の大学に進学することになった兄貴がこの街を離れるまでは、
結構な頻度でここで兄貴と組み合ったものだ。
「---------------しけた顔をしてるじゃないかショウヤァ」
聞き覚えのある声だ。
この声、そして相変わらず人の名前を間違える癖!
・・・昨日電話越しに聞いたばかりだ。
見上げればそこには思い描いた通りの男・・・いや、漢が、廃用された電信柱の上に立っていた。
-------危険なので良い子も悪い子も真似しちゃだめだぞ!!
トレードマークのフルピンクのサングラスに、
茶色い髪を後ろへと撫で上げ、青いスーツをラフに着崩した長身痩躯。
「ロジカルバッドスピード脚部限定ァ!---------迫撃のLV1ブリッツゥ!!」
そう叫んで跳躍し、こちらに右足を突き出した蹴りを繰り出してくるのは------------
「ショウキチだっていってんでしょう・・・久我斗兄貴ィィ!」
邪魔になる鞄を即座に地面に放り、
両掌に意識を集中して、対空迎撃に突き出し正面から受け止める。
---------漢と漢のぶつかりあいに、回避なんて言葉は無ェといったのはこの人の教えだ
ズシリ、と身体ごと地面にめりこむかと思うかのような重量のある一撃。
久我斗兄貴は人体の“気”の流れをコントロールする達人で、
身体を流れる気を操作することで、
こんな、岩をも砕き鉄板を貫くような一撃を繰り出すのだ。
ロジカルバッドスピードと叫ぶのは兄貴が気の流れをコントロールするときのルーティンとの事で、兄貴曰くこういうのは言葉に出してイメージするのが重要、らしい。
俺にはよくわからないが。
ちょっとかっこいいとか思ってないよ・・・俺は厨二病じゃないからね、本当だよ?
「ぐぬぬ・・・ッ久しぶりのご挨拶なのに手加減なしとは大人げなくないですかね・・・エェ?」
兄貴の蹴りを受け止めはしたもののミシ、メシ、と身体が軋むのを感じる。
「甘えてるンじゃねぇぞショウヤァ!ご挨拶を受け止めたことはまずは褒めてやろう-----だが足りない、足りないぞぉっ!!」
そう言いながら、右足を受け止めている俺の両手を左足で蹴りつける兄貴。
「うぉぉぉっ?!」
左、右、左、右。
徐々に加速しながら交互に繰り出される蹴りに、
受け止めていたはずの両腕は耐えきれずに防御の姿勢を取るので精一杯だ。
両腕で正面をガードした俺に、
俺の正面斜め上に滞空した兄貴から踏みつけのような連続蹴りが容赦なく襲い掛かる。
「お前に足りないもの、それは・・・根性、不屈、性欲、積極、下心、色気、想像力!」
耐えきれずにガードを崩された俺は兄貴の大ぶりな蹴りをモロに喰らい、
空地の方角へ飛ばされて地面をゴロゴロと転がる。
「そして何よりも-------------勇気が足りない!!!!」
大部分はガードしたけど、
最後の一撃はモロに入ったので全身が痛いぞ。
「ゲホッ、ゲホッ・・・ちょっとは手加減ってものをしてくれよ・・・」
そういいながらよろよろと立ち上がり、兄貴の方を見る。
「俺とお前が使う辞書に手加減なんて書いて無ェ、そうだろ?・・・帰ったぜショウヤ」
そういいながら右手の人差し指でピンッ、とサングラスをはね上げ、
その下の目で俺を見て笑う久我斗兄貴。
「それがいい大人の言う事かよ、まったく。・・・おかえり兄貴」
変わらない様子に笑いながら、俺もあの頃と同じように返事を返すのだった。
その後受けたダメージに耐えきれずに、
盛大にぶっ倒れたので兄貴に助け起こされた後、兄貴と一緒に帰路を歩いていた。
あいさつ代わりに全力の蹴りをぶち込んでくるのはどうかと思う。
だがまぁこういう人だしな・・・漢は拳と拳でぶつかってこそとか言っちゃう人だしな、
ぶつけてくるの足だけど。
「けどどうして帰ってきたんだ兄貴、
まだ大学を卒業したわけじゃないんだろ?
あ、出来が悪すぎて中退したとか?」
「馬鹿いえ!俺はこう見えて品行方正成績優秀なんだ。
・・・いや、もう単位取り切ったから暇なんだよ」
そういえばこの人生徒会役員やら生徒会長やらを歴任したりたしかに成績もよかったな・・・。
暫くはこの街にいる、という兄貴の言葉に、
また兄貴と組み合えるな、と心がオラ、ワクワクすっぞしてきた。
「ところでショウヤ、お前ほのかちゃんとはうまくやってるのか?」
唐突に兄貴に聞かれて、答えに言い淀んでしまう。
サングラスの奥の瞳は見えない。
「え?あぁ、おう!相変わらずだぜ?」
じっと無言でこちらを見る兄貴に、思わず言葉が出ない。
「----------そうか、それならいい」
兄貴がニッと笑ったので、緊張が解けた。
「・・・あぁ、そうだこれを言いに来たんだけど忘れるところだった。
ショウヤ、お前暫く夜に出歩くなよ」
そう言いながら俺に背を向ける兄貴。
あ、兄貴はそっちの道を歩いていくのね。
「ん?夜なにかあるのか?」
「あぁ。隣町の悪ガキどもがこっちの街に流れてきてるようでなぁ。
お前んトコのサムライ坊主や、
デカいカワイコちゃん一味が頑張ってる。
俺も少しばかり手を貸してやってはいるが落ち着くまではもう少しかかりそうだ。
まぁ大型連休までにはなんとかするさ」
それまでは夜はおうちでいい子にしてな、というと背を向けたまま手を振り、歩き去っていく兄貴。
隣町の悪ガキ・・・か。
村雨の言っていたことに繋がってるな。
浮気もそうだけれど、時々いなくなっているほのか。
・・・なんだろう。なんか嫌な予感がするなぁ。もやもやする。何が、とは言えないけど。
明日こそ、ほのかに話を聞こう。
--------相変わらず嘘が下手だな、ショウキチ
そんな兄貴の声が聞こえた気がして振り返ったが、そこにはもう兄貴の姿はなかった。