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公衆の面前での婚約破棄を中断させたのは王子の……

作者: たなか

「イザベラ公爵令嬢! 今日この場で君との婚約は……」



 壇上のアラン王子がそこまで口にしたところで、異変が起こりました。ステージの近くにいた生徒達がことごとく眉間にしわを寄せ、鼻をつまみ、膝をつき、苦しみ唸りだしたのです。あっという間に会場にいた全員が強烈な悪臭に見舞われることになりました。



 王子の隣で彼の腕にしがみついていたルイズ嬢は、白目を剝いて口から泡を吹き気絶しています。



「くさいっ! くさすぎるっ! ……それに目が染みてチカチカする! ……なんだこの刺激臭は! ……まさか敵国スパイによる嫌がらせ行為か!?」



「鼻がもげてしまいそうですわ! ……100年間熟成させた生ごみ畑のようです……!」



 ああ、これが魔女の呪い(・・・・・)なのですね。私は、悲劇とも喜劇ともつかぬこの状況に、ハンカチで鼻と口を塞ぎながら思わず笑みを漏らしてしまいました。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 王国ではここ数百年の間、一度として離婚や婚約破棄が行われたことはありませんでした。なぜなら、古くから伝わる一つの恐ろしい伝承が、そのような行為を固く禁じていたからです。



 言い伝えによれば、遠い昔、この国の王子と婚約を交わしていた一人の聖女がいたそうです。ですがその王子は別の女性に恋をして、聖女は無慈悲に捨てられてしまいました。彼女は深い悲しみと燃えるような怒りのあまり、禁呪を扱う魔女に身を落とし、王国に生まれる全ての人々に対して永遠に解けることのない呪いをかけたといいます。



『神の前で夫婦の契りを交わしたにも拘らず、正当な理由もなくその誓いを破ったものには、身の毛のよだつような災いが降りかかり、二度と誰からも愛されることはなくなるだろう』




「ふっ……そんな子供騙しの安っぽいお伽話、今時誰が信じているものか。婚約を破棄されたくないばかりに、そんなカビの生えたような昔話を持ち出して脅そうとするなんて、みっともないにもほどがあるぞ、イザベラ! せめて涙を流し取り縋るような可愛げがあれば、側妃としてやったものを」



 私を見据える王子の蒼い両目には、軽蔑の色がありありと浮かび、その口から放たれる言葉は氷のように冷え切っていました。



「……どうしても、考えを改めては下さらないのですね……」



「当り前だろう。俺はルイズという人生を捧げるに相応しい相手と出会い、真実の愛を見つけた。その時点でお前との形式だけの婚姻には何の価値もなくなったのだ。明日の卒業パーティーで、お前との婚約破棄とルイズとの新たな婚約を宣言するからな!」



「……そうですか……分かりました……」



 これ以上何を言っても無駄だと判断した私は、一切泣いて取り乱すこともなく、素直に引き下がることにしました。彼に飛び切りの天罰が与えられることだけを心待ちにして。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「殿下っ!! ご無事ですかっ!? 今お助けを……臭ぁっ!!」



「ダニエル!! どうしたっ!! 早くアラン様を……ふぐぅっ!!」



 明らかな異常事態に際し、近衛兵のダニエルとゴードンが王子の救出に向かおうとするも、その場で地べたに這いつくばってしまいました。



「何をしているお前達!! これは一体何の騒ぎだ!?」



「「「「「くうぅぅ!!」」」」」



 一人だけ何も感じていない王子が口を開くのと同時に、幾人ものくぐもった悲鳴が不協和音を奏で会場に響き渡ります。



「……殿下っ! ……大変失礼ながら、どうか絶対にお口を閉じたままで、屋外に退避してください……」



 この不快な悪臭の発生源を突き止めたダニエルは、不敬な振舞いを気にする余裕もなく王子の口を半ば強引に手で塞ぎ、外へ引き摺るようにして連れていきました。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 その後、最終的にアラン様は王宮の離れへと幽閉されることになりました。文字通り『臭い物に蓋をする』ことを王家は選んだようです。給仕係も、食事中は臭いに耐えきれずに一旦避難するのだとか。



 本人が呪いによる悪臭を感じないのは、餓死しないですむようにというせめてもの慈悲なのか、より長く苦しみを味わうように仕向けるための底知れぬ悪意なのか、私には分かりません。



 きっと、これから生涯誰にも愛されることはないでしょうし、彼の愛を受け止める殊勝な女性も現れないでしょう。どんなに甘い言葉を囁こうとしても、熱い口づけを交わそうとしても、耐え難い臭気に全て邪魔されてしまうのですから。



 そういえば、ルイズ男爵令嬢も、卒業パーティーでの一件以来、極度の男性恐怖症になってしまい、自ら修道院での生活を希望したそうです。



 一方、王太子妃教育を終えていた私は、第二王子のクリストファー様と婚約することになりました。とても優しく思いやりのある穏やかな方で、満ち足りた幸せな毎日を送っています。



 おそらくこれからまた数百年は、神聖な愛の誓いを軽々しく破ろうとする愚かな人間は現れないでしょう。ある意味アラン様の功績といえるのかもしれません。彼こそ新たに語り継がれていく説話の主人公なのですから。



 巷では親が悪戯をする子供達に、こう言い聞かせているそうです。



「約束を破ったら、バカ王子のように口が臭くなるよ!!」と。

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― 新着の感想 ―
[一言] 婚約破棄令嬢はこうやって呪いをかけていけばいいのか?
[一言] 「おーじちゃんお口クサーい」 某入れ歯洗浄剤のCMのフレーズを思い出すオチでした。
[一言] 生物兵器並みの臭いを発する『スメル男』や、腋臭(の残り香)で部屋を追い出される『陸軍中野予備校』を思い出してしまいました そこまでじゃなくても、同席すると挙動不審になるレベルで口臭がする人…
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