表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

猫のバスの話/悪意

作者: しまうま

 猫のバスというものがあるらしい。

 これは一度乗ってみたい。

 話によると、そのバスは山奥を走っているのだという。


 そういうわけで、僕は黙々と山道を歩くことになったのだった。


 まばらに生えた高い木と、ねっとり黒く光る地面。

 どこか人工的な雰囲気の林を、舗装された道路が突っ切っている。

 曲がりくねりながら。


 民家はほとんどない。

 この景色が数十分続いている。


 土砂崩れだろうか、掘り返したように積みあがった土の山もある。

 そんな中、それらしい足跡を見つけた。


 大きい。

 さすが猫のバスだ。


 しっかり確認して、通り過ぎる。

 ふり返って、地面についた足跡が間違いなくそこにあることをもう一度確認して、うなずく。

 間違いない。


 それからしばらく歩くと、バス停のベンチがあった。

 目の細い、人の良さそうなおじさんがちょこんと座っている。


 会釈をして、バス停の看板を確認した。

 サビてペンキははがれ、時刻表の文字もはっきりしない。

 猫のバスが来る時間は、書かれていなかった。


「バス、何時に来るんでしょうか?」


「さあ……」


 人の良さそうなおじさんはちょこんと座ったまま首をかしげた。


「このへんは山奥だからねえ。なかなかバスは来ないよお」


 やけに間延びしたしゃべり方だった。


「バス、乗るの?」


「あ、はい。乗ろうかなって……」


 猫のバスのことを聞こうかと思ったが、やめた。

 なんとなく、聞かないほうがいい気がしたのだ。


「ふうん」


 とおじさんはうなずいて、黙った。

 少しして、おじさんが言った。


「君ねえ、猫のバス、探しに来たんでしょう?」


「えっ、猫のバスですか?」


 反射的に聞き返していた。


「違うのお?」


 おじさんのほうから猫のバスの話を切り出してきてしまった。


 その瞬間、僕のほうから聞かなければならなかったのに、という思いが湧き上がってきて、なんだか罪悪感のような、自分が何かをごまかしているような気分になって、そうするともう僕は、猫のバスについてはしらを切りとおすしかなくなってしまうのだった。


「違います。猫のバスって何ですか?」


「ふうん」


 おじさんはつまらなそうにうつむいた。

 そして、ぽつぽつとしゃべり始める。


「猫のバスはね、大きな猫なんだよお。ぐるぐる山の中を走り回ってるんだ。人間なんか、乗せるつもり、ないの。わかるでしょう?」


「わかるでしょう?」と聞かれたので、僕はあいまいにうなずいておいた。


「猫はね、人間なんか乗せたくないの。時刻表通りに動いたりもしない。そういうものなの。猫だから」


 なんとなく、わかるような気がする。


「でね、この間、若い男の人が来たんだ。猫のバスを見つけに」


 僕は話を聞いていることを示すために、うなずいた。


「長いことこのベンチで待っていて、そうすると、時刻表通りには来ないと言っても、ぐるぐる回っているわけだから、来るんだよね。猫のバス」


 やっぱり来るんだ、と僕はまたうなずいた。


「その男は猫のバスを見つけるとね、捕まえようとしたんだ。シッポをギュッと握って」


 果たしてそんなやり方で捕まえられるのだろうか、と思う。


「かわいそうにねえ、猫のバスはすっかりおびえてしまったんだ。猫だからね。乱暴なことをされると怖いよねえ。小さくなって、ガタガタ震えて」


「それはかわいそうですね」と僕は言った。


「そうそう」とおじさんはうなずいた。


「だからね、その男、埋めたの」


 おじさんはポケットからピストルを取り出した。

 銃口の先で、掘り返した地面を指す。


「またこんなことがあっちゃいけないからね。だから君にも聞いたんだ。猫のバスを探しに来たのかって」


 おじさんの持っているピストルは本物に見えた。

 埋めたという言葉も本当のことのように聞こえた。


 偽物の安っぽさも、リアリティーを増そうとするわざとらしさもなくて、ただ当たり前にピストルで若い男を殺して埋めたのだという、ふとした拍子に笑いだしてしまいそうな、奇妙にバランスの取れた現実味を感じて、僕は何も言葉が出てこないのだった。


 おじさんが立ち上がる。

 少しでも動いたら、ピストルが爆発するような気がして、僕は息もなるべくしないようにして、じっと座っていた。


「でも君が猫のバスを探しに来たんじゃなくてよかったよねえ」


 おじさんは、僕の周りをぐるりと一周する。


「と、思ったんだけど。そんなことあるかなあ?」


 背後からおじさんの声が聞こえた。


「何が、ですか?」


「偶然。こんな山奥のバス停に、立て続けに若い男がふたり。関係ないなんて、あるのかなあ。普段はだあれも来ないのに」


 関係ないなんてこと、あるわけがない。


 先に来た若い男のことを、僕は多分知っている。

 サークルの先輩。

 猫のバスの話を教えてくれたひとだ。

 最近顔を見せていない。


「君、うそをついていないかなあ?」


「いや、それは……えっ?」


 説明をしようとして、身体が動かない。

 見ると、ベンチの背もたれに、僕の手首が針金で括り付けられているのだった。


「気がつかなかったでしょう?」


 おじさんが言う。

 嬉しそうな声だ。

 身体が固定されているので振り向けない。


「私ねえ、こういう仕事をしてたことがあるから。慣れてるんだよねえ」


 何に慣れているのだろう。


「仕事って」


「うん。捕まえて、本当のことを教えてもらう仕事。無理矢理。君、やっぱりうそをついてるでしょう? 困るよねえ。こうやって何人も人が来たら。猫のバスがかわいそうでしょう? 元を絶たないといけないよねえ」


 おじさんが何をするつもりなのかわからない。

 力任せに立ち上がろうとしても、針金が食い込むばかりだ。


「心配しなくていいんだよお。もちろん痛いけど、いまだけだからね。痛かったことは思い出せなくなるんだから。何にも考えられなくなるんだから。大丈夫だよお」


***


 目が覚めた。

 まだ頭がぼんやりしている。

 バスはまだ目的地についていないらしい。


 値段の表示が切り替わる。

 町の中心部に近づくほど、乗客が増えていく。


 バスから降りて、帰る途中、ふと思いついてスーパーへ寄った。

 カップラーメンをカゴに詰めて、会計を済ませる。


 ひどく疲れていた。

 もう夕食はこれでいいだろう。


 明日の講義は何だったか。

 休んでしまってもいいかもしれない。


 帰りついてから、カップラーメンを食べただろうか。

 よく覚えていない。

 気がついたら眠っていた。


***


「やあ、来たよお」


 おじさんがドアの向こうに立っていた。

 このひとはおじさんだ。

 僕の……知り合いだ。


「こんにちは」


「こんにちはあ。準備に時間がかかったんだよねえ」


 と玄関に入り、部屋の中を見回す。


「しばらく泊まってもいいかなあ?」


「もちろんいいですよ」


「そう? 悪いねえ」


「いえ。僕も普段……」


 頭が回らない。

 何をしゃべろうとしていたのだろう。


「普段お世話になっている」


「そう、普段お世話になっていますから」


「ふうん。悪いねえ」


 おじさんはうなずいて、部屋に上がった。

 遠慮する様子はない。


「さて、サークルで猫のバスの話をしたのは8人だったよねえ」


 ノートを広げながら言う。


「あ、はい。8人です」


 僕はうなずく。


「そのうち3人はもう片付けたから」


 おじさんが線を引いていく。

 ノートに書かれているのはサークルのメンバーの名簿らしい。


「残り5人。どこまで話が広がっているかを確認しながらだから、時間がかかっちゃうよねえ」


 おじさんが困ったねえというふうに目を細める。

 僕も同じ顔をした。


「だからねえ、君にひとりずつ呼び出してもらおうと思って」


「あ、はい。もちろん大丈夫ですよ。ひとりずつ呼び出します」


「悪いねえ。あ、そうだ」


 おじさんはいいことを思いついたという顔で、僕に言う。


「呼び出した女の子は好きにしていいからね。どうせ殺すんだから」


「あ、はい」


 どうせ殺すんですもんねと僕もうなずく。

 そして、スマートフォンを取り出して、誰から連絡をするか考えるのだった。


***


 窓の外の景色が動いていく。

 バスの窓側の席に、サークルの女は座った。


 サークルの女のことは苦手だった。

 つねに何かをアピールしている。

 しかし、それが何なのかがよくわからないのだった。


 サークルの女が手を動かして、ブワッと髪がなびいた。


「ねえねえ、楽しみだねえ」


 とサークルの女が言った。


「楽しみだねえ」


 と僕は答えた。


「猫のバス、本当にいるのかなあ?」


 嬉しそうに言う。


「猫のバス、本当にいるのかなあ」


 そうしておしゃべりするうちに、バスがあのバス停に停まった。

 降りたのは僕とサークルの女だけだった。


「あはは! 山奥だねえ」


 何が嬉しいのか、そんなことを言ってはしゃいでいる。

 やけに間延びした声に、なぜだか胃もたれのような、気持ちの悪さを感じる。


「ああ、そうだ、好きにしていいんだった」


 僕はサークルの女を追いかけて髪をつかみ、引きずり倒す。


「どうせ殺すんだからね」


 サークルの女がけたたましく笑っている。


***


 僕は穴を掘っていた。

 穴の外ではおじさんが、つまらなそうな顔で僕のことを眺めている。

 ときどきピストルを取り出して、首をかしげながら構えてみたりしている。


「穴を掘らなきゃいけない」


 おじさんが言った。


「穴を掘らなきゃいけない」


 僕はうなずいた。


「全員殺したからね。君が最後だ」


「全員殺したから。僕が最後ですね」


 大きくうなずいた。


「しっかり埋まるように、深い穴を掘らないといけない」


「しっかり埋まるように、深い穴を掘らないといけませんね」


 おじさんはちょっと目を細めて唇を尖らせる。

 残念そうな顔に見えた。


「目的を見失ってはいけない。区別しなければならない」


「目的を見失ってはいけない。区別しなければならない」


「猫のバスを守るという目的は、もう果たしているんだ。君は猫のバスの話を広めたりしないだろうからね」


「猫のバスを守るという目的は、もう果たしている。僕は猫のバスの話を広めたりしないから」


「だから君を殺すのは猫のバスとは関係ないんだ」


「だから僕を殺すのは猫のバスとは関係ない」


「君はもう人間ではない」


「僕はもう人間ではない」


「言われたことを繰り返すだけの、ただのオウムだ」


「言われたことを繰り返すだけの、ただのオウム」


「オウムが人間の真似をしているんだ」


「オウムが人間の真似をしている」


「人間じゃないから、殺してもいいんだ」


「人間じゃないから、殺してもいい」


「殺さなくてもいいじゃないかと思うかもしれない」


「殺さなくてもいいじゃないかと思うかもしれない」


「もちろんそうだ。だけど、『殺さなくてもいい』というのは、『殺してもいい』ということなんだ」


「もちろんそう。だけど、『殺さなくてもいい』というのは『殺してもいい』ということ」


「どちらでもいいから、殺すんだ」


「どちらでもいいから、殺す」


 おじさんは深いため息をついた。


 僕はスコップから手を離してぐっと腰を伸ばした。

 それからまたスコップを握りしめて、勢いよく振り下ろした。

 しっかり埋まる、深い穴を掘らないといけない。


 おじさんはその様子を、穴の外から、ひどく残念そうに眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 繰り返すだけの生き物になってしまった視点人物が、ひたひたと怖い……。 猫のバス、そんなの本当にいるんでしょうか。すべての発出点のはずなのに、いてもいいし、いなくてもいいような気がします。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ