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一樹の陰  作者: みなきら
一樹の陰一河の流れも他生の縁
6/25

古の渾沌の神

「上手くは行かなかった?」


 紫蘭の問いに、天狐は静かに瞬きをし、ゆっくりと頷いた。


「我らの力は主様にとって害にしかならなかった。」


 本来、国常立尊の持っていた地鎮の力は、静にして陽の力。それに対して分け与えた風雷の力は、動にして陰の力。


「相反する力に主様の御身は耐えられなかった。しかも、更にまずいことに、主様は《知智の実》を口になさっていました。」


 善悪を識る木の実は、盛者必滅を悟らせる実。


 国常立尊は時じくの香ぐの木の実を与えられる事で、滅びと常しえをその身に取り込んでしまった。


「強大な重の力は時をも歪ませます。主様の御身はその強大な力に耐えられなかった。そして、八岐大蛇が生まれたのです。」


 ◇


 断末魔の叫びを上げて、国常立尊の姿が変わっていく。


 漆黒の瞳は見開かれ、首筋や腕には血管が浮き上がる。そして、それに沿うようにして赤黒く唐草の痣が体全体に広がっていく。


「国・・・・・・常、立・・・・・・?」


 産霊をしていた神皇産霊神は、七転八倒、悶絶躄地の有様の国常立尊の様子にただ呆然と立ち尽くしていた。


 国常立尊の力は暴走し、やがて黒い靄とパリパリと紫の稲妻がその身から溢れ出し、その端が先分かれした。


「危ない――ッ!!」


 咄嗟に風狐が庇わねば、恐らく神皇産霊神は国常立尊から生まれでた怪物の最初の犠牲者になっていただろう。


 国常立尊から溢れ出た黒い力は曼珠沙華の花びらのようにして、あるものは外へ、あるものはうちへと先別れし、辺りで力尽きている八狐九曜の神威や、国常立尊の残された神威を引き剥がさんと襲い始める。


「風狐、お前・・・・・・。」


 しとどに血を流しながら、風狐が「どうかお逃げくださいませ」と告げて力尽きる。


「風狐ッ!! しっかりおしッ!!」


 天狐はその様子に我に返ると、神皇産霊神の身を無言のままに口に咥えると、踵を返し、その場から全速力で走り出した。


「天狐、何をするッ!!」


 しかし、それに答えることなく、天狐は国常立尊から放たれた黒い大蛇に追われながら、必死に逃げる。


 右へ、左へ、再び右へ――。


 同じようにして多くの八狐九曜が逃げ惑い、ある者は間に合わず、ある者は他の者に蹴落とされるようにして、次々に黒い大蛇に捕らわれると、その赤黒い喉に飲み込まれていく。


「天狐、上にお昇り! ()()は時じくの香ぐの木には寄り付かぬはず。」


 それを聞いてか聞かずか、他の八狐九曜も時じくの香くの木、あるいは邸を目指して、一斉に上へと逃げ出す。


 ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や。


 天狐の他、地狐、赤狐、野狐を追って、襲ってきている四頭を除けば、国常立尊から神威を引き剥がして食い荒らしている一頭、高皇産霊神を追って心の太柱を登ろうとする一頭、氷結の力を手にした龍の君と艶狐を喰らおうとしている二頭の姿があった。


 神皇産霊神は時じくの香ぐの木の下に着くとようやく天狐に降ろしてもらい、結界を強化する。


 離れの宮は廃墟とかし、残されたのは天狐達のいる辺りと黄金色に輝く心の太柱ばかり。あとは「蠢く黒」と「流れ出る赤」だった。


()()は、一体、何なのです?》


 天狐の問いに神皇産霊神は首を横に振り「分からぬ」と答える。


「数多の神を産霊してきたが、このような事、初めてだ・・・・・・。先程、結界は張り直したが、それもいつまで持つか・・・・・・。」


 と、そこまで話していた声は耳を劈くような大轟音に掻き消された。


 ()()()()()()()()()が目を覚ます。


 途端に背筋が凍るようにゾクリとして、天狐は耳を後ろに倒し、神皇産霊神は立ち上がって()()を見た。


 八頭大蛇は爆風に吹き飛ばされるようにして八方に倒れ、紫の稲妻を帯びながら、のっそりと起き上がった男にひれ伏すようにして、のろのろと(とぐろ)を解く。


《主・・・・・・様・・・・・・?》


 その背格好は国常立尊のものに変わらない。


 しかし、開かれた目は白目の部分は赤く染まっており、虹彩は金眼銀眼に変わっていて、額には二本の角が生えている。


 異形のモノ――。


 神皇産霊神はポツリと「彼が霊は破壊と滅びの神として産霊ばれたのか」と呟いた。


「天狐よ、私は国常立尊の魂留めと言祝ぎをせねばならぬ。」

《魂留めと言祝ぎにございますか?》


 魂留めをし、言祝ぎしなければ、産霊の儀は終わらない。そうしなければ、変容した国常立尊の怒りで、それこそ、この地には何も残らなくなるだろう。


 神皇産霊神は「お前にあそこに戻れとは言わぬ」と言い、「ただこの地の結界を維持してはくれまいか?」と訊ねた。


《それで貴女様はいかがなりましょう?》

「そうさね、上手くすれば国常立尊と一緒に眠りにつき、下手すれば国常立尊と心中だろうね。」


 神皇産霊神が努めて鷹揚に答えれば、天狐は「それは困ります」と答える。そして、甲高く一声呼ぶと天翔けて、地狐、赤狐、野狐が姿を現した。


《生き残ったのは、私を含め、四匹。我らは国常立尊が忠実な神使にございまする。主様の我らへの命は、客人の神の助けをせよ、でしたよね?》


 それを聞くと、赤狐は天狐に向かって「お主、何を考えている」と唸る。


《何、お客様は龍の君や珠姫だけではございませぬ。神皇産霊神もまた客人(まろうど)の神の一柱。この方の危機を助けねば、正気に戻られた主様に我らはどれほど叱られましょう?》


 そう言われると、赤狐は困ったように目を泳がせた。


《今は主様の御身が大事ぞ?》

《だが、今の主様に我らのことが分かりましょうか? 一旦、気を落ち着かせて頂くのがよろしいでしょう?》

《まあ、天狐の悪知恵で乗り切れる事態なら、それに乗るのも悪くない。》


 野狐が諭し、地狐が頷けば、天狐は「では三対一の多数決で押し通させて貰います」と言い、不完全ながら人の姿に戻る。


「先程の騒乱の中、地狐は白狐の、赤狐は空狐の要石を回収なさっていますね? それを神皇産霊神にお渡しなさい。」

《だが、これがなくては空狐達は・・・・・・。》

「ええ、記憶を無くしましょう。ですが、それが何だというのです?」


 今は「生き残れるか、否か」の瀬戸際で、その先を考えている余裕はない。


「野狐は元より主様の神威を封じ込めた身代わり石をお持ちのはず。」

《それを差し出せと言うのだな。》

「ええ。」

《それで? 天狐は何を差し出すのだ?》

「私はくすねていた珠姫の欠片を幾つか。」


 そう言って神皇産霊神に手渡すと、眉間に皺を寄せた。


「お主、珠姫の神威をどうするつもりだったのだ?」

「何をする、とは決めていませんでした。ただ、彼の姫の神威は私の力とも相性が良いのか手放しがたくて。」


 そして、神皇産霊神に跪き「客人の神よ、どうぞ我らが主をお助けくださいませ」と奏上した。


「これらで祓えの四柱を新たに産霊下さいませ。」

「だが、それには時間が・・・・・・。」


 すると、天狐はニコリとした。


「その辺りの事はこの天狐めにご一任を。」


 例え、それで自分自身の魂が壊れたとして、自分を生み出してくれた国常立尊のために消えるなら本望だ。


《何だ、天狐、お主一人で格好付けるつもりか?》

《主様に隠密の才を認められたのは私だと思ったが。》

《いや、あれは地割れでも作って大蛇を穴に落として、大人しくさせるのが一番いいでしょ?》


 赤狐、野狐、地狐が口々に言えば、天狐は「全く濡れ落ち葉か何かですかね?」と言って溜め息を吐く。そして、再びの白金色の大狐の姿に戻ると、神皇産霊神に「あとは頼みました」と告げた。


「全く、主が主なら、従者も従者だね。」


 無鉄砲で困ったものだ、と神皇産霊神は言うと「地狐、お前はここにお残り」と言う。


《ええッ?!》

「お前の地震(なゐ震り)の力は、国常立尊の護り石から産霊するなら欠かせないだろう? それに全員留守されちゃ、誰が私を守るんだい?」

《じゃあ、仕方ないかな・・・・・・。》

「それと、赤狐、野狐、二人は身代わり石の代わりにこれを持ってお行き。」

《これは?》

「潮干玉と潮満玉だ。のっぴきならなくなったらそれでお呼び。」


 天狐が「私には無いのですか?」と尋ねれば「お前は神鏡があるだろう?」と言う。


「先に白狐、空狐の要石から、それから国常立尊と珠姫の神威と順に産霊をする。珠姫の神威を産霊したら、各々に連絡が行くようにするからここへ戻っておいで。」


 神皇産霊神は「ここまで連続で産霊の儀をした事がないからね、何が起こるか分からないよ」と言い、早速、白狐の要石に時じくの香ぐの木の実の汁を垂らす。


 そして、池の水を掛けると「(たぎ)つる水、濁流(さくなだ)る水」と囁いた。


 池の水がリボン状になり、白狐の要石を中心に水球を作り始める。


「さあ、そっちは頼んだよッ!」


 天狐達は神皇産霊神の掛け声に水飛沫を浴びながら結界を飛び出した。


 ◇


「それで?」


 紫苑が前のめりに聞いてくる。距離を詰められた天狐は煩わしそうに「失敗していたら、この地はありませんよ」と話す。


「産み出されたのは祓戸大神と呼ばれる四柱でした。」


 瀬織津姫、速秋津比売、気吹戸主神、速佐須良比売。


 特に気吹戸主神は、八岐大蛇と一戦交えて、神皇産霊神の合図をきっかけに、命からがら結界内に戻った天狐達が「え、主様?!」と驚くほど、国常立尊と同じ姿をしていたという。


 ◇


「いやあ、本当、驚くよねえ。そっくりなんだもん。」


 水干姿の地狐は血だらけの天狐達を見ても動じる風はなく、三匹に気吹戸主神を紹介した。


「この男神は気吹戸主神。でも、主様と違って、何故か()の神なんだよな。」

《風の神?》

「うん、神皇産霊神も首を傾げてたけど、地の力はほぼ使わずに産霊できたみたい。」


 気吹戸主神は天狐達に何か話すことはなく、一瞥しただけで、その場を立ち去る。地狐もそれを追い掛けるようにして「皆の服を取ってくるよ」と去っていった。


《何だか、変わってしまわれたようですね。》

《だが、本体の変わりように比べれば、だいぶ我らの知る主様に近しいのではないか?》


 残念そうに項垂れる野狐と、あっけらかんとした赤狐の様子に天狐は無言を通す。代わりに「あら、怪我したの? 痛そう」と声をかけてきたのは速秋津比売だった。


 空狐に似た眼差しの姫神は産霊されて間もないだろうに、三匹を見るなり「ああでも、ほとんどが返り血のようですね」と言いながら治癒魔法で手当してくれる。


 その様子に気がついたのか、邸の奥から「お前は随分とお人好しだわね」と白狐と同じような白い髪を、三つ編みにして片方に流した姫神が姿を現れた。


「ああ、姉様。姉様もお助けくださいませんか?」


 瀬織津姫は気吹戸主神同様に煩わしそうに三匹を眺め見ると「そこにお並び」と言う。そして、パンッと手をひとつ打った。


「姉様ッ?!」


 速秋津比売が驚いたのも無理はない。瀬織津姫の柏手で、三匹の頭上は翳りゆらゆらと大量の水が揺らめいている。


「ああ、貴女が濡れたら困るわね。」


 そう言って瀬織津姫がパンパンッと二度手を打つと、一度目ので速秋津比売の周りに薄膜が出来、二度目ので、三匹の上に大きく空を覆っていた水がバシャンッと弾けるようにして落ちてきた。


 天狐はひらりと身を躱し、野狐は無言のままに水を浴び、赤狐ばかりが大声で騒ぐ。


《あ、痛だだだだだだだっ!?》


 野狐が速秋津比売に掛からぬように少し離れて水を払う横で、赤狐は「ちょ、何すんだよ!」と喚いていた。


「ふむ、赤いのは煩いな。それに白いのお前は逃げるとは卑怯だの?」

《何も言わずに頭から水を浴びせる方が余程卑怯かと存じますが。まあ、自分の身は自分で何とかしますゆえ、ご心配は無用です。》

「そうか。だが、妹姫が心配するゆえ、疾く去ね。あと、そこの焦げ茶のは気に入った。」


 そう言うと瀬織津姫は「体を拭いたらお前は上がっても良い」と奥へ入っていく。速秋津比売は酷く痛がっていた赤狐に「ごめんなさいね」と謝った。


「姉様は私にはお優しいのですけれど。」

《ああ、そうだろうよ。元の白狐もあんなんだったし。》

《どんな風に産霊し直しても、元の性格は変わらぬ様子。》


 赤狐が「きっと主様も変わるまい」と言えば、野狐も「そうだろう」と言って、二人して転変する。


 その様子に天狐は急ぎ速秋津比売の視界を塞ぐように立ちはだかると「ここにいては汚れましょう。姫様も奥へ」と促した。


「なんだよ、急に慌てた声をして。」

《そなたらの格好を見れば、慌てたくもなる。》


 そう言って苦言を呈すると、野狐は「ああ、空狐ではないんだったな」と言って「地狐を待ってからにすれば良かった」と納得する。


 一方、赤狐は辛うじて局部を隠しているだけの状態で「カカッ」と剛毅に笑い「空狐相手に恥じらえと言うのか?」と言うから、「貴方は少し気遣いという物を神皇産霊神に足してもらった方がいいかもしれませんね」と告げた。

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