魔縁の国
「それで? 何で、今、その話をするんだ?」
雅から天之御中主神と国常立尊の密約の話を聞いていた少彦名命は訝しげに尋ねる。雅は歩みを止めた。
「天之御中主神は国常立尊は天下り、この星を統治せよと命じられた。この筋書き、 似たような話を聞いた覚えはありませんか?」
その言葉に少彦名命もハッとした表情になる。
「《天孫降臨》の話か?」
「ええ、そうです。天之御中主神の利の一つはそこにありました。高皇産霊神に先んじて、この星の所有権は自分にあると布石を打たれたんです。」
長きに渡って行われた天照大神と大己貴命の戦いが、その実、高皇産霊神と天之御中主神の代理戦争であったのだと知らされる。
「国常立尊はそれを受け入れて、表向きには神去り、だが真実はこの星に天下りしたというわけか。」
「ええ、そして、もう一つ。天狐を始めとする八狐、鬼など、魔縁の者である物の怪たちを眷属とするように促したんです。」
それらは神とも、塵芥とも違う《モノ》から生まれし存在。ある物は災害、ある物は疫病、ある物は恐荒を引き起こし、この星の安寧を脅かす存在だった。
「初め国常立尊は魔縁の者達を祓おうとしていましたが、天之御中主神の命がくだり、八狐達と正式に主従の契約を結び、そのまた眷属として九曜、それから七星の者たちを紐づけたのです。」
そして、それもまた天之御中主神にとっての利点だった。
《モノ》から生じたものたちが使う《魔法》を使いこなせれば、《機械》に頼らずとも、来たる終末の時に龍の君の制御力の向上と、龍の珠姫の延命が見込めるようになる。
妖しの術とは言え、それらを制御出来れば、或いは二人を助けられるやもしれぬ、と。
「だが、どうしてそこまでして、天之御中主神は龍の君を何故助けようとしたんだ?」
「それは龍の君が天之御中主神のご子息だからですよ。」
雅がさらりと言ってのけると、少彦名命は「は?」と声を上げた。
「いや、いや、天之御中主神は独神だろう?」
「ええ、今はそうですね。」
「今は? かつては違うとでも言うのか?」
「さあ? 私も実際にお会いしたわけではないですから分かりかねますが・・・・・・。」
そう言いながらも、雅は「数多の星の動きを見れば、かつて天之御中主神は一回り小さいくらいのブラックホールを飲み込んだのだと思いますよ」と話した。
「アインシュタインの相対性理論でも、特異点はあらゆる物とあらゆる時が事象の地平線の中心に集まってくると言われていますし。」
「アインシュタイン、なんだそれ・・・・・・?」
「貴方がこちらに閉じ込められてる間に現れた天才物理学者ですよ。葦原中国がやけに発展したのは彼が現れたのがきっかけの一つです。」
エジソンも色々な物を作り出した点では高度文明となった現代社会にとっての礎の偉人なわけだが、雅はその閃きよりも、アルベルト=アインシュタインの相対性理論の鮮やかさにとても驚いたのだと話した。
「とても綺麗な数式でして。彼は天之御中主神であるブラックホールの存在の予言と、全てを破壊しうる原子爆弾を作った人物でもあります。」
「ああ、そっちは素戔嗚尊のところの文献で少し読んだが、あれは天津神らが裏で糸を引いて作らせたものではないのか?」
「高皇産霊神にとってそうであったなら、都合も良かったんでしょうけどね・・・・・・。」
実際はそうではなく、彼の存在こそが国常立尊の予見した「技術的特異点」だと話す。
「やがて人は月に行き、太陽系の内外に探査機を飛ばし、神や悪魔は前時代的なものとして信じなくなっていきました。」
神が崇められなくなれば、神威は威力が減り、高皇産霊神の考えていた理想郷は脆くも崩れる。
「正直、高皇産霊神の思惑を潰すだけなら、ただ待てばいいんです。加代子さんと二人、どこかひっそり隠れ住んでいれば事足ります。」
そうすれば、そう遠くない未来に心の太柱は崩れ、大峠が起こり、世界は組み替えられて、天津神でも国津神でない新たな神がこの地を治めることになるだろう。
「それでも、幽世の、しかもこんな最果ての地まで足を運んだのは、須勢理の事を案じてか?」
すると、雅は「それも、この右眼だけで事足りますよ」と笑い、目の前に現れた背の丈の数倍の高さと横幅のある門扉の前に立つ。
「ここへは我が身を《自ら》に捧げに来たんです。」
「なんじゃそりゃ? さっきから謎掛けか?」
「まあ、謎掛けに聞こえますよね。」
そして、くつくつと笑いながらも「この先は国常立尊の統べている魔縁の国」と話す。
「魔縁の国――?」
雅は大鎌を生み出して、扉の窪みに宛てがう。
「ええ、魔縁の者が住まう国です。大規模な魔法を使うには何かしら捧げないと。」
「大規模な魔法?」
大鎌をはめ込んだ歯車は、自ずからぐるりと回り始め、一回転するとガチャリと重たい音がする。少彦名命は人が一人通れるかどうかといった程度に開いた扉に釘付けになった。
魔縁の紋である逆五芒星を打ち消すかのように、五芒星が光り出し、十芒星として輝くと不意に道が開ける。
「さあ、どうぞ。」
そう言ってスタスタと中を入っていく雅の後を追い掛けるようにして、少彦名命が急いで扉を通り抜ければ、僅かに開いていた扉は再び自然と閉じてしまった。
「扉が・・・・・・。」
「大丈夫ですよ。用事が済めば向こうに戻れます。」
すうっと消えていく門扉の様子に少彦名命が焦った声をしたものの、雅は飄々として先へ進む。
「それにしても、ここら一体は見事に廃墟でしょう?」
確かに目の前に広がるのは茫漠とした荒れ果てた地。まるで原爆の爆心地の写真で見たような、草木もなく、ただただ瓦礫が広がっているだけだ。
僅かに残る石畳、崩れかけたいくつかの建物。辛うじて残るのは一本のドームに覆われた賢木の木と、そこを照らす淡い光だけで、あとは何とも気色悪い灰色の雲が重くたれ込めている。
少彦名命はまるで原爆投下された後の写真のような、魔縁の国の様子にその景色の様子に「一体、ここで何が起こったんだ?」と雅に訊ねた。
「先日、罔象女神の神域でお話しした心の太柱の話。あれはここで起こった出来事なんですよ。」
ここには龍の君を匿った離れと庭園が広がっていて、産霊し直した龍の珠姫の傷が完全に癒えるまで、国常立尊が二人を隠していたのだと言う。
雅は瓦礫の間を縫って進み、ある一点を指差した。
「あの日、国常立尊はあそこにあった東屋にいて、龍の珠姫はあの賢木のあたりで手を振ってくださいました。」
それはとても穏やかな時間で――。
春の陽だまりのような彼女が穏やかに笑い、国常立尊は確かに幸せを感じていた。
「でも、幸せはとても脆い。」
それが崩れるのは「ほんの一瞬」だけで事足りる。
キラリと天が閃き、先に異変に気がついた龍の君が彼女の名を悲痛な声で叫ぶ。
眩いばかりの光の矢は国常立尊が施した何重もの防御陣を破り、狙いを澄ましたように彼女の胸を貫く。
酷く長い一瞬。
先程まで穏やかに微笑んでいた表情は、驚きのために目が見開かれ、こふっと血を吐くと苦痛の表情に変わる。
彼女の身体が足元から崩れ落ち、緩く結んでいた長い髪が解け広がる。
過去と現実が入り交じる――。
手を伸ばせばあの日の彼女に手が届きそうなリアルさで、雅は思わず龍の珠姫を助けに駆け出していた。
ヤメテクレ――。
コレ以上ハ見タクナイ――。
そう思うのに右眼は金色の膜を張り、雅にあの日、起きたことを「忘れるな」と言わんばかりに見せ付ける。
音もなく現れる高皇産霊神。
その手は崩れ落ちた彼女の髪を掴み、乱暴に引き起こすと何かを呟き、こちらを見てニタリと笑う。
「高皇産霊神――ッ! 貴様ァァァッ――!」
立ち尽くす自分の横を、龍の君が咆哮し駆け抜けていく。
「無駄な事だ。この娘は神籬。」
彼女の身体に刺さった光の矢からは枝葉が生えていき、彼女の神威を糧に成長を始める。
耳に残るのは、苦痛に喘ぐ彼女の呻きと叫び。
◇
「おいッ! 勝手に置いてくなよなッ!」
雅の後を急いで追ってきた少彦名命にガシッと肩を掴まれる。
そのおかげで雅は我に返ったものの、しばらくの間、少彦名命に反応出来ずにいた。
「おい、顔色、真っ青だぞ?」
「どうしたんだ」と訊ねられて、何とか「ちょっと国常立尊の記憶にあてられたようです」と声を絞り出す。
「国常立尊の過去?」
「ええ、龍の珠姫を高皇産霊神に殺された時の・・・・・・。」
それを聞くと少彦名命は眉根を寄せ「しっかりしろよ、過去は過去だろ」と言い、「本当、手のかかる奴だな」と溜め息を吐いて、肩掛け鞄の中から薬瓶を出す。
「あの絶望的にまずい薬なら遠慮申し上げたいのですが・・・・・・。」
「あれとは違う薬だ。弟切草の一種から煎じたものだから多少の苦味があるが良薬だ。気を鎮めてくれる。」
少彦名命に押し付けられるようにして薬瓶を受け取ると、その好意を無下にも出来なくて、雅は薬瓶の中身を飲み干した。
「それで? これからどこへ向かうんだ?」
「いえ、もうそろそろ迎えが来ますよ。」
「迎え――?」
「ほら、丁度、来たようです。」
大きな黒い影が、二人の頭上を過ぎる。
そして、それは雅の姿を認めると、ジグザグな軌跡を描きながら、天より駆け下りてきて、やがて跪くようにして雅の前に伏せた。
大型のダンプぐらいはあるだろうか。烏の濡れ羽色のような毛並みの九尾の黒狐が二人の目の前で頭を垂れる。
《お帰りなさいませ、主様。この地へのご帰還を心よりお待ちしておりました。》
雅は黒狐に手を伸ばすと「庭破、すっかり大きくなりましたね」と一撫でする。黒狐は気持ちよさそうにその金の眼を細めた。
《その名を呼んで下さるのは主様だけ。お懐かしゅうございます。》
そして「良くぞお戻りくださいました」と甘えるように一鳴きする。
一方、少彦名命は晴明と同じような九尾の狐の姿に呆然と見入っていた。
黒狐は「ミサキ風」を起こす妖だ。しかも、「庭破」の名前から察するに、これは大地震を引き起こすのだろう。それなのにそんな大妖が、雅には従順に仕え、尚且つ、その事を誇りとし喜んでいる様子を目の当たりに呆気に取られてしまう。
《ところで、そちらの客人の神はどなたでしょうか?》
神威で身を守ろうとして、使えない事を思い出し、ハッとした瞬間、黒狐の金色の眼と目が合い動けなくなる。雅は「彼は恩人ですよ。威嚇しないでください」と優しく窘めた。
「この方は神皇産霊神が子、少彦名命でいらっしゃいます。」
《神皇産霊神のお子ッ?! たしかに目元の辺りとか似ていらっしゃるような気もしますが・・・・・・。》
雅が「びっくりでしょう?」と言い、くくっと笑うから、少彦名命は「何だよ」とむくれる。
「いや、最初に久延毘古に貴方が神皇産霊神の子だと教えてもらった時の衝撃を、今更ながら思い出しましたよ。」
神皇産霊神は長年、波多の地で幽閉されていたはずなのに、ちゃっかりその土地の者を魅了していて、これまたちゃっかり地に根ざしているから面白い。
「確か、子授けを願いに来た若夫婦のために産霊されたんでしたっけ?」
「ああ、そん時、お袋様が《いつまでも愛らしい子を》と産霊して下さったもんだから、これ以上育たないんだとか言われたが、あの母上だ。眉唾だな。」
少彦名命が「子授けを願ったわりに、酒の神だぞ?」と言うと、雅は「そう言われてみれば確かに違和感がありますね」と考え込む。少彦名命としては頭を抱えたくなる話だが、神皇産霊神は「こう言うのはエスプリって言うんだよッ!」と言って詳しく教えてくれなかった。
それを聞いていた黒狐は「ああ、それはとても神皇産霊神らしいですね」と笑う。少彦名命は片眉をくいっと上げた。
「庭破だったか? お前、母上を知っているのか?」
《はい、幼き頃、ほんのひと時ではございますが、お助け頂いたことがございます。》
この大妖の幼き頃と言われると、相当、昔な事なのだろう。少彦名命は物言いたげな目で雅を見たが、雅は変わらずに微笑むだけだった。
《ささ、主様、そして、客人の神よ。どうぞ我が背にお乗りくださいませ。》
ただ、その申し出を丁重にお断りしたからと言って、これはあんまりではないだろうか。
まさか、狐の口に咥えられて運ばれる日が来るなんて。