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一樹の陰  作者: みなきら
一樹の陰一河の流れも他生の縁
3/25

神去り

 玻璃の宮の中庭には「鏡池」と呼ばれる池がある。


 風もないのにその水面がゆらりと揺らめき、魔鏡のように虹色に輝くと、神皇産霊神は見咎めて外へ出る。そして、白絹の深衣を纏い、卯の花を挿頭にした神々しい姿の国常立尊が現れると「いつになく重装備だね」と出迎えた。


「めかしこんでくるように、と仰ったのは貴女ではないですか。」

「そうだけど、国常立尊がその出で立ちでは、私も着飾らなきゃなるまい。」


 神皇産霊神は「ああ、面倒だ」と言いながら、普段まとめあげている髪を下ろしたラフな姿のまま、鏡池の畔から玻璃の宮へと先導し始める。


「こちらはお変わりないようですね。」

「高皇産霊神の矛先が今のところは龍の君に向いているから、幾分マシって程度だけどね。でも、いつこちらに向きを変えられるか分かったもんじゃないし、戦々恐々としてるのは変わりないよ。」


 そう溜め息を吐きながら、先日の天常立尊の龍の君に対する「星屠りの神」発言が、じわじわと影響し始めていると教えてくれる。


「長い物には巻かれろっていう(たち)の日和見主義は、しばらくの間とはいえ龍の君が沈黙してしまっていた事もあって、徐々に高皇産霊神の方や私の方に擦り寄り始めた。」


 傍目には大きな変化はない。


 しかし、水面下では確かに「龍の君離れ」が起こっていて、しかも日に日にその状況は悪くなっていると話す。


「龍の君は潔癖が過ぎるところがあるからね。実力を買われているうちは良いが、それが無くなったら四面楚歌になってしまうだろう。このまま珠姫を庇い立てし、失脚でもしようものなら方々にも影響が出る。下手をすれば、こちらも巻き添えを喰らって目も当てられない事になりかねない。」


 国常立尊は「珠姫」の名を聞くと、その表情を険しくし、榛摺色の髪の(たお)やかな瑠璃の宮の姫君の事を思い浮かべた。


「気になるのかい?」

「ええ、瑠璃の宮の姫君のご心痛はいかばかりか、と思いまして。」


 神去りし、この地を後にしようと心に決めたはずなのに、彼女の事を思い出すと胸がチリリと疼くように痛む。


 ましてや「龍の珠姫が龍の君を誑かしているのではないか」などという噂を耳にした時には、思わず口にした者の襟に手が伸びそうになった。


 その一方、彼女をその状態に追い込んだのが、自分の実の兄である天常立尊だと思うとひたすら申し訳なくて、ギュッと引き絞られるように胸苦しくなる。


 国常立尊は知らず知らず胸元をきつく握りしめていた。


 神皇産霊神はただ「そうだね」と相槌を一つ打っただけで黙り込む。やがて応接室に国常立尊を通すと「支度をしてくるゆえ、そちらで少し待っていておくれ」と話した。


「支度にございますか?」

「ああ、今日呼んだのは、主上がお主に秘密裏にお会いになりたいと仰っていてね。」

「私にですか?」

「ああ、このように誰かに会いたいなど、滅多な事は仰せにならないのに。」


 神皇産霊神も天之御中主神の急な申し出に困惑していると話す。


「国常立尊がこちらに来たら、先触れも不要ゆえ、奥の間に連れて参れと仰せだ。」

「奥の間、ですか・・・・・・?」

「ああ、私もそこへはまだ立ち入ったことがない。」


 天之御中主神の大宮にある奥の宮は、天之御中主神にとってのプライベート空間だと神皇産霊神は話した。


 ◇


 女人の支度は何かと時間がかかる。


 そう思っていたのに神皇産霊神は存外早くに現れて、「そんなに待たせなかっただろう?」と不思議と勝ち誇った顔をして見せた。


 背中まである髪は結い上げられ、金銀をあしらった釵子(さいし)と心葉と日陰の糸を身に付け、衣の方もいつもの巫女のような姿ではない。白地の背衣の下に、藤色の綾地に縫取で立湧紋が施された衣と、更にその下に見えるのは僅かに見えるのは緋色の単衣で、裳は白地に藤丸文様の入ったもの、更にその下の褶は藤色の無地の物を身に付けている。


「さながら、山藤の花の精のようですね。新しいお仕立てですか?」

「いや、こうした時でないと着る機会のない衣だから、たまにはと思って着てみたんだが、やはり窮屈だな。」


 緩く髪を結い上げ、額に花鈿を押した神皇産霊神は「お会いに行くのが主上でなければ、もっと楽な服装で行けるのだけれど」とため息を吐く。


「だいたい国常立尊が普段より少し着飾ったくらいなら、千早を纏って行こうかと思ったのだけれど。」

「そうは仰っても着崩してという訳には参りませんでしょう? それでもこの通り深衣姿なのですから、千早でも宜しかったのではないですか?」


 しかし、神皇産霊神は「お主は自分の容姿が人目を引くのを勘定に入れていない」と呆れ声で答えた。


 そして、神皇産霊神に連れられて進んだ先はいつもの広間のさらに先で、天之御中主神の大宮の奥まった扉を開けた先だった。


 造り自体は普段、議場となっている広間に近しいものの、不思議と進むほどに空気の密度が増し、指定された部屋に着く頃にはまるで水の中にいるような心地になっていた。


 濃密で、それでいて、緊張を強いられる空間。本来なら国常立尊のような一介の者が入れるところではないと、ヒシヒシと伝わってくる。


「失礼致します。右の産霊、藤花(とうか)にございます。」


 重々しい扉が自然と開き、神皇産霊神のあとに続いて中へ進む。部屋は思っていたよりはコンパクトで、中は玻璃の宮の応接室のようになっていた。


 奥には龍の君と同じように白銀の髪を編み込み、脇に垂らした眉目秀麗な男が長椅子にゆったりと凭れていた。


「主上におかれましては、ご健勝なご様子、心よりお慶び申し上げます。国常立尊が一つ星の暇乞いにて、本日は伺いました。」


 神皇産霊神が奏上すれば、静かに座していた天之御中主神は身体を起こし、目を伏せたまま正面を向くと静かに頷く。


 主に大理石で組まれ、所々、金、銀で飾られている朝議の間とは違って、ここは完全なる天之御中主神の私室なのだろう。国常立尊は近くの椅子を神皇産霊神に譲り、自分はその横に付き人のようにして控えた。


 神皇産霊神に目配せされ、事前に言われていた通り、深く頭を垂れると「臣が一人、六合(りくごう)と申します」と名乗りをする。


「良く参られた。六合(りくごう)よ。」


 そして、天之御中主神の両の眼が開かれると空気の密度が増し、いっそう濃く重いものに変わっていく。


 美しい金眼銀眼――。


 底知れぬ輝きの美しい輝きの目と合うと、急に心臓を掴まれたかのような心地がしてくる。


「天地四方を以て六合(くに)と成す神。そなたは神去りし、別天津神の位を返上したいと言っていると聞いた。」


 国常立尊はゴクリと生唾を飲み込むと、こくりと頷く。そして、干上がった喉のまま、「左様にございます」と答える。


「我が手で造りし星の命運は、自らの責をもって見守りたいと思い、こうして暇乞いに参った所存にございます。この地を離れます事、そのために別天津神の位を返上させて頂きたいと思うております事、お許し頂けないでしょうか?」


 すると、天之御中主神はまっすぐ国常立尊を見て「その命運が争乱となることは既に決している」と話した。


「この先、そなたの星は《栄枯盛衰の理》の下に置かれ、《創造》と《滅び》を繰り返す。」


 その言葉に神皇産霊神は息を飲み、国常立尊は緊迫した面持ちになる。


「積み木を積むように作られ、そして、それは一つ均衡を崩しただけで、呆気なく滅び去る。そして、それは我を含め、何人たりとも逃れられぬ宿命。」

「主上を含めて――?」


 神皇産霊神が思わず怪訝そうに訊ねれば、天之御中主神は「左様」と短く答えた。


「そなたらをここに呼んだのは、その命運に則ってのこと。私がこの場に呼ばねば、大切な物が永久に失う事になるが、こうして国常立尊を呼び出す事でその未来は複雑に枝分かれする。」


 そして「国常立尊よ、そなたが望むなら別天津神としての任は解こう。そして、(はなむけ)にそなたと縁のある二本の木を託す」と話した。


「ひとつは時じくの香くの木。その木は常に白き五弁の花を付け、その花の香は荒ぶる精を和ませる。また、その黄金の実は傷や病を癒す不死の妙薬。」


 そう言うと黄金色の橘の実を袂より取り出して、紫檀で作られたような艶のある机の上にことり置く。


「そして、もうひとつは知智の木。この木は花無くして実を結ぶ。」

「花無くして実を結ぶ? そのような事が有り得ましょうか?」


 国常立尊の問いに、天之御中主神は黒っぽい枇杷のような実を机に置いた。それはよく熟れているのか、いかにも美味そうに甘い蜜を垂らしている。


「この実は食せば己が神威以上の力を発揮し、あらゆる知識を得る事が出来る。しかし、代償としてその宿主の神威を奪い続け、やがて宿主を苗床として繁殖する。そなたはこの実に見覚えがあろう?」


 国常立尊はそれを聞くと押し黙り目を細める。神皇産霊神はバッと国常立尊の方へと振り返った。


「まさか、この実を食べたことがあるのかい?」

「まさか。ただ、まだ年端の行かぬ頃、兄と遊んでいて、この木の実のなっている枝を折ってしまったことはありますね。」


 天之御中主神は国常立尊をじっとみつめたが、国常立尊はそれ以上は語らずに黙した。


 しばらくの間、無言の睨み合いが続く。


 陽の光のような黄金の色の瞳と、凍てつく氷のように冴え冴えとした銀色の瞳。


 対象的に全てを飲み込むような漆黒の眼。


 しばらくの沈黙が続いた後、先に折れたのは国常立尊で、恭しく「畏まりました。有難く頂戴致します」と頭を下げた。


「よろしい。それから、今一つ。そなたには新たな任を与えようと思う。」

「国常立尊に、新たな任、にございますか?」


 神去りの挨拶に来たのに何を、と思えば、神皇産霊神も同じように思ったようで、訝しんだ表情で天之御中主神に訊ねる。


「左様。この任は表向き、国常立尊の意向通りの《神去り》に見えよう。」


 そう言われて書状を手渡される。


 開けるように無言のままに促されて、書状を開けば、そこには「国常立尊が天之御中主神の御神使いとなる」事、「国常立尊はその星々には天之御中主神の任で降る」事、「その星々において何人たりとも国常立尊の考えに反せない」事、「任が解けるのは天之御中主神と国常立尊の承認がある場合か、魂が破壊された場合のみである」事が書いてある。


 しかも、直筆の署名と玉璽による押印入りの勅状だ。


 回し読みした神皇産霊神も目を見開き、しげしげと天之御中主神の勅書の内容に目を通す。一方、国常立尊は至って冷静に「主上、肝心の任の《内容》が抜けているように存じますが、私に何の任を与えるのでしょうか?」と訊ねた。


「なに、そなたが手で造りし星の命運を、そなたの責をもって見守ればよい。そのために成さねばならぬ手段は、そなたに一任とする。」


 そう言って天之御中主神は「この任を受けてくれないだろうか?」と問う。それには神皇産霊神だけでなく、国常立尊も呆気に取られてしまった。


 「任」としているが、形ばかり。要は「好きにせよ」と言っているも同義。


 国常立尊は天之御中主神の僅かな表情の変化にも見逃さないようにしていたが、それは全く変わることなく、どこまでも淡々としている。


 国常立尊は神皇産霊神から戻された書状を畳みながら、「お受けする前にひとつ教えてくださいませ」と話した。


「仮にこの任を私が受けたとして、主上にはどのような利があるのでしょうか?」


 不安の色を露わに国常立尊が問う。天之御中主神はそこに至ってようやく表情を崩し、目を細めて笑みを浮かべた。


 ◇


 それから小半時。


 神皇産霊神は天之御中主神の所から玻璃の宮に戻るなり、澄ました顔を取り繕えなくなったのか、「主上もまた随分と思いきったことをなさる。これを知ったら高皇産霊神はどんな顔をするだろうな」と吐き捨てるように毒吐く。


 随分と憤慨しているのはその歩みで感じ取っていたものの、玻璃の宮に着いた途端に毒吐く神皇産霊神に国常立尊は肩を竦めてみせた。


「確かに参りましたね。何だか、余計な厄介事に巻き込まれてしまったようです。」

「お主は()()を《余計な厄介事》で済ませるか? 主上は龍の君の代わりにお前に犠牲になれと言ったも同義ではないかッ?!」


 神皇産霊神が怒れば怒るほど、国常立尊は妙に冷静になっていく。


 天之御中主神にとっての利を訊ねた結果、平たく言えば「龍の君を助けたい」という意外にもシンプルな回答だった。


「そうお怒りにならないでください。主上が仰せになったのは、龍の君をお救いするには私の立ち回りが(かなめ)になると仰りたかっただけかもしれませんよ?」


 国常立尊も神皇産霊神と同じように感じてはいたが、天之御中主神の立場は「中立」で、表立っていずれか片方に肩入れする事はままならない身の上であられる事も考慮した方がいいと言い添える。すると、神皇産霊神は大仰にため息を吐いてみせた。


「お主は天常立尊の事と言い、少しばかり人が良すぎるのではないか? 立ち回りだけで済めばいいが・・・・・・。」


 表情を曇らせる神皇産霊神に国常立尊は努めておっとりと「きっと大丈夫ですって」と言いながら、「万が一の時は、神殺しの汚名を受けても、高皇産霊神に一矢報いる努力はしてみせましょう」と微笑む。


「時じくの香くの木の実は《食べてはいけない》と言われませんでしたし、消えかけたら口に頬張ります。ああ、ですが苦しいのは嫌ですから、いよいよの時は龍の君に介錯でも頼んでおきましょうか。」


 国常立尊が「それくらいはお願いしても良いですよね?」と話せば、髪飾りを外したばかりの神皇産霊神は纏めていた髪を乱雑に解いた。


「いよいよの時は私が何としてでも産霊し直すさ。主上は、お主の星は《創造》と《滅び》を繰り返すと仰せになったではないか。欠片でもお主の神威が残っていれば、お主は息を吹き替えすのだろうよ。」


 それを聞くと国常立尊は「それは頼もしいばかりです」と笑いながらも「でも、それをやると高皇産霊神の《新たな神》になっちゃいませんか?」と笑う。


「先日お伺いした《本来の産霊》は、天之御中主神の承認を得てから、塵芥より紡ぐものなのでしょう?」


 一方、高皇産霊神らの主張する《新たな神》は、機械(からくり)の核を有し、そこに既存の神の神威を埋め込んで産霊する、言わばクローン体に近しい。


 国常立尊は「我らが《新たな神》を受容すれば、それこそ均衡が崩れます」と返せば、神皇産霊神はギロリと睨み返しただけで、「では簡単に消えようとするな」と告げ、「着替えてくる」と玻璃の宮の奥へと入っていった。

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