2019/05/30『甘い』『姫』『科学』
「姫さま、いつまで図書館にこもっていらっしゃるのですか。出てきてくださいまし」
——しーん。
「姫さま、姫さま、皆様が姫さまをお探しですよ」
——しーん。
「姫さま、今日のおやつはドーナツでご……」
「食べるっ! 今行くから待ってて、レリス!」
——初めまして、皆さま。
わたくしは、この小さくとも豊かな国、ウェリエー王国の姫さまに仕えるじいや、レリスと申します。
……えっ?
ウェリエーなんて国、聞いたことがないですって?
ええ、当然ですとも。
ここは「おとぎの国」という世界。
皆様が暮らす世界は「現実世界」、つまり、異世界なのでございます。
「……じい、何書いてるの?」
「これですかな? これは日記ですよ」
「……そうみたいね。でも、何で現実世界の言葉で書くのよ?」
「……そういえば姫さまも翻訳者でしたね。この国のことを記していけば、いつか何かが起こった時、現実世界の皆さまにおとぎ話としてお話しできるではありませんか。そのための、資料としての日記でございますよ」
「なるほどね」
……おっと、失礼。
「現実世界」の皆さまの間では、「翻訳者」の事はあまり知られていない、と聞きました。
「翻訳者」と言いますのは、「おとぎの国」と「現実世界」の両方の言葉を知る者のことでございます。
「翻訳者」は、こちらの世界で起こったことを「おとぎ話」として「現実世界」の皆さまにお伝えしたり、「現実世界」で起こったことを「現の物語」としてこちらの世界に伝えたりしているのです。
特にこの国、ウェリエーは「翻訳者」が多い国であります。姫さまも「翻訳者」ですし、何を隠そう、わたくしも「翻訳者」です。
「現実世界」にも「翻訳者」の方がいらっしゃるのですが、ご存知ないですか?
——ああ、もしかしたら、そちらの世界でいう「童話作家」の中に「翻訳者」が紛れ込んでいるかもしれませんね。
「レリス」
「何でございましょう?」
「今日のおやつも美味しいわ。やっぱり研究の後の甘いものって最高ね。現実世界の書物によると、頭の栄養になるのは甘いものだけみたいだしね」
「ちょっとそれは語弊がある気がしますが……」
「しょうがないでしょ、対応する言葉がないんだもの」
「……そうですね」
「——ご馳走さまっ! じゃ、また何か用があれば図書館に来てね」
「えっ? あっ、姫さまーっ!」
……とまあ、こんな感じで毎日姫さまに振り回されてばかりなのでございます。
姫さまは「現実世界」の書物に大変興味があるようでございます。しかも、「現の物語」のような、小説に分類される書物ではない書物……例えば「科学」について書かれている書物に興味があるそうなのです。
わたくしとしては、「現実世界」にはないような魔法学などを学んで発展させて欲しいのですけれど、姫さまは『他の国が学んでいないことを学べば、他の国の人たちをあっと驚かすことができるわよ!』と仰っているのです。
たしかに、姫さまの言い分も正しいのですけど……こちらの世界と「現実世界」では、世界のあり方がすでにもう異なっておりますので、どこまで参考になるかが分からないのです。
でも、姫さまは賢い方でございます。その面も含めて、姫さまは研究なさるつもりなのでしょう。
「レリスーっ、ちょっと来てーっ!」
「……何でございましょう、姫さま」
「この、かがくてつがく、ってもの、とっても面白いわ! これ、魔法学にも応用が効くかも! そうね、まほうてつがく、なんてものが出来るかも」
「姫さま、てつがく、とは何でしょう?」
「うーん……分からないわ。別の書物をあたって調べてみましょう。ねえ、国語辞典って書いてあったものを持ってきてちょうだいよ」
「はいはい……」
なかなか面白いことになってまいりました。
姫さまはきっと、将来は聡く賢い女王さまになられるでしょうなぁ。
その時まで生きていられるかは分かりませんが、楽しみで仕方がありません。
——そうですねえ。
たくさん研究をされる甘い物好きの姫さまのため、今日の姫さまの晩ご飯にとびきり美味しいデザートをつけてもらうよう、シェフに頼んでおきましょう。
そんなことを考えながら、姫さまに頼まれた書物を手にし、姫さまの元へと戻りました。